長井満也
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長井満也(ながい みつや、本名・長井弘和、1968年11月10日 - )は、日本の男子プロレスラー。北海道砂川市出身。身長187cm、体重108kg。
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[編集] 経歴
中学卒業後、スーパータイガージムに入門。インストラクターの平直行に従い、1986年にシュートボクシングへ移籍。戦績は7戦5勝2敗。後に同団体のエースとなる吉鷹弘との対戦経験を持つ。 1989年、第2次UWFに入門するが、練習中に首を負傷しその影響からデビュー出来ず、団体分裂後は高田延彦率いるUWFインターナショナルへ合流するが離脱。前田日明主宰のリングスに入門し、1991年、ヘルマン・レンティング戦で、ようやくプロレスラーとして正式なデビューを迎える。グリーンボーイながら同年12月にはジェラルド・ゴルドーとも対戦。敗れはしたものの高い評価を得て前途を嘱望されるが、92年10月に佐竹雅昭に秒殺KO負け。以後、後輩の台頭や負傷などで精彩を欠く。1994年には「リングスはプロレスではない」との前田の発言に反発、「僕はプロレスラーです」との言動が前田の逆鱗に触れ、比叡山へ修行へ行かされる。 1996年にはエース外国人選手のディック・フライにも勝利。しかし、1997年11月に師である前田との試合後、突如としてリングスを退団した。
1997年、全日本キックボクシングのプロライセンスを取得し、1998年にはK-1に参戦。日本人のトップファイターである武蔵とも対戦している。2000年、格闘探偵団バトラーツのヤング・ジェネレーション・バトルで準優勝。全日本プロレスでは、垣原賢人と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦、2001年は、垣原とともにアジア・タッグ王座を獲得する。年末には川田利明とのタッグで、世界最強タッグ決定リーグ戦に二度目の出場(結果は準優勝)。2002年、若手中心のリーグ戦「ジャイアント馬場杯」で優勝を果たした。
2003年、新日本プロレスに魔界倶楽部のメンバーとして登場。当初はマスクマン「魔界5号」としてだったが、2月両国国技館のリング上で自らマスクを取った。魔界5号と名乗っていたのに週刊プロレスの選手名鑑では「本名の長井満也」を名乗ると言う嘘のつけない性格である事がわかる。魔界5号としては、魔界4号(正体は柴田勝頼)との「破悧魔王'Z(はりまおうず)」というタッグチームで活動した。魔界倶楽部解散後も反体制派についているが、リングスで一緒だった本隊の成瀬昌由の熱いアピールもあり、タッグを結成しアジア・タッグ王座も獲得している。
2006年、新日本プロレスを退団。キングスロードへの参戦を表明。更にZERO1-MAXにも進出、Y2P-160kg率いるP-Force Menの「NP5」としても活動している。DDTにも当初はケロ軍団(田中秀和、後藤達俊、長井)として参戦し、現在はポイズン澤田JULIE率いるDDT蛇界本隊の一員として活躍している。 また、新日本プロレス退団組による新団体無我ワールド・プロレスリングへの参戦、後に正式入団する。
[編集] 必殺技
- ハイパーニー空牙(くうが)(=スワンダイブニーアタック)
- 陸牙(りくが)(=ランニングニーリフト)
- ナガイロック(変形の鎌固め)
- 魔界ドライバー(=ファルコンアロー)
- 魔界スリーパー(=首極め腕卍)