雪風 (駆逐艦)
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雪風(ゆきかぜ)は、旧日本海軍の陽炎型駆逐艦8番艦 第二次世界大戦を戦い、当時の艦隊型新鋭駆逐艦であった、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦及びその改良型夕雲型駆逐艦、そして島風の計50隻の中で唯一終戦まで生き残り「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた。日本の駆逐艦は、激戦区に投入され非常に損害率が高かったが、駆逐艦雪風は他の艦と異なり、戦果を上げつつほとんど無傷で終戦を迎えた。この武勲は、海上自衛隊でも伝承されており、国産護衛艦の2番艦は「ゆきかぜ」と命名された。
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[編集] 「雪風」としての戦歴
雪風の初戦はフィリピンのレガスピーである。ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、空母信濃護衛、戦艦大和特攻等、16回以上の主要な作戦に参加し、さらに艦艇、輸送船などの護衛に勤めた。戦艦金剛のレイテ海戦後本土回航時の護衛(台湾海峡にて被雷沈没)や空母信濃の回航時(潮岬沖にて被雷沈没)や戦艦大和の沖縄水上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦。航空機約400機の猛攻を受け艦隊10隻中帰還4隻のみ)に同行するも全てほぼ無傷で帰還した(涼月(大破)、冬月(中破)と共に)。呉軍港空襲の際、雪風は稼働可能な状態であったため軍港内を走り回って攻撃を回避しながら敵機を2機撃墜した。(この頃の米軍機を撃墜するのは艦艇では至難の技だったのでこの戦果は大きかった)連合国からも第二次世界大戦最優秀艦と賞された。雪風の武名は海軍内で有名であり、各艦隊とも雪風が作戦に共同するときは士気が上がったという。同様の幸運艦には呉の雪風 佐世保の時雨と謳われた時雨(スリガオ海峡海戦での西村艦隊唯一の生存艦、昭和20年1月戦没)や瑞鶴(エンガノ岬沖海戦にて戦没)もあったが終戦まで幸運が続いた例は希有であった。一方で常に雪風の損害が軽微だったのに対し僚艦は大破・沈没して多数の戦死者を出すことが多かったため、雪風を「死神」と呼んで同航することを嫌がる他艦の乗組員も多かったという話も残っている。
敗戦後は武装を全て外されたものの、復員輸送艦として活躍。この活躍により、祖国の土を踏んだ将兵は1万3千人以上にもなるという。その中の一人が、漫画家の水木しげるである。
雪風の艦長としては寺内正道中佐(昭和18年12月着任時は少佐)が有名だが、彼が実は5代目の艦長である事は意外に知られていない。彼は着任時、乗組員たちを前に「自分が艦長を務めている間は雪風は絶対に沈むことは無い、なぜなら自分が艦長をしているからだ」と豪語したと言われ、他にも数々の伝説を持つ「豪傑艦長」であった。そして雪風は艦長の自信の通り、レイテ沖と沖縄水上特攻の激戦を戦い抜くのである。なお、寺内少佐が雪風の前に艦長を務めていた「電」も、彼の乗艦中は不思議と強運であったが、彼が雪風に異動してから約半年後に沈没してしまったという。しかし、沖縄作戦の後(昭和20年5月)に寺内艦長が去った後も、雪風の幸運は終戦まで続いた。
[編集] 「丹陽」として
復員輸送の任務を終え、戦時賠償艦として連合国へ引き渡される事となったが、乗組員たちは自棄になって手を抜く事をせず、最後まで入念に整備し、連合国側から「連合国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と感嘆されたという。
1947年、賠償として中華民国に引き渡された雪風は丹陽(タンヤン)と名を改め、駆逐艦ながら中華民国艦隊旗艦として迎えられた。実戦にも参加したと言われ、1964年12月に行われた観艦式では無事な雄姿を見せたが、1966年除籍された。旧乗員が中心となって結成された「雪風保存会」などの活動もあり、「最後の日本海軍艦艇」の日本への返還が希望され、実現一歩手前までこぎつけたとも言われるが、台風による浸水で損傷した為に不可能になり、解体された。なお、単に老朽化により解体されたという異説もある。1971年12月、中華民国政府より舵輪と錨のみが返還され、舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。
なお、雪風は引き渡し時には武装撤去の状態であったが、再武装化に対し、九八式10センチ高角砲を装備(おそらく同時に引き渡された宵月から換装)している。
[編集] 主要諸元
- 基準排水量:2033トン
- 全長:118.5メートル
- 最大幅:10.8メートル
- 喫水:3.8メートル
- 出力:52000馬力
- 速力:35.5ノット
- 航続距離:5000浬/18ノット
- 乗員:239人
- 兵装
- 12.7cm50口径連装砲×3
- 25mm機関砲(機銃)×2
- 61cm魚雷発射管×2
- 対潜水艦用爆雷16個 他
なお、戦争後期には、12.7cm50口径連装砲のうち、2番砲塔(艦尾側)を撤去し、代わりに25mm機銃(3連装、単装)がハリネズミのように増設され、対空装備の強化が図られた。(この改装によって敵機を撃墜することが出来た)
姉妹艦:陽炎、不知火、黒潮、初風、親潮、夏潮、早潮、天津風、磯風、時津風、浦風、嵐、萩風、谷風、野分、浜風、舞風、秋雲
[編集] 略歴
- 1940年1月20日 - 竣工
- 1941年12月8日 - 初戦、フィリピンのレガスピー急襲
- 1943年8月6日~9日 - わずか3日間だけであったが、第八艦隊旗艦を務めた。
- 1947年7月6日 - 中華民国に引渡し
- 1966年 - 除籍
- 1970年 - 解体
[編集] 参考書籍
- 「雪風ハ沈マズ」 豊田 譲 著 (光人社NF文庫、1993年) ISBN 4769820275
[編集] 雪風のプラスティックモデルキット
- 1/350 日本海軍甲型駆逐艦 雪風(ハセガワ 2006年)
ハセガワ65周年企画として、新規金型にて発売。
昭和十五年竣工時(No.40063)
“天一号作戦”(No.Z22)
の2種が発売済み。
- 1/700 ウォーターラインシリーズ 駆逐艦 雪風(青島文化教材社 2004年)
「雪風(№421)」1972年発売の旧版。
「雪風1945(№444)」2004年に新金型でリニューアルしたもの。
旧キットもいまだに市中に出回っていることがあるので注意が必要。
- 1/700 日本海軍 駆逐艦 雪風(ピットロード)
ワールドウォーシップシリーズ№W25。ウォーターラインシリーズより金額は高めだが、精密感のある繊細な表現が売り。
[編集] 雪風を主役として描いた映画
- 駆逐艦雪風(松竹 1964年)