1号型ミサイル艇
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1号型ミサイル艇(いちごうがたミサイルてい)は、日本の海上自衛隊が整備した初のミサイル艇。1993年から1995年までに3隻が建造された。
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[編集] 概要
海上自衛隊は魚雷艇の後継としてミサイル艇の整備を長年志向してきた。第4次防衛力整備計画(4次防)の180トン型PTHや160トン型PT改、昭和53年度策定中期業務見積もり(53中業)のPMX、56中業の250トン型PGなどがそれである。船型も水中翼艇や滑走艇、SES(表面効果船)など種々検討されたが、建造費の高額さ、冬季の日本海方面での耐航性、運用構想の確立など課題が多く、実現には四半世紀を要した。
本級はボーイング社の設計を元にイタリア海軍が導入したスパルヴィエロ(ソードフィッシュ)級をタイプシップとした全没型水中翼艇であり、速力46ノットは自衛艦としては最速。水上打撃力に優れ、沿岸における哨戒、海上阻止戦力としての運用を企図している。主兵装は国産の対艦ミサイルSSM-1Bであり、発射筒を艦尾に装備する。遠隔操作型の20mm機関砲を前甲板に装備している他、対水上レーダーやチャフ発射機、データ・リンク11などを装備する。
しかし、設計面でさまざまな問題があったとも言われ(地中海を活躍の場とするイタリア海軍の設計が日本海の荒波に耐えられなかった等の話が伝えられている)、はやぶさ型ミサイル艇に移行した(ハルボーンの低速帯とフォイルボーンの高速帯の2つの速度領域しかとれず、中間の速度域での作戦行動は構造上不可能で、不審船追跡などには使いにくい点があり、はやぶさ型の排水量型(滑走型)による設計に影響を与えた)。
全艇が北海道余市町にある大湊地方隊余市防備隊隷下の第1ミサイル艇隊に配備されている。
[編集] 要目
- 船質: アルミニウム合金
- 基準排水量: 50トン
- 全長: 21.8m(水中翼降下時)
- 幅: 7.0m(水中翼除く)
- 深さ: 3.5m
- 吃水: 1.4m(艇走時) 3.7m(翼走時)
- 翼走用推進プラント:
- 主機: LM500ガスタービンエンジン 1基(GE開発、石川島播磨重工業製作)
- 推進器: ウォータージェットポンプ、1軸
- 軸馬力: 4,000馬力
- 最大速力: 46ノット
- 艇走用推進プラント:
- 主機: 6BD1TCディーゼルエンジン 1基(いすゞマリン製造製)
- 推進器: スクリュープロペラ、1軸
- 軸馬力: 180馬力
- 兵装:
- 対艦誘導弾発射筒×4
- 赤外線カメラFCS照準20mm機関砲
- 6連装チャフ発射機×2基
- センサー:
- 航海用レーダー: OPS-20
- 対水上レーダー: OPS-18
- ESM装置
- 定員: 11名
[編集] 同型艦
全艇とも神奈川県横須賀市浦賀町の住友重機械工業追浜造船所浦賀工場で建造。
- ミサイル艇1号 (PG821)
- 平成2年度予算 1991年3月25日起工 1992年7月17日進水 1993年3月22日竣工
- ミサイル艇2号 (PG822)
- 平成2年度予算 1991年3月25日起工 1992年7月17日進水 1993年3月22日竣工
- ミサイル艇3号 (PG823)
- 平成4年度予算 1993年3月8日起工 1994年6月15日進水 1995年3月13日竣工
なお同工場は2003年3月に閉鎖されているが、後述する生産用のクレイドルなどは横須賀製造所(旧称追浜造船所)に移された可能性がある。
[編集] その他
建造は、球形のクレイドル内でアルミ船体溶接作業がしやすい方向に随時回転させながら行われた。このクレイドルの作成などへの資金投下は、同型艇5隻以上の受注をベースに考えられたとも言われ、造船所は3隻での建造打ち切りにより、少なからぬ打撃を受けたと言われる。
運用面では、艇内に給食設備がないことなどから、遠距離の移動は陸上をトラックで移動する陸上支援部隊が随伴する形で行われる。相模湾で実施される自衛隊観艦式に参加した際には、航続距離と陸上支援部隊の移動速度により、母港の余市港から横須賀港までは数日かけての移動となった。
船体の重量軽減のため、アルミの板厚を極限まで切り詰めたため、航空機と同様に歩行可能帯の表示がある。
[編集] 誤射事件
2006年9月5日19時20分頃、青森県むつ市の海上自衛隊大湊基地に停泊していたミサイル艇3号が20mm機関砲の作動確認中、実弾4発、曳光弾2発、訓練弾4発、計10発を誤射した。基地内の倉庫、基地外の樹木に被弾痕が確認されたが人的被害、民家への被害はなかった。
海上自衛隊では、事故の原因などについて調査した上、同年12月6日に関係者の懲戒処分が行われた。指揮監督義務違反により、大湊地方総監が訓戒、余市防備隊司令が戒告、第1ミサイル艇隊司令が減給、職務上の注意義務違反により、ミサイル艇3号艇長、同砲雷長、同射管員及び同射撃員が停職処分を受けた(職名はいずれも事件当時)。
事故原因は、同日に日本海で行われた射撃訓練後に撃ち残した弾があったにもかかわらず、撃ち尽くしたと臆断して残弾の確認を怠り、抜弾を行わないまま機関砲の作動確認を行った、人為的ミスによるもの。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ミサイル艇「1号」型(海上自衛隊装備品ギャラリー)