横須賀港
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横須賀港(よこすかこう)は、神奈川県横須賀市に所在し、東京湾に面する港湾。重要港湾に指定されており、港湾管理者は横須賀市。
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[編集] 概要
東京湾の南西部、横浜港の南にあり、東京へは陸路55km、海路25海里 (46.3km)。港湾区域面積は55,294,655 m²。バース数(4.5m以上)は、ちょうど100。港湾区域は北から追浜、深浦、長浦、本港、新港、平成、大津、馬堀、走水、鴨居、浦賀、久里浜、野比の13地区に分けられている。周辺の海岸線が入り組んでいるため天然の良港となっており、浦賀地区と久里浜地区は東京湾内の主要な港湾で唯一浦賀水道航路を通らずに外海と行き来できる。
東京湾の入り口にあたる港として、幕末には黒船が浦賀沖に来航、ペリーが久里浜に上陸するなど、古くから江戸・東京の玄関口となってきた。明治以降は大日本帝国海軍の鎮守府が置かれ、軍港として整備、発展する。現在も海上自衛隊が自衛艦隊司令部や横須賀地方総監部があり、アメリカ海軍第7艦隊が横須賀基地を置くなど、軍港としての側面を持つ。
商港・工業港としての横須賀港は、慶応元年に横須賀製鉄所の設立が決定したことを起源とする。主要な輸出産品は自動車で、全体の90% 以上を占める。主要な輸入産品は原子力発電の燃料として使用されるウランなどの放射性元素が70% 近くを占め、冷凍魚介類がそれに次ぐ。中でもマグロは国内有数の取扱量を誇る。また、沿岸漁業を行う漁港として利用されている地区もある。
久里浜地区(久里浜港とも呼ばれる)は、フェリー及び旅客船が発着している。
[編集] 沿革
- 1565年(永禄 9年) 浦賀に明の船が来航。
- 1607年(慶長12年) ルソン商船、浦賀に来航。この頃から外国貿易が鎖国により、下火になる。
- 1720年(享保 5年) 浦賀に奉行所がおかれる。
- 1853年(嘉永 6年) 浦賀に黒船来航、ペリーが久里浜に上陸。
- 1866年(慶応 2年) 横須賀製鉄所設立。
- 1916年(大正 5年) 横須賀税関監視署(現・財務省横浜税関横須賀税関支署)を設置。
- 1951年(昭和26年) 重要港湾に指定。
- 1953年(昭和28年) 横須賀市が港湾管理者となる。長浦・久里浜に港湾事務所を設置。
- 1965年(昭和40年) 開港100周年。
- 1972年(昭和47年) アメリカ軍の航空母艦ミッドウェイが横須賀港を事実上の母港として配備される。
- 1974年(昭和49年) アメリカ合衆国ロサンゼルス港、ロングビーチ港と姉妹港提携。
- 1985年(昭和60年) 運輸省第二港湾建設局京浜港工事事務所(現・国土交通省関東地方整備局京浜港湾事務所)が横須賀港工事事務所を統合。
- 1991年(平成 3年) ミッドウェイに代わりインディペンデンス配備。
- 1996年(平成 8年) 平成町に「うみかぜ公園」完成。
- 1998年(平成10年) インディペンデンスに代わりキティホーク配備。
[編集] 港湾規模
- 入港船舶(平成15年度)
- 隻数 26,430隻(外航船:465隻、内航船:24,769隻(うちフェリー7,155隻))
- 総トン数 38,574,055総トン(外航船:5,103,074総トン、内航船:33,470,981総トン(うちフェリー22,535,289総トン))
- 海上出入貨物(平成15年度)
- 取扱貨物 16,777,127トン(総移輸出8,398,549トン、総移輸入8,378,578トン)
- 外貿 2,221,504トン
- 輸出 2,193,435トン
- 輸入 28,069トン
- 内貿 14,555,623トン
- 移出 6,205,114トン
- 移入 8,350,509トン
- 外貿 2,221,504トン
- 取扱貨物 16,777,127トン(総移輸出8,398,549トン、総移輸入8,378,578トン)
[編集] 主な施設
[編集] 長浦地区
- 詳細は長浦港を参照
[編集] 本港地区
[編集] 久里浜地区
久里浜港フェリーターミナルまでのアクセスは東京湾フェリーの項を参照。
[編集] 外部リンク
- 横須賀港 - 横須賀市港湾部
- 京浜港湾事務所 - 国土交通省関東地方整備局
- 横浜税関 横須賀税関支署