高田文夫
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高田 文夫(たかだ ふみお、1948年6月25日 - )は、放送作家。本名は高田 文雄。愛称は「高田ギョロメ文夫」「高田先生」。ピンポン球のように大きな目が特徴である。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
東京都渋谷区生まれ。東京都世田谷区船橋育ち。中学生の時、友達に落語を覚えるまで帰さないという、ある種いじめをやっていたことがある。日本学園高校、日本大学芸術学部放送学科卒業。高校大学では落語研究会に所属していた。大学の落研の同期に、故古今亭右朝がいた。
[編集] 放送作家
卒業後は放送作家の塚田茂に弟子入りし、「スタッフ東京」設立に参加。放送作家として「時間だョ!アイドル登場」(日本テレビ)、「ロッテ歌のアルバム」、「笑ってポン!」(以上、TBS)「スターどっきり(秘)報告」、「夜のヒットスタジオ」、「オレたちひょうきん族」、「らくごin六本木」(以上、フジテレビ)、「笑アップ歌謡大作戦」(テレビ朝日)、「三波伸介の凸凹大学校」(テレビ東京)、「ビートたけしのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)、フジテレビの正月の名物番組「初詣!爆笑ヒットパレード」など数多くのバラエティ番組を手がける。
[編集] タレント・落語家
また、自身タレントとしても活躍。NHKの子供番組「600 こちら情報部」では戸田恵子らとともにレポーター。「THE MANZAI」では景山民夫と組み「民夫くんと文夫くん」として漫才も披露した。立川談志の落語立川流Bコースに入門、立川藤志楼(たてかわとうしろう。「とうしろう」は、業界用語の「トーシロー」=しろうとの意味)を名乗り、1988年には真打ちに昇進した。その後しばらく休業状態であったが、2006年4月中旬、約10年間ぶりに高座に上がった。
著書である「オレはお前に強いんだ」では、青島幸男か永六輔に弟子入りしようとしたことが書かれている。しかし最終的に芸人にならなかった理由として、「売れて無くても芸が下手でも、年功序列で○○兄さん」とヨイショしなければならないことが苦痛に感じるかららしい。しかし、落語立川流に入門し、後に立川藤志楼として芸人になれた。それに、ビートたけしの著書にも、「日本一の観客」と賛辞されることから、その点では良かったと思える。
[編集] ビートたけしとの関係
またニッポン放送では「ビートたけしのオールナイトニッポン」の構成として参加するが、たけしの喋りに声を出して反応し、たけしが番組を休んだ時には代打パーソナリティーとして番組を担当したこともあった。ゲスト出演した松任谷由実に「高田さん、ウケ役なんだ(ね)」と言われ、たけしの気持ちを見透かした角川春樹には「うるさい」と言う様なことを言われたが、唯一高田が休んだオールナイトではたけしはボロボロで、以後高田文夫がたけしにとってかけがいの無い唯一無二の存在であるか思い知らされた。1983年には景山民夫と「文夫くんと民夫くん」に出演。さらに1987年10月には夕方のワイド番組「巨匠・高田文夫のラジオでいこう!」を担当する。
「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は1989年にスタートし、現在も続く人気長寿番組。この番組で春風亭昇太、松村邦洋らがブレイクした。また、ビートたけしと担当したフジテレビの深夜番組「北野ファンクラブ」でも司会を務めた。笑芸人編集長もつとめる。
上記で記述の通り、2006年4月に新宿末廣亭中席で10日間高座にあがったが、その後過労と風邪による体調不良のため、同年4月24日から「ラジオビバリー昼ズ」への出演を休止していたが、7月3日から2ヶ月ぶりに復帰した。
[編集] 「バウバウ」
松村邦洋のギャグ「バウバウ」は、もともと高田のものまね(「もしも北野ファンクラブの高田が犬だったら…」というネタ)としてはじまった。そのため最初は「たけちゃんバウバウ」だった。
[編集] エピソード
- 当初は読売ジャイアンツのファンだったが、長嶋一茂がヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団したのを機にヤクルトファンに転向。チーム名に「東京」をつけた方が良いといち早く提言していたが、2006年にそれが実現する。
- 著書の『江戸前で笑いたい』やテレビ史の番組のインタビューでは、いかりや長介の傲慢ぶりを批判したり、ドリフはアドリブがなく自分が考える笑いとは違う等述べていたが、『笑芸人』やいかりやが死去した際のラジオでは好意的なコメントを残したという。
- 景山民夫とは一時期「第二次放送作家ブーム」と自称して共に活動していたが、景山が幸福の科学に入信した後は一切関係を絶った。幸福の科学が矢面に立った際、真っ向からこれを批判していた。
- ビートたけしのフライデー編集部襲撃事件の際にも、「許されない行為」と側近にあるまじき発言をしている。つまり、口ではデタラメ言っている様でいて、その実は常識人である事を窺わせる。(なお、この発言でたけしとの関係が壊れることは当然無かった。)
- 沢田研二と生年月日が全く同一である。このため両者の仲は良い。(沢田がお笑いに造詣が深いこともある。)なお、これにより高田は生年月日を基にした占い(星座占いなど)は全く信じていない。
[編集] 家族
息子の文太は日刊スポーツの記者、弟の雄太はTBS社員とともにマスコミ関係者である。なお、既に孫がいる。
[編集] 著書
- 「高田文夫のコントもかけば恥もかく」
- 「民夫くんと文夫くんのオレたち天才!めちゃぶつけ」(景山民夫との共著)
- 「民夫くんと文夫くんのあのころ君はバカだった」
- 「正しい団塊の世代白書」
- 「ヨイショの達人」
- 「寄せなべ人物図鑑」
- 「だから私は笑わせる」
- 「日常ちゃ飯事」
- 「オレはお前に強いんだ」
- 「江戸前で笑いたい」
- 「笑うふたり」
- 「ギャグマン達のブルース」
- 「あんときゃ笑った」
- 「笑芸人」
[編集] CD
[編集] ラジオ
- ビートたけしのオールナイトニッポン
- 高田文夫のラジオビバリー昼ズ(月-金:11:30-13:00)(ニッポン放送)