阿蘇山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]()
南阿蘇村・くまもと清陵高等学校付近から見た阿蘇山
|
阿蘇山(あそさん)は、熊本県の東部に位置する活火山で、世界最大級のカルデラ(火山の活動によってできた大きな凹地)と雄大な外輪山を持つ。「火の国」熊本のシンボル的な存在として親しまれている。火山活動が平穏な時期には火口に近づいて見学できるが、活動が活発化したり、有毒ガスが発生した場合は、火口付近の立入りは規制される。
外輪山の内側を中心として阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。温泉や観光・レジャースポットが点在する有数の観光エリア。夏になると多くのライダーがツーリングで訪れる場所である。阿蘇山は、あくまで俗称であり正式には阿蘇五岳(あそごがく)という。現噴火口のある山は「阿蘇中岳」)
目次 |
[編集] 阿蘇の範囲
[編集] 中央火口丘群
一般に阿蘇山と呼ぶ場合、中央火口丘群の根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳の5つの山の総称。最高地点は高岳の1592mで、「ひごくに(肥後国)」の語呂合わせで覚えられる。日本百名山で紹介された阿蘇山の範囲もこの領域。中岳の火口は現在も噴煙を上げ続け時々噴火する活火山で、火口西側まで道路が通じている。
[編集] カルデラ火山としての阿蘇
更に大きい範囲では30~9万年前に発生した4回の巨大カルデラ噴火により形成された阿蘇カルデラがある。その大きさは世界最大級と言われる[1]。カルデラを取り囲む外輪山も阿蘇火山に含まれ、東西約18km・南北約25kmに及ぶ。カルデラを見下ろす大観峰などはカルデラ噴火前の火山活動による溶岩とカルデラ噴火による火砕流堆積物(溶結凝灰岩)でできた山である。
カルデラ盆地は中央火口丘によって南北に二分され、北を阿蘇谷、南を南郷谷という。阿蘇谷は阿蘇市に、南郷谷は阿蘇郡高森町および南阿蘇村に属する。阿蘇谷には、熊本と大分を結ぶJR豊肥本線が通り、その立野駅から分岐する第三セクター・南阿蘇鉄道が南郷谷を走っている。カルデラ内で村や町が発展し「カルデラの中に住んでいる」というのは阿蘇山を知らない人達にとっては驚きである。
[編集] 火砕流台地の範囲
9万年前の巨大カルデラ噴火による噴出物は600km³(ほぼ富士山の山体全部の大きさ)以上に達し、火砕流は九州の半分を覆ったと推定されている。特に厚く堆積した地域では火砕流台地となって残っている。この台地は九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っている。宮崎県の高千穂や大分県の竹田市などもその中に入る。
[編集] 歴史
[編集] 先阿蘇火山群
30万年以上前に現在の外輪山などを形成している火山群の噴火があった。
[編集] 巨大カルデラ噴火
約30万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回(Aso1~4)あった。地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、巨大な窪地(カルデラ)が形成された。その中でも4回目の噴火(Aso4)が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、火山灰は北海道に至る日本全土の他朝鮮半島でも確認されている。Aso4の火山灰でできた地層を見つければ、9万年前の地層であることがはっきり分かるため、植物学、考古学など様々な研究で時代を示す指標として使われている。
[編集] 中央火口丘群
高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳は、上記4回目の巨大カルデラ噴火後に活動した火山。中岳は現在でも活火山として活動中。根子岳は4回目の巨大カルデラ噴火よりも古いと推定されている。
[編集] 有史以後
カルデラ内は湧き水が豊富で平坦な地形が続いているため、農業生産に適していた。古くから人が住み、集落を形成していた。7世紀の中国の歴史書「隋書」にも「阿蘇山」の名が見え、火を噴き上げる山として知られていた。 阿蘇市一の宮町にある阿蘇神社は肥後国一宮としての格式を持ち、その宮司の阿蘇氏は古代の国造の子孫で現在まで世襲されている。
[編集] 温泉
阿蘇山は巨大な火山ゆえに、その周辺はたくさんの温泉に恵まれている。阿蘇くじゅう国立公園に属し、カルデラ内には阿蘇内牧温泉や阿蘇赤水温泉の温泉街があり、烏帽子岳周辺には垂玉温泉や地獄温泉などの一軒宿がある。外輪山北の南小国町には、黒川温泉などのたくさんの温泉が湧出しており、国民保養温泉地にも指定されている。
[編集] 伝説
[編集] 根子岳のギザギサ頭
高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳そして末っ子の根子岳は誰が一番早く高くなれるか競っていた。 結果、根子岳が長男の高岳さえも追い抜いて一番高くなった。しかし、それは鬼たちに阿蘇の国で 自由に暴れさせる代わりに竹田から土を運んで自分の頭に積ませたからだった。 これを知った阿蘇大明神は激怒し、根子岳の頭をピシャリピシャリと何度も叩いた。そのおかげで 根子岳の頭はギザキザになってしまった。
[編集] 肥後国の猫
肥後国の猫は 7 歳になると根子岳へ修行に来るという。 そして人に化けて迷った旅人をおびき寄せ、 散々振る舞った後、寝ているスキに食べるそうだ。
[編集] 火口瀬
大昔の阿蘇は外輪山に切れ目が無く、その中には水がたまって広大なカルデラ湖になっていた。健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇大明神)はこの水を無くして田畑を造ろうと考えた。そこで、外輪山の一部を蹴破ることにした。 一度目に挑戦した場所はなかなか蹴破れない。というのもその場所は山が二重になっていているからで、 以後「二重(ふたえ)ノ峠」と呼ばれるようになった。 別の場所で再挑戦すると今度は見事に蹴破ることができた。しかし、そのはずみで健磐龍は 尻餅をついてしまって「立てぬ!」と叫んだ。以後その場所は「立野(たての)」と呼ばれるようになった。 また蹴破った場所からは大量の水が流れ出し滝となり、数匹の鹿も流されたことから、以後 「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。 湖水が引いてくると底から巨大なナマズが現れた。ナマズが湖水をせき止めていたため、健磐龍は太刀でナマズを切り、ようやく湖水は流れ去ったという。
[編集] 的石伝説
阿蘇市的石の地名の語源でもある“的石”は北外輪山のふもとにある石でその昔、阿蘇神社の祭神である健磐龍命(阿蘇大明神)が阿蘇五岳の外れにある往生岳(往生岳は五岳に含まれない)から弓の稽古をする時に的にしたという伝説からこの名がつけられている。ちなみに往生岳山頂から的石までは約7キロメートルほどの距離となっている。 また、往生岳から的石まで射られた矢は健磐龍命の従者で鬼八という足の速い男が往生岳から的石まで走って取りにいき健磐龍命に渡していた。99回目までは鬼八も的石と往生岳を往復して矢を運んでいたが100回目に疲れて的石から往生岳めがけ矢を投げ返した。 その矢がたまたま健磐龍命の腿に当たってそれに腹を立てた健磐龍命は鬼八を成敗しようとして追った。 鬼八は阿蘇中を逃げ回り、更に阿蘇の外まで逃げ、そこで一息ついて八回屁をひったといわれその場所の地名である矢部の語源になったと言われる。 その後鬼八は健磐龍命に追われついには捕らえられ首をはねられたが、不思議なことに首をはねてもはねてもすぐに首は元通りにくっつく。そこで腕や足をはねてみたがやはりすぐに元通りとなる。 そこで健磐龍命は鬼八の体をばらばらに切り、それぞれを離れた場所に埋めた。そうするともう鬼八はよみがえることがなくなったという。 しかしその後、鬼八の怨念は阿蘇の地に早霜を降らせるようになり稲に大きな被害が出るようになった。 そこで健磐龍命は役犬原という場所に霜の宮と名づけた社を建て鬼八の怨霊を鎮めたという。現在でも霜宮神社では幼い女子が59日間火を絶やさずお籠りをするという神事が残っている。 また、高千穂にも“鬼八伝説”が残っている。阿蘇の鬼八と共通した特徴もあり関連性があるのではないかと思われる。
[編集] 阿蘇山を舞台とする作品
- 『空の大怪獣ラドン』 - ラドンの生誕地。物語のクライマックスとして登場した。
- 『三大怪獣 地球最大の決戦』 - 上記に続く形として登場。
- 『日本沈没』(2006) - 大雪山に続いて噴火する。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 実際は日本で2番目で、1位は北海道の屈斜路カルデラ、2位が阿蘇カルデラ。また3位は鹿児島県の桜島の北にある姶良カルデラである。ちなみに世界一はインドネシアのトバカルデラ(長軸約100km×短軸約30kmの楕円形)である