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川田利明 - Wikipedia

川田利明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川田利明
プロフィール
リングネーム 川田利明
モンスターK
ハッスルK
本名 川田利明
ニックネーム デンジャラスK
ハッスルK
俺だけの王道
身長 183cm
体重 105kg
誕生日 1963年12月8日
出身地 栃木県下都賀郡
所属 DSE
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ジャイアント馬場
ミスター・ヒト
天龍源一郎
デビュー 1982年10月4日

川田 利明(かわだ としあき、1963年12月8日 - 栃木県下都賀郡出身)は、日本の男子プロレスラーハッスルを主戦場とする。183cm、105kg。血液型O型。選手としてはフリー(本人は「無所属」を自称。実質的窓口はDSE)、タレントとしては太田プロダクション所属。

「名勝負製造機」とも言われる試合展開の手腕と「デンジャラスK」とも称されたキック主体のハードなレスリングスタイルでファンから高い支持を得ている。

目次

[編集] 経歴・戦歴

[編集] 学生時代

中学時代は野球、次いで相撲をしているが、卒業後はプロレスラーになるつもりであった。実際に新日本プロレスのテストにも合格していたが、高校ぐらいは行っておこうと思い直しレスリングの強豪である足利工業大学附属高等学校に推薦で合格する。

入学前、教科書等を買いに来た時にレスリング部の監督に挨拶に行った際、「お前プロレスラー志望なんだってな。あいつもそうなんだよ。」と指差した人間が将来永遠のライバルとなる一年生の三沢光晴であった。高校レスリングでの実績では三沢以上の活躍を果たし、1981年茨城インターハイ準優勝、滋賀秋季国体優勝(階級はいずれも75キロ級)という輝かしい経歴を残した。また、インターハイで山田恵一(現:獣神サンダーライガー)との対戦経験もある。

高校卒業が迫る頃、どうしようかと悩んでいると、先にプロレスラーとして全日本プロレスに入団していた三沢光晴に「来るなら紹介するよ」ということで翌1982年3月に全日本プロレス入団を果たす。入寮の際、三沢部屋を覗いてみたところ、飲み慣れない酒を無理やり飲まされ「もどし」ながら潰れていた三沢を発見したそうである。寮での生活は「一言多い」という川田らしい理由から三沢によく可愛がられた(三沢は自伝のみならず、各雑誌のインタビューにおいて「川田は高校時代から一言多かったから殴ったよね。でもこれはいじめじゃなくてしつけですから」と語っている)。三沢に階段から蹴っ飛ばされ転げ落ちた後、それを心配に思った冬木弘道が三沢に問うたところ「あいつはいいんですよ」と答えたのは有名な話である。実際それでも川田は一言余計なことを言い続け、可愛がられながらもヘラヘラしていたという。その影響か、後に冬木も三沢と一緒にいるときは川田を「シメる」ようになったようである。三沢は自伝の中で「あれは俺がいけなかったかも」と反省のコメントを述べている。

苦しい練習を耐え抜いた川田は、同年10月4日、千葉・大原町消防署前グラウンド大会での対冬木弘道戦でデビューを果たした。

[編集] 若手時代

若手時代は勝てない日々が続き、デビューから引き分けを挟んで205連敗を喫しながらも、必死で練習を繰り返していた。しかし一年だけの先輩であるはずの三沢はどんどんキャリアを積み重ね、海外修行を経て2代目タイガーマスクとして舞い戻ると、川田との差は決定的なものとなっていた。三沢は初代タイガーマスクのスタイルを身につけるために士道館でのキックの練習や、飛び技の練習を重ねることになるのだが、その練習相手として後輩の川田が選ばれ、三沢と同じ練習メニューをこなしていった。実は三沢よりも川田の方が蹴り技・飛び技共に飲み込みが早く、この頃は三沢=タイガーへの嫉妬からか試合では飛び技を中心に戦っていたという。

遂に自分も海外修行(将来を嘱望されている証拠)に行くことを命じられ、意気揚々と日本を旅立つ。しかし、各地を回って帰ってくれば、行く前と変わらず、アンダーカードに自分の名前が刻まれているだけであった。タイガーとして華々しく戦う三沢との差は海外に行っていた間に更に開いていたのである。この仕打ちに腐った時期もあったが、状況を打破すべく、天龍源一郎鶴田を乗り越える為に掲げた「レボリューション」に半ば無理やり参加する。以降、天龍の象徴であった黒と黄色のスタイルを現在まで通している。それ以後、同軍団内のサムソン冬木とのタッグ「フットルース」でアジアタッグを長期間保持、また天龍とのコンビでも活躍した。

[編集] 選手大量離脱後

しかし、天龍達は1990年SWS旗揚げに伴う引き抜きで居なくなってしまう。川田も誘われていたが、そのまま全日本に残ることを決意した。大量離脱後の初の試合ではタイガーマスクとタッグを組んだが、彼の指示でそのマスクを外し、タイガーマスクから三沢光晴への「脱皮」を手伝う。この後、全日本を盛り上げていく為に、絶対的な存在であるジャンボ鶴田に食いついていくことを目的として、二人を中心にした超世代軍が結成される。三沢光晴と共に団体を背負っていこうとする意気は強く、このコンビで世界タッグ王者に就いた。このタッグ時代には、遠征先の食事等の際も三沢と常に行動しており、巷で言われているほど犬猿の仲というほどではなかったそうである。また、この大量離脱の後、タイツを黒と黄色のものに替えている。

その三沢とは、1992年の全日本プロレス旗揚げ記念大会で三冠タイトルをかけて対戦、節目の大会のメインを務めるという大役を果たした。それと前後して鶴田が病気により離脱、気付いて見れば川田は三沢に次ぐ日本人エースの地位に立っていた。既に対「ガイジン」から日本人対決に人気が傾いていたこの状況下では、トップ二人が組んでいても停滞するだけと考え、三沢との超世代軍タッグを解消する。これ以降、鶴田とのタッグで次第に実力を積み重ねていた田上明とコンビを組み、聖鬼軍と名乗り三沢や小橋達と熱戦を繰り広げていくことになる。その中でもこの二人のタッグの連携は群を抜いており、熟練のタッグワークで度々王座に就いている。しかし、シングルでの戦績からみれば、三沢の壁は絶対的と思われるほどに高く、三冠戦を行うたびに三沢に敗れ、常に二番手としての地位に甘んじていた。

(1994、1997チャンピオン・カーニバル優勝)
(第12代、18代、21代、28代、32代三冠ヘビー級王者)

1997年チャンピオンカーニバル決勝巴戦で、クジ運が良かったという要素があったものの(三沢は巴戦初戦の小橋戦で30分引き分けでスタミナ切れ寸前だった。)、シングルで初めて三沢を倒す。三沢を倒すまで入門から15年もの年数がかかったことになる。

1998年5月1日の全日本初の東京ドーム大会、三沢が持つ三冠ベルトの挑戦者、そしてメインという大役をジャイアント馬場に命じられた川田は、体重を減らし(当時は115kg)褐色ボディに変貌させて試合に臨み、遂に三沢から三冠ヘビー級選手権試合での初勝利を奪い取る。試合後、三沢を破ったリングの上で、「プロレス人生で一番幸せです。今が!」と大会の最後を締めくくった。

歓喜もつかの間、この三沢から奪った価値あるベルトは初防衛戦であっさりと小橋に奪われてしまう。加えて、これを前後する1990年代終盤から度々の負傷に見舞われ、特に1999年1月22日大阪府立体育会館の三沢との三冠戦では三沢を倒し川田時代の到来が予感されるも、試合中の怪我により防衛戦を行うことなく返上という目にあった。しかし、その度に完治する前に強行出場し、意地でリングに上がり続けていた。

前述の通り、三沢にはシングルで計3回勝利したが、1997年チャンピオンカーニバル決勝巴戦では、小橋と対戦直後のスタミナ切れ寸前の三沢との対戦。1998年東京ドーム大会の時では、チャンピオン・カーニバル後の満身創痍状態(主に右手薬指・左ヒザの怪我)の三沢だった事もあり、コンディション万全の三沢に勝利したのは、川田自身も負傷を負った1999年1月22日の三冠戦のみであった。

[編集] ジャイアント馬場逝去~選手大量離脱

1999年1月31日に、全日本の象徴であるジャイアント馬場が逝去する。三沢光晴が代表取締役社長に就任すると同時に、川田も副社長に就任した。しかし、2000年に今度は三沢を中心とした選手大量離脱が発生する。殆どの所属選手・フロント陣が辞表を提出し、結局選手として残ったのは川田と渕正信、そして太陽ケア(当時はマウナケア・モスマン)の3人だけであった。この際川田は「(離脱するという話を三沢や田上から)聞いていない。」と語り、「全日本の看板を捨て切れなかった。」と残留の理由を語っている。良くも悪くも川田の人柄がうかがえる台詞ではある。

実はこの大量離脱のきっかけとなった事件、「三沢光晴代表取締役社長辞任」の数日後に川田一人だけ全日本との契約を更改している。この当時の全日本では一試合幾らの計算で給料が支払われる上、怪我・入院・休場等に関する保障が一切無かった。また、一般の生命保険にもその職業柄加入することが出来ず、休場即ち無給の日々が始まるという状況であった。加えて給与そのものも、全日トップの三沢と新日トップの武藤とでは3倍の違いがあると言われていた。全日本の選手が怪我をしても無理してまでリングに上がっていた理由の一部はここにあり、三沢が改革を実施しようとしていた最重要部分でもあった。兎にも角にも当時の川田は、休場中の治療費等で会社に大量の借金を背負っていたと言われ、ポケットマネーを治療費として出してくれる馬場の逝去後は、金銭的にも困ることが多かったらしい。会社への借金があるために皆が渋っていた契約を更改せざるを得ず、結果離脱できなかったとも囁かれている。そのほかにも欠場中にも川田にだけギャラが支払われていたために残留したという話もあるが真相は定かではない。また、「一選手としてやっていきたい」という理由から副社長を辞任している。

[編集] 全日本残留後

所属選手たった三名で、客を呼べる選手は川田だけになってしまった全日本は崩壊の危機を迎える。この危機に日本プロレス分裂以後、興行仇として袂を分かっていたにも関わらず馬場が「猪木は駄目だがあいつは信じられる」と高く評価していた新日本の坂口征二会長(当時)は迅速に動き、全日本の救済を指示する。あれほどまでに両団体の間には強固な壁が存在していたにもかかわらず、全日本の崩壊危機の前に一瞬にして崩れ去り、渕が7月の新日本の両国国技館大会のリングに突如乱入し「壁を壊しに来ました」と表明、蝶野正洋が突如全日本のリングに表れる等、一昔前までは信じられなかった全日本と新日本の対抗戦が始まった。

この流れで2000年10月9日新日本プロレス東京ドーム大会でIWGP王者佐々木健介と川田利明の対戦が決定する。まさしく馬場と猪木の代理戦争であり、プロレス界の頂上決戦の前にその熱狂は留まることを知らなかった。馬場元子未亡人から贈られたガウンを羽織い川田は東京ドームに乗り込み、戦前の熱狂に負けぬ白熱の名勝負を展開し勝利した。全日本と新日本の頂上決戦に敗れた佐々木健介はIWGP王座を返上、次代の王者決定トーナメントに佐々木を破った男として川田は参戦するも、決勝戦で再び対戦した佐々木健介に敗れてしまった。結果、2000年の全日本と新日本の頂上決戦は1勝1敗の痛み分けに終わる。また、裏切りは決して許さない馬場の意向で、一度退団した選手は決してリングに上げぬ方針を全日本はとっていたが、背に腹は変えられなかったためか「手助けをしたい」という言葉もあって天龍が参戦、再入団が決定する。この直後に川田は天龍とタッグを組むことになったのだが、「何故この段階でタッグを組まなければならないのか。」と、戦うべき相手が隣に居ることに憤っていたという。

新日本との交流と選手派遣、天龍源一郎、そして馬場と全日本を愛していた「ガイジン」の援助で何とか生き延びていた全日本の中で、川田は新日本のリングにも上がり、天山広吉小島聡を完膚なきまでに叩きのめす等、団体のエースとして孤軍奮闘の働きをする。次第に武藤敬司が太陽ケアとのタッグで全日本に上がる機会が多くなり、川田と戦うことも多くなっていた。そして、2002年2月24日の日本武道館にて、当時六冠王(三冠の3本、世界タッグの2本、IWGPタッグの1本で合計六冠。しかし、IWGPタッグは新日本離脱直後の全日本入団に際し返上している。)のプロレス界の栄光を一身に浴びていた武藤敬司と初の三冠選手権試合を行う。武藤を相手に全日本ライクな激しい試合を展開し、これに勝利した。試合後、武藤を破ったリングの上で、「これも、全日本プロレスです。」と大会の最後を締めくくった。相手は違えども「天才」と称される人間を撃破したこと、そして今後の全日本プロレスの形を明確に示せたことへの自信がその言葉に含まれていたのかもしれない。しかし、その先も過去の流れと同じように、防衛戦を行う前に右肘の負傷が悪化し、長期離脱に追い込まれてしまった。

2003年の復帰後からは、全日本だけでなくZERO-ONEのリングにも精力的に上がりだし、ここで「暴走王」小川直也、そして三銃士の一人であった橋本真也との一騎打ちも実現した。

2004年からはその流れでハッスルに参戦。当初は無骨な表情で全日本と変わらずハードな試合を展開しているだけであったが、「キャプテン・ハッスル」の小川直也にブルース・リーが身に着けていたことで有名な黄色いジャンプスーツをリング上で受け取って以来、次の大会からは本当にジャンプスーツを身に着けて「ハッスルK」として試合を行うようになった。元々お笑い好きで喋り好きなこともあってか、高田総統との舌戦やインリン様との遺恨対決、付け人の石狩太一との「控室劇場」などに即座に対応、新境地を開いている。

2005年2月16日小島との三冠戦で11度目の防衛に失敗。これにより約16年間続けてきた平成デビューの日本人選手相手のシングル無敗記録が途絶える。ここまで無敗記録を続けてきたが、小島に敗れたあと、ケンドー・カシン藤田和之にも敗れ、1年間で3人もの平成デビューの日本人選手に敗れる(小川直也にもピンフォールを奪われるが、この時は試合内容を判定材料にする特別ルールが適用され川田の勝ちなので除く。)。

[編集] 無所属宣言

2005年3月、無所属(川田は「フリー」という言葉は好きではないとしてこう称する。)選手である事を宣言した。その際、ジャイアント馬場の死後6年間に渡って、正式な専属選手契約を交わさないまま、即ちフリーの立場で全日本プロレスに出場していた事実を明らかにし、「他団体主催の興行に出場した時、それが全日本の興行がぶつかると、ファンやプロモーターから『全日本所属なのになぜ?』と苦情を言われてきた。この誤解を解きたい。」と理由を述べている。なお、石狩も「川田さんの付け人を全うしたい。」として、全日本プロレスを退団しているが、両者とも引き続き全日本プロレスにレギュラー出場する旨を表明した。だが2005年7月以降約1年間全日マットに上がる事はなかった。なお、これに先立ち、2003年太田プロダクションとタレント契約を交わしており、マット界の窓口業務的な役割はドリームステージエンターテインメントが担っている。

[編集] 三沢との5年ぶりの戦い

2005年7月18日、プロレスリング・ノアの東京ドーム大会で5年4か月振りに三沢光晴と対戦(三沢は「今しか出来ないなら」、川田は「お客さんが一番望むものを提供するのがプロ」、「忘れ物を取りにいく」)。超危険技をお互いに出し合った末、三沢がエルボーで勝利。試合後のマイクで「三沢さん、あえて握手はしません。ずるい話かもしれないけど、今日打つはずだった終止符が打てなくなりました。三沢光晴はいつまでも、オレの1つ上の先輩の力を持っていてください。」と語りかけた。これに対してノアの仲田龍専務はこの試合後の川田のマイクが原因で三沢と共に呆れてしまい、「ノアマットへの継続参戦は不可能になった。」とコメント(2006年1月サムライTVにて)。プロレス格闘技DXである読者が、この件について仲田へメッセージを投稿したところ、川田をノアのマットに二度と上げないと断言した。又、川田はこの試合後、控え室での敗戦インタビューで「5年間やってきた事がこの一試合で台無しとなった。」とコメントした。

[編集] ハッスルKからモンスターKへ

三沢戦の3日前には大阪府立体育会館での「ハッスル11」で、タッグマッチながらインリン様と戦い、両極端の方向性を持つ2つの試合を無理なくこなす幅の広さを見せた。しかし、後にプロレス誌「紙のプロレス」に掲載されたインタビューによると、一つのことにしか集中できない性格のため、インリン様との試合が終わるまで三沢戦に集中できなかったと告白している。8月には新日本プロレスの夏の祭典G1に初参加し、蝶野正洋とシングルで対戦。いわゆる四天王三銃士全てとのシングル対戦を達成する。蝶野を倒せば三銃士からすべてシングル勝利達成だったが敗れる。藤波辰爾との初対決も実現し勝利する。試合後藤波と握手し「試合後の握手は嫌いだが、レスラーになったきっかけの一人であるから。」とコメントを残す。その他このG1では全日時代にシングル戦が実現しなかったカシンにも敗れ、そして準決勝では藤田に敗れる。

「ハッスル12」で、ハッスル軍を裏切り高田モンスター軍に寝返って、以降は「モンスターK」を名乗る。「ハッスルマニア2005」では、インリン様らとタッグを結成し、人気芸人のHGとも対戦。11月23日には、「U-STYLE Axis」の旗揚げ戦でイリューヒン・ミーシャを相手に、1999年の高山戦以来6年ぶりのUWFスタイルで対戦した。一方で、ルチャスタイルのdragondoorにも参戦している。

2006年4月の「ハッスル16」での5対5勝ち抜き戦では、大谷晋二郎を下した後、WWEでトップレスラーの一人でもあったTAJIRIと初遭遇。相手の策力に嵌まり、両者リングアウトとなる。3日後の「ハッスル・ハウスVol.13」では、TAJIRIに向かい「お前と決着つけてやるよ!」と迫るも、TAJIRIは「そういう知性のカケラも感じないような言葉、大嫌いなんですよ。体が痛くて、しばらくあなたとはやりたくありません。」とすかされ、セリフ自体はハッスルのアングルに沿ったものでありながらも、両者のプロレス観の違いをよく表したシーンとして、観衆の拍手を浴びた。また、高田総統のコスチュームを着用し、イベントで「川田総統代理」として登場した。その姿をTAJIRIからは「がきデカみたい」と言われた。

「1クールのレギュラーより1回の伝説」を旗印に「伝説を作りにきた」と参戦したハッスル軍のファイナルウェポン江頭2:50に対抗して、黒タイツで「川田19:55」として参戦して江頭に一言物申して会場の大声援を受けた。「ここのリングは 大の大人が なんでも どんなことでも 真剣に取り組むリングなんだ。」とプロとしての名言を吐いた(19:55とは登場した際に後楽園ホール壁にある時計を見たからと思われる。)。江頭が「俺が言うのもなんだけど、あんた頭おかしすぎる。」「あいつ一人勝ちじゃねーか。」「あんな強敵がいるとは思わなかった。」「伝説作りに来たのにあいつに伝説つくられちゃったよ。」と「芸人最終兵器」が自らの完敗を認めた「超レア芸人」となった。

[編集] 一年ぶりの全日本

小島から三冠を取った太陽ケアから初防衛相手に指名され、川田は承諾し、1年ぶりに全日本マットに参戦。2006年8月27日東京・両国国技館で太陽ケアの三冠に挑戦するも、1年ぶりの全日本マットで勘が鈍っていたのか太陽ケアに初めて敗れた。

世界最強タッグ決定リーグ戦2006に武藤敬司とのタッグで出場。初戦ではテンコジを敗るが、決勝進出決定戦ではリベンジされる。

2007年1月4日の新日本プロレス・全日本プロレス創立35周年記念東京ドームでは、川田曰く「全日本プロレスの一員として参加」し、中邑真輔と初シングル戦を行い勝利。この大会のベストバウトと称えられ、「名勝負製造機」ぶりを遺憾なく発揮した。

2007年2月17日両国での世界タッグ王座決定戦では太陽ケアと組み、諏訪魔、ロージー組を破りベルトを獲得した。意外だが2000年の大分裂後、川田が世界タッグを取ったのは初めてである。
3月にはチャンピオンカーニバルに出場。決勝まで行ったが武藤に破れ、惜しくも10年ぶりの制覇とはいかなかった。

[編集] タイトル歴

全日本プロレス
第12代(防衛1回)
第18代(防衛0回)
第21代(防衛0回※)
第28代(防衛0回※)
第32代(防衛10回)
※印は負傷による返上。
第17代(防衛1回)&三沢光晴
第20代(防衛0回)&三沢光晴
第22代(防衛2回)&田上明
第26代(防衛3回)&田上明
第28代(防衛0回)&田上明
第31代(防衛1回)&田上明
第35代(防衛4回)&田上明
第42代(防衛0回)&田上明
第52代 &太陽ケア
第45代(防衛2回)&サムソン冬木(冬木弘道)
第47代(防衛3回)&サムソン冬木
第49代(防衛1回)&サムソン冬木

[編集] 三冠戦での戦績

  • 1991年10月24日 神奈川・横浜文化体育館 vs ジャンボ鶴田 ×19分05秒岩石落とし固め
  • 1992年6月5日 東京・日本武道館 vs スタン・ハンセン ×21分18秒エビ固め(ウエスタンラリアット)
  • 1992年10月21日 東京・日本武道館 vs 三沢光晴 ×29分52秒猛虎原爆固め
  • 1993年7月29日 東京・日本武道館 vs 三沢光晴 ×25分53秒猛虎原爆固め
  • 1994年6月3日 東京・日本武道館 vs 三沢光晴 ×35分50秒エビ固め(タイガードライバー'91)
  • 1994年10月22日 東京・日本武道館 vs スティーブ・ウィリアムス ○37分58秒片エビ固め(ジャンピングハイキック)
    • 第12代王者に。
  • 1995年1月19日 大阪・大阪府立体育会館 vs 小橋建太 △60分時間切れ引き分け
  • 1995年3月4日 東京・日本武道館 vs スタン・ハンセン ×31分26秒片エビ固め(ウエスタンラリアット)
    • 防衛に失敗、防衛1回
  • 1995年7月24日 東京・日本武道館 vs 三沢光晴 ×24分16秒片エビ固め(ランニングエルボー)
  • 1996年6月7日 東京・日本武道館 vs 田上明 ×17分41秒片エビ固め(高角度喉輪落とし)
  • 1996年10月18日 東京・日本武道館 vs 小橋健太 △60分時間切れ引き分け
  • 1997年6月6日 東京・日本武道館 vs 三沢光晴 ×31分22秒原爆固め
  • 1998年5月1日 東京・東京ドーム vs 三沢光晴 ○28分05秒エビ固め(三冠パワーボム)
    • 第18代王者に。
  • 1998年6月12日 東京・日本武道館 vs 小橋健太 ×33分49秒片エビ固め(ラリアット)
    • 防衛に失敗、防衛0回
  • 1999年1月22日 大阪・大阪府立体育会館 vs 三沢光晴 ○24分15秒片エビ固め(垂直落下式ブレーンバスター)
    • 第21代王者に。右腕負傷の為、王座返上。
  • 1999年7月23日 東京・日本武道館 vs 三沢光晴 ×21分58秒片エビ固め(タイガードライバー'91)
  • 2002年2月24日 東京・日本武道館 vs 武藤敬司 ○27分37秒エビ固め(パワーボム)
    • 第28代王者に。防衛戦を前に負傷、王座返上。
  • 2003年9月6日 東京・日本武道館 vs 大谷晋二郎 ○21分34秒体固め(座っている大谷への延髄斬り)
    • 第32代王者に。
  • 2003年10月26日 東京・日本武道館 vs ドン・フライ ○17分05秒レフェリーストップ(ストレッチプラム)
  • 2004年1月18日 大阪・大阪府立体育会館 vs 天龍源一郎 ○17分59秒片エビ固め(垂直落下式ブレーンバスター)
  • 2004年2月22日 東京・日本武道館 vs 橋本真也 ○19分57秒TKO(セコンドによるタオル投入)
  • 2004年5月8日 神奈川・横浜アリーナ(注1) vs ミック・フォーリー ○12分56秒片エビ固め(キック)
  • 2004年6月12日 愛知・愛知県体育館 vs ジャマール ○18分01秒レフェリーストップ(ストレッチプラム)
  • 2004年7月18日 東京・両国国技館 vs 大森隆男 ○22分36秒体固め(座っている大森へのランニング顔面回し蹴り)
  • 2004年9月3日 神奈川・横浜文化体育館 vs 西村修 ○27分12秒片エビ固め(座っている西村へのランニング顔面蹴り)
  • 2004年10月31日 東京・両国国技館 vs 太陽ケア ○26分44秒エビ固め(パワーボム)
  • 2004年12月5日 東京・両国国技館 vs 天山広吉 ○32分21秒片エビ固め(座っている天山へのランニング顔面蹴り)
  • 2004年1月16日 大阪・大阪府立体育会館 vs 佐々木健介 ○23分27秒片エビ固め(座っている佐々木へのランニング顔面蹴り)
  • 2005年2月16日 東京・代々木競技場第二体育館 vs 小島聡 ×27分04秒片エビ固め(ラリアット)
    • 防衛に失敗、防衛10回。
    • 注1 この試合はハッスル3のリングで開催。
  • 2006年8月27日 東京・両国国技館 vs 太陽ケア ×24分51秒エビ固め(パワーボム)

三冠戦での通算戦績は29戦15勝13敗2分。(引き分けでは王座は移動せず)現在、三冠ヘビー級王座の5度の戴冠は最多タイ(他に三沢光晴)、連続防衛10回は最多記録。かつては怪我に泣かされ、王座返上もあったが、負傷こそ彼の手を抜かない姿勢の表れと言えよう。また、防衛失敗における相手の決まり手が、いずれもラリアットなのが興味深い。なお、1992年6月5日のスタン・ハンセン戦はプロレス大賞年間最高試合賞を受賞している。

初めて勝って防衛したのは2003年10月26日の日本武道館ドン・フライ戦で、94年に初めて三冠を取って以来、引き分け防衛はあったものの、勝って防衛を達成させるまでに9年もの年数がかかった。

[編集] 得意技

二代目タイガーマスクと一緒にキックの練習を積んだことがきっかけで、キック主体のスタイルを確立する。誰でも出来て威力の高いある意味プロレス的ではないキックを用いながらもオーソドックスなプロレスらしさを表現できる稀有な存在である、又最近はまったく見られなくなったが、武藤との試合で弓矢固めを見せるなど、器用な面もある。それと同時に天龍同盟時代の師である天龍源一郎の得意技を数多く引き継いでいる(パワーボム、起き上がり溢し式チョップ等)。

ジャンピングハイキック(顔面蹴り)
ジャンプして相手の側頭部や顔面を蹴り飛ばす豪快な技。基本的には試合終盤に用いられ、その威力から流れを一気に変えたり、そのままフィニッシュにもなったりする。また、走りこんでくる相手へのカウンターにも使え、使用頻度は高い。
デンジャラス・バックドロップ
彼のあだ名「デンジャラス・K」の名をとったバックドロップ。相手の後方側面から腕を回し、軽く飛びながらとんでもない角度で首から後方に叩き落とす。まさしく彼の「必殺技」と呼ぶにふさわしい技である。
垂直落下式ブレーンバスター
元々ブレーンバスターはその名前の通り脳天にダメージを与える技であったが、余りに危険な為か、ただ後方に背中を打ち付ける形で使われていた。そんな中で川田はブレーンバスターの本来の意味を取り戻し、「垂直落下式」として絶対的なフィニッシュとしてその価値を取り戻した。最近ではこの技をフィニッシュとする人間は多いが、川田がその走りである。
パワーボム
最近では繋ぎ技として用いられることが多くなったが、川田のそれは叩きつける時の勢い、そして全身で相手の体に覆い被さってフォールを取ろうとする気持ちがフィニッシュとしての説得力を十二分に与えている。
三冠パワーボム
1999年1月22日の三沢光晴との三冠戦にて、パワーボムを決めようとした川田を三沢はウラカン・ラナで切って返そうとした。しかし全身で川田はコレを踏ん張り、だらんと体がリングに垂直になった三沢光晴をそのまま杭を打つかの如くツームストンパイルドライバーのような形で垂直落下に叩きつけた。後に武藤敬司にもこれを繰り出し三冠を奪取している。
この時、直前に放った後頭部裏拳により既に右腕尺骨を骨折していたが、それでも戦いウラカン・ラナを踏ん張った。川田の執念により生まれた技とも言える。
「スタンプホールド」とも呼ばれる。
サッカーボールキック
相手の背中に放つキック。スタン・ハンセンや、超世代軍時代にライバルとして抗争していた田上明戦では良く見せた。ハンセン戦ではお互いにこの技をやり返すシーンが頻繁に見られた。タッグマッチでのカットで晩年の馬場の背中に思い切ってみまったことがある。馬場はその後リングサイドで試合終了まで動けなくなった。馬場への遺恨があったのではないかと話題になった。
フロントハイキック
「ディイイイイイヤ!!」と叫びながら走りこみ、相手の顔面に右足の裏を叩き込む見た目も威力も強烈な技。ロープに振っての「カウンター式」や、コーナーにもたれかかっている相手に対し繰り出す「串刺し式」も存在する。なお、一時期観客も「ディイイイイイヤ!!」とそれに呼応して叫んでいたが、本人は気に入らないらしく自粛されていった。
オーバーヘッドキック
背面からのクラッチに対して斜めに後方回転して相手の顔面に蹴りを叩き込む。ただし、無理な体勢から放つため目測を誤り背中に当たることが多い。
スピンキック
相手をロープに振っての後ろ回し蹴り。川田のそれは回転しながら斜めに倒れこむようにして蹴り足を高く上げ、ふくらはぎから先で相手の胸部から顔面にかけて狙う独特のものである。試合序盤でよく使うムーブメントの1つ。
ステップキック
相手の後頭部を掴んで前かがみにさせた状態で、顔面に足の甲で軽い蹴りを何発も叩き込む。顔面に何度もというところから、痛み以上に相手のプライドと覇気を削るのに適した技。最後に思いっきり蹴り上げたり、首筋に踵落としをすることもある。三沢光晴を相手に繰り出した場合は、必ず強烈なエルボーのお返しがくる。
浴びせ蹴り
相手に向かって前方宙返りするように回転しながら踵を浴びせる蹴り技。相手をコーナーに押し込み、避けられない状態にして放つことが多い。串刺し式フロントハイキックとの併用で隠し技的に使用するが、滅多に見せない。
おきあがりこぼしチョップ
左手で相手の左手首を取り右手で逆水平チョップを放ち、相手がマットにダウンしたと同時に左腕をグイと引き寄せ起こし、再び逆水平チョップを放つ動作を繰り返す。
ラリアット
スタン・ハンセンや小橋建太のような代名詞となりえる威力は無いが、川田利明が試合を組み立てる上で非常に重要な位置にあるのもまた事実である。本人もこの技に思い入れがあるらしく、右肘を負傷しているのに、意地になって何度も繰り出したこともある。クローズラインに近い。スピードがあるのが特徴。スティーブ・ウイリアムスから、シングル初勝利を奪ったのはこの技である。
後頭部裏拳
  • 名前の通り、後頭部に裏拳を叩き込む非常に危険な技。1999年1月22日、三沢光晴との三冠戦の序盤にこれを放つが、この際に自身の右腕を骨折してしまう。なんとか執念で勝ちをもぎ取るものの、この怪我で川田は三冠の返還を余儀なくされる。
  • 試合後、勝利した照れから「裏拳でヒビが入り、ウラカン・ラナを踏ん張ったときにボキッといった」と冗談を言ったあと、「ここまで(腕を犠牲に)しなくちゃ、獲れないベルトなんだろうね」と感慨深げに話している。皮肉にもこの9日後にジャイアント馬場が亡くなり、川田は棺を担ぐ事ができなかった。
ストレッチ・プラム
  • しりもち状態の相手の後ろに立ち、相手の右脇に右手を指し込み、左肘で相手の顔面を絞り上げ(ドラゴンスリーパー)、相手の足の間に自分の足を間に挟むことで下半身を固定し、上半身と下半身を反対の方向に思いっきりねじりあげる。数少ない完全川田オリジナルの絞め技であり、これで決着がつくことも多い。開発当初はスタンディングで繰り出していた。
  • なお、名前の由来は、当時試合前に前座でコントを行っていた「松竹梅」というトリオがおり、その内の仲が良かった(英語でプラム)がこの技を提案した為である。先輩の故冬木弘道がこの技をパクって「冬木スペシャル」として使っていたが、冬木曰く「小指の角度が違う」らしい。
ランニング顔面蹴り
  • 座った相手に走りこんで、顔面に蹴りを入れる。柴田勝頼の必殺技「P.K.(ペナルティ・キック=座った相手に走りこんで、胸板に蹴りを入れる技)」とよく似ているので、デンジャラス・キック(D.K.)とも呼ばれる。他にも座っている○○(対戦相手)へのランニング顔面蹴り、ランニング顔面ローキック、デンジャラス・シュートなど様々な名称があるが正式名は決まっていない。
  • 元となったのは、高山善廣の顔面に蹴りを入れて失神KO(決まり手はリングアウト)させたことから来ている。この試合をレフェリングしていた和田京平は、ジャイアント馬場の墓前で「自分の配慮が足りないばかりにこのような事態を引き起こしてしまった」と涙ながら語った(この試合において、「事前の打ち合わせ」がほとんど行われていなかったとも言われている)。その様子を見ていた馬場元子夫人が、それから後に全日本プロレスの内情に口をはさむようになり、選手大量離脱を引き起こすキッカケとなった、というエピソード(馬場元子著「ネェネェ、馬場さん」参照)がある。
腕ひしぎ十字固め
最近はあまり見せることは無いが、隠し技的に使用することがある。かつてゲーリー・オブライトからギブアップをとった事も。2007チャンピンカーニバルで、決勝進出がかかった小島 聡戦でもこの技を使用。ギブアップを奪い、10年ぶりの決勝進出を決めた。
聖鬼軍スペシャル95
川田がバックドロップ、田上がノド輪落としを繰り出す。角度もキツイうえ、二人の得意技ということもあって、非常に威力がある。

[編集] 入場テーマ曲

  • 「ラストバトル」(アニメ「バリバリ伝説」より)(超世代軍結成期に使用)
  • 「Holy War」(通常)
  • 「Holy War(B.B.B.バージョン)」(98、99年頃使用)
  • 「Holy War 21」(2000年10月9日、新日本・東京ドーム大会より使用。初披露はその前日のファン感謝デー)
  • 「ソウルドラゴンのテーマ(Blue Eyed Soul)」/CARL DOUGLAS(ハッスルK)
  • 交響曲第9番 ホ短調 作品95, B.178「新世界より」(Z nového světa)第四楽章」/アントニン・ドヴォルザーク(モンスターK)

[編集] 人柄

  • デビュー以来引き分けを入れて205連敗というドン底からトップレスラーまで這い上がってきたように、プロレスに対する根性は人一倍である。ヘビー級の中では小柄な身体ながら根性でトップを張ってきたため、前歯は折れてほとんど無い。試合時は義歯を外している。
  • 超世代軍とジャンボ鶴田との戦いの時代、川田は鶴田に何度もパワーボムを試みたが、結局は一度もパワーボムで鶴田を持ち上げる事はできなかった。
  • ハッスルに参戦するまではマイクパフォーマンスをほとんどしなかったこともあり、寡黙で冗談が通じないという印象が強いが、それは自ら作り上げたギミックであることをラジオ番組の中で明かしている。普段は話好きでユーモアあふれる人物。高校時代、控室で三沢にやたら話しかけて叱られたというエピソードがある。話術は巧い部類に入り、テレビ中継の解説で「あいつを殺すには武器は要らない。ダンベルを取り上げればいい」と小橋建太の練習好きをさりげなく、しかしユーモアを込めて取り上げ、ハッスルでは、高田総統やインリン様の挑発への切り返しや、田中将斗との控室トークで「田中」が日本ではありふれたであることに引っ掛けたボケを見せ、三沢とのシングル対決を行ったノア東京ドーム大会への参戦表明では「7月18日、その日は空けてあります」とシンプルながらも強い印象を残すセリフを吐いたりしている。
  • 漫才、コントなどいわゆる「お笑い芸」の鑑賞を趣味とし、芸人との交友は広い。特にダチョウ倶楽部上島竜兵と仲が良く、川田の紹介で彼と志村けんとの親交も生まれた。得意技の一つストレッチ・プラムは公開当時に活躍していたコントグループから名を取り(「主な得意技」の「ストレッチ・プラム」の項参照)、「ハッスルハウス Vol.2」ではダチョウ倶楽部の肥後克広をリングに上げ、2人でハッスルポーズを決めている。ウリナリでは勝俣州和股割りのスペシャルコーチとして登場した。最近では300km/hを体験するということでレーシングバイクに乗せられ絶叫したりもした。
  • 三沢光晴を崇拝しているが、三沢からは露骨に嫌われている。ファンはそんな川田を愛している。
  • プロレス界の風習となってしまった「引退→復帰」の流れを極端に嫌っている為、「俺がプロレス辞める時は『引退』ではなく『休業』という事にしてくれ。」と述べている。

[編集] 関連書籍 

  • 『俺だけの王道 川田利明自伝」』小学館、2003年、ISBN 4093874123

[編集] 外部リンク

他の言語

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