陸奥 (戦艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1918年6月1日 |
進水: | 1920年5日31日 |
就役: | 1921年10月24日 |
その後: | 1943年6月8日に爆発、沈没 |
除籍: | 1943年9月1日 |
性能諸元(竣工時) | |
排水量: | 基準:32,720t |
全長: | 251.80m |
全幅: | 28.96m |
吃水: | |
機関: | 80,000馬力 |
最大速: | 26.7ノット |
航続距離: | |
兵員: | |
兵装: |
陸奥(むつ)は旧陸奥国を名前の由来に持つ、日本海軍の戦艦で、長門型戦艦の2番艦。
目次 |
[編集] 概要
ワシントン海軍軍縮条約で未完成艦は廃艦になることになりそのリストが作られ、その中には陸奥が含まれていた。日本側は陸奥は完成していると主張したが、英米は未完成艦であると主張した。
事実、陸奥は10月24日完成と言うことになっているが、実際には突貫工事をしたが間に合わずに一部未完成のまま海軍に引き渡されている。
最終的に日本側の主張に対し英米は陸奥の保有を認めることになるが、その代わりアメリカは廃棄が決まっていたコロラド級2隻の建造続行を、イギリスは2隻の新造(後のネルソン級)を認められた。
[編集] 陸奥爆沈
太平洋戦争中の1943年6月8日、呉港沖柱島泊地にて停泊中の陸奥は、連合艦隊旗艦の長門が修理を終えて柱島泊地に向かっているため、午後一時より旗艦ブイより繋留替えをする予定であった。陸奥の航海科員が錨地変更作業の準備をしていた12時10分ごろ、突然三番砲塔付近から煙が噴きあがった。と、同時に突如爆発を起こし、一瞬のうちに船体は切断沈没した。乗員1,470人のうち助かったのは350人であり死者のほとんどは溺死でなく爆発によるショック死だった。
陸奥の南南西約1,000mに停泊していた戦艦扶桑は「陸奥爆沈ス。一二一五」と発信、以後陸奥に関する一切の発信は禁止された。
爆発事故直後に査問委員会が編成され、事故原因の調査が行われた。検討の結果、自然発火とは考えにくく、人為的な爆発である可能性が高い(この説を採る場合にも、行為者や動機などの詳細は不明)とされたが、真相は未だに明確になっていない。謎めいた陸奥の最期は、幾つかのフィクションの題材ともなった。 陸奥爆発の原因は、スパイの破壊工作説、3式砲弾の暴発説、乗員の自殺説などが挙げられている。旧海軍では、乗員の自殺に伴う爆発沈没事故が度々発生しているが、軍の暗部を隠蔽するため、いまなお原因不明の事故とされている。(なお、陸奥爆沈時の第一艦隊司令長官であった清水光美中将は責任をとらされる形で予備役に編入されている。)
1970年から深田サルベージ株式会社(現:深田サルベージ建設株式会社)主導によるサルベージが再開され、山口県大島郡周防大島町の陸奥記念館では、引き揚げられた艦体の一部や乗員の遺品などが展示されている。引き揚げ当初は1500tクレーンによって艦尾引き揚げを試みたが引き上げワイヤーが切断し断念された。その後、第4砲塔が引き揚げられ内部から数点の遺骨が回収された。
また引揚げられた鉄材は、当然ながら戦前に精錬された鉄であるため、現在生産されている鉄と異なり製造の過程で混入する放射性物質を含んでいない。そのため、特に放射性物質の混入が望まれない一部の放射線測定装置[1]には引き上げられた陸奥の鉄が使われている。また、ガイガーカウンターの隔壁用などに、「陸奥鉄」として重宝されている。
[編集] 艦歴
同型艦
[編集] 歴代艦長
- 1920年5月1日 小牧自然(海兵25期)(艤装員長)
- 1921年3月1日 小牧自然
- 1921年12月1日 黒瀬清一(海兵26期)
- 1922年12月1日 寺岡平吾(海兵26期)
- 1923年12月1日 原敢二郎(海兵28期)
- 1924年11月10日 米内光政(海兵29期)
- 1925年12月1日 池田他人(海兵29期)
- 1926年12月1日 枝原百合一(海兵31期)
- 1927年12月1日 堀悌吉(海兵32期)
- 1928年12月10日 吉田善吾(海兵32期)
- 1929年11月30日 阿武 清(海兵33期)
- 1930年12月1日 毛内 効(海兵33期)
- 1931年12月1日 菊野 茂(海兵34期)
- 1932年5月1日 和田専三(海兵34期)
- 1932年11月1日 安藤 隆(海兵34期)
- 1933年11月15日 糟谷宗一(海兵35期)
- 1934年11月15日 細萱戊子郎(海兵36期)
- 1935年11月15日 春日 篤
- 1935年12月2日 桑折英三郎
- 1936年12月1日 後藤英次(海兵37期)
- 1937年12月1日 高木武雄(海兵39期)
- 1938年11月15日 五藤存知(海兵38期)
- 1939年11月1日 保科善四郎(海兵41期)
- 1940年11月15日 小林謙五(海兵42期)
- 1941年8月11日 小暮軍治(海兵41期)
- 1942年6月20日 山澄貞次郎(海兵44期)
- 1943年3月10日 三好輝彦(海兵43期)
- 1943年6月8日 爆沈
[編集] 脚注
- ^ 長崎大学原爆後障害医療研究施設の体内放射線測定装置ヒューマンカウンターなど
[編集] 参考文献
- 吉村昭『陸奥爆沈』(新潮文庫、1979年改版) ISBN 4101117071
- 陸奥爆発の原因検証を試みたノンフィクション
- 青山淳平『海市のかなた 戦艦「陸奥」引揚げ』(中央公論新社、2001年) ISBN 4120031624
[編集] 陸奥を描いたフィクション
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 陸奥記念館(周防大島町公式サイト内)
- 陸奥記念館:展示品の写真等
- 長崎大学原爆後障害医療研究施設のヒューマンカウンターの解説:戦艦陸奥由来の鉄の利用について。
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