鵜城村
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鵜城村のデータ | |
総人口 | 3,795人 (1941年12月1日) |
鵜城村(うしろむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村である。
[編集] 概要
西は間宮海峡に面し、北は恵須取郡恵須取町と、南は恵須取郡珍内町と、東は元泊郡知取町と接していた。人口は1941年当時3795人。
村内には樺太の銘山である伊皿山が存在した。なお伊皿山の語源はアイヌ語のイサラヌプリであるとされている。
[編集] 大野藩の北蝦夷地開拓
- 安政4年(1857年) 箱館大野屋開店。城下に病院を開設。北蝦夷地開拓を決定。
- 安政5年(1858年) 幕府より北蝦夷地開拓許可。大野丸完成。
- 安政6年(1859年) 北蝦夷地開拓兵到着、鵜城(ウショロ)を根拠地として越冬。
- 万延元年(1860年) 北蝦夷地の一部を大野藩準領地として決定。
法的には1949年6月1日、国家行政組織法の施行をもって消滅した。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を見よ。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 樺太の市町村 (廃止) | 恵須取支庁