黒田直方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田 直方(くろだ なおかた)は、上総久留里藩の第5代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代中期から後期 | |||
生誕 | 安永7年8月28日(1778年10月18日) | |||
死没 | 天保3年4月17日(1832年5月17日) | |||
別名 | 十五郎(幼名)、直服(初名)、 左兵衛入道(法名) |
|||
戒名 | 観樹院入道正眼 | |||
墓所 | 埼玉県飯能市の能仁寺 | |||
官位 | 従五位下、豊前守、左兵衛佐 | |||
藩 | 上総久留里藩主 | |||
氏族 | 黒田氏 | |||
父母 | 父:黒田直亨、養父:黒田直温 | |||
兄弟 | 黒田直英、黒田直方、泉七郎、津軽親足、 黒田直清、九十郎、巳津弥 |
|||
妻 | 正室:牧野宣成の娘・久子(慧光院) 継室:京極高備の娘・悦子 |
|||
子 | 黒田直明、美恵、黒田直静、玄之助 娘(板倉勝職室)、黒田直剛、曲淵直端 娘(知久頼匡室)、娘(三井孫十郎室) 黒田直古、神田直生、娘(新庄茂之丞養女) 娘(高山平左衛門養女) 養子:黒田直侯、黒田直巷 |
安永7年(1778年)8月28日、第2代藩主・黒田直亨の妾腹の三男として江戸下谷邸で生まれる。享和元年(1801年)、第4代藩主・黒田直温が嗣子無くして死去したため、その養子として家督を継ぎ、第5代藩主となった。12月に従五位下、豊前守に叙位・任官する。初名は直服(なおこと)であったが、文化2年(1805年)8月28日に直方と改名する。
文化8年(1811年)に嫡男の黒田直明が早世したため、文化9年(1812年)9月13日、養子の黒田直侯に家督を譲って隠居した。11月には左兵衛佐に任官する。文化10年(1813年)11月、剃髪して左兵衛入道と号した。
天保3年(1832年)4月17日に死去。享年55。
|
|
|