石川島播磨重工業
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | IHI、石播 |
本社所在地 | 東京都江東区豊洲三丁目1番1号 豊洲IHIビル |
設立 | 1889年(明治22年)1月17日 |
業種 | 機械 |
事業内容 | 建設機械・航空機 |
代表者 | 伊藤源嗣(代表取締役社長) |
資本金 | 649億24百万円 |
売上高 | 単独: 6,127億円(2006年3月期) 連結: 1兆1,270億円(2006年3月期) |
従業員数 | 6,866名(2006年4月1日現在) |
関係する人物 | 土光敏夫 稲葉興作 永野治 碓井優 |
外部リンク | www.ihi.co.jp |
石川島播磨重工業株式会社(いしかわじまはりまじゅうこうぎょう、Ishikawajima-Harima Heavy Industries)とは、東京都に本社を持つ、重工業を主体とする製造会社である。略称はIHIまたは石播(いしはり)、インターネット掲示板ではまれにIHIをローマ字読みしたイヒもある。合併で新社名を決める際に旧社名を繋ぎ合わせる手法は、この石川島播磨重工業が最初に行った。また、2007年7月1日より略称のIHIを正式な社名とする予定である。
元来独立系の企業だが、旧石川島重工業の社長だった土光敏夫が、三井系の電機メーカーである東芝の再建に関わって以来、東芝と密接な関係にあるため、三井グループを構成する二木会(社長会)及び三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)に加盟している。一方、旧石川島重工業と旧第一銀行とのつながりからみずほフィナンシャルグループの大株主であり、メインバンクはみずほコーポレート銀行である。さらに旧播磨造船所と旧三和銀行とのつながりから三菱東京UFJ銀行とも接点を持つ。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 旧石川島重工業
- 1853年 - 石川島造船所、江戸幕府により江戸隅田川河口の石川島(現在の東京都中央区佃二丁目)に創業。
- 1876年 - 平野富二に払い下げられる。
- 1877年 - 民間造船所として日本初の蒸気船「通運丸」を建造。
- 1889年 - 有限責任石川島造船所設立。
- 1896年 - 国産1号火力発電設備を製作、東京電灯(株)へ納入。
- 1893年 - 東京石川島造船所株式会社に改組・商号変更。
- 1911年 - 東京中央停車場(現・東京駅)の鉄骨を製作、組立。
- 1918年 - 第一次世界大戦での船舶特需によりばく大な利益を得、これを自動車分野に投資し、英国ウーズレー自動車の製造販売をおこなう。提携は1927年まで継続。以降は車名を「スミダ」とするが車両自体はウーズレーのままであった。自動車部門は1929年、石川島自動車製造所として独立。のちヂーゼル自動車工業、いすゞ自動車と変遷をたどる。
- 1924年 - 石川島飛行機製作所を設立。のちに立川飛行機となる。
- 1945年 - 石川島重工業株式会社に商号変更。
- 1945年 - 日本初のジェットエンジン「ネ-20」を製作。
[編集] 旧播磨造船所
- 1907年 - 播磨船渠株式會社設立。兵庫県相生(現在の相生市)に船渠建設開始。
- 1909年 - 播磨船渠株式會社解散。この年に起きた建設中の事故により船渠が崩壊し、出資者が事業意欲を失った事が原因とされる。
- 1911年 - 播磨船渠合名會社設立。旧社の事業を引き継ぐ。
- 1912年 - 相生船渠完成。播磨造船株式会社に改組・商号変更。
- 1916年 - 株式会社播磨造船所(第一次)に商号変更。
- 1918年 - 帝国汽船株式会社と合併。鳥羽造船所(三重県)と共に同社の造船部となる。
- 1921年 - 帝国汽船、造船部を株式会社神戸製鋼所に営業譲渡。神戸製鋼所造船部となる。
- 1929年 - 株式会社播磨造船所(第二次)、神戸製鋼所から分離設立。この時、造船部傘下の鳥羽電機製作所(のちの神鋼電機)は、神戸製鋼所に残る。
[編集] 旧呉造船所
- 1945年 - 株式会社播磨造船所、旧呉海軍工廠跡に呉船渠開設。
- 1952年 - 米ナショナル・バルクキャリア(NBC)、旧呉海軍工廠跡に呉造船部開設。
- 1954年 - 株式会社呉造船所、播磨造船所から分離設立。
- 1958年 - 世界初の10万トン級タンカーユニバース・アポロ就航。
- 1962年 - NBCから同社呉造船部の営業譲渡を受ける。
[編集] 石川島播磨重工業
- 1960年 - 石川島重工業株式会社と株式会社播磨造船所が合併し石川島播磨重工業株式会社設立。
- 1966年 - 世界初の20万トン級タンカー出光丸就航。
- 1968年 - 石川島播磨重工業株式会社、株式会社呉造船所を合併。
- 2000年 - 川崎重工業・三井造船と官公庁船分野を除く船舶・海洋事業の業務提携を締結。
- 2000年 - 日産自動車から宇宙航空事業・防衛事業を譲受。(→アイ・エイチ・アイ・エアロスペース)
- 2002年 - 臨海地区開発の影響で東京第1工場(豊洲)を閉鎖。業務は横浜第3工場に移管。
- 2002年 - 船舶・海洋事業をアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドに分社化。
- 2003年 - 新潟鉄工所から原動機事業(新潟原動機)、運搬機事業(新潟トランシス)を譲受。
- 2006年 - 本社を千代田区大手町二丁目から江東区豊洲三丁目に移転。
- 2007年 - 橋梁工事をめぐる談合事件をうけ、国土交通省より建設業法に基づき45日間の業務停止命令を受ける。
- 2007年 - 社名を株式会社IHI(英文:IHI Corporation)に変更する予定。
[編集] 製品
総合重工という業態から、取扱製品は多岐に渡る。ここで網羅するのは到底困難であるため、詳しくは同社ウェブサイト内の製品案内を参照。同業他社と比べると、日頃から目に触れるような一般民生品や耐久消費財が少ない。
大きくは5つの事業セグメントに分かれる。
- 船舶・海洋事業
- 航空・宇宙事業
- 機械事業
- 物流・鉄構事業
- エネルギー・プラント事業
- その他の事業
[編集] 船舶・海洋製品
船舶・海洋製品については、2002年に分社化したアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドが担当している。
[編集] 商船・海洋製品
- 超細長双胴船 Ocean Arrow
- 東宝映画『連合艦隊』(1981年8月8日公開)の特撮シーン撮影用・戦艦大和縮尺1/20モデル(船体はIHIクラフト製で、艦橋や煙突、砲塔やマストなどの上部構造物は東宝美術(現:東宝映像美術)で製作。完成は1981年1月20日。水冷ディーゼルエンジン搭載。船体内部に3人が搭乗し、時速6ノットでの自走操船航行が可能。また、火薬を使用して、46cm三連装主砲の発射シーンの再現も可能)
- バルクキャリア
- コンテナ船
- ワンピース ゴーイングメリー号 石川島造船化工機製 遊覧船を改修したもの(ニュースリリース)。
[編集] 艦艇
輸出向けに建造されたことはないため、納入先は海上自衛隊のみである。
[編集] 石川島播磨(東京)
- こんごう型護衛艦
- ミサイル護衛艦 DDG-176 「ちょうかい」 (4番艦)
- むらさめ型護衛艦
- 護衛艦 DD-101 「むらさめ」 (1番艦)
- 護衛艦 DD-106 「さみだれ」 (6番艦)
- 護衛艦 DD-108 「あけぼの」 (8番艦)
- しらね型護衛艦
- ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-143 「しらね」 (1番艦)
- ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-144 「くらま」 (2番艦)
- あさぎり型護衛艦
- 護衛艦 DD-154 「あまぎり」 (4番艦)
- 護衛艦 DD-158 「うみぎり」 (8番艦)
- はつゆき型護衛艦
- 護衛艦 DD-125 「さわゆき」 (4番艦)
- 護衛艦 DD-127 「いそゆき」 (6番艦)
- 護衛艦 DD-130 「まつゆき」 (9番艦)
- ちくご型護衛艦
- 護衛艦 DE-216 「あやせ」 (2番艦) 1996年除籍
- やまぎり型練習艦
- 練習艦 VT-3516 「あさぎり」 (2番艦)
- とわだ型補給艦
- 補給艦 AOE-423 「ときわ」 (2番艦)
[編集] アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド(横浜)
- 13500トン型護衛艦
- ヘリコプター搭載護衛艦 16DDH (1番艦) 建造中
- たかなみ型護衛艦
- 護衛艦 DD-112 「まきなみ」 (3番艦)
- 護衛艦 DD-114 「すずなみ」 (5番艦)
[編集] アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド(浦賀)
- むらさめ型護衛艦
- 護衛艦 DD-103 「ゆうだち」 (3番艦)
- たかなみ型護衛艦
- 護衛艦 DD-110 「たかなみ」 (1番艦)
- てんりゅう型訓練支援艦
- 訓練支援艦 ATS-4203 「てんりゅう」 (1番艦)
- あすか型試験艦
- 試験艦 ASE-6102 「あすか」 (1番艦)
[編集] 官公庁船
- 大型浚渫兼油回収船 「海翔丸」
- 大型浚渫兼油回収船 「白山」
- 巡視船 「はかた」
- 海洋気象観測船 「凌風丸」
- 海洋地球研究船 「みらい」
[編集] 航空機・宇宙
[編集] ジェットエンジン
航空の分野において、IHIはジェットエンジン製造を専業とし、初の国産ジェットエンジン「ネ20」は同社の製品である。国内におけるジェットエンジンのシェアは60%を超え、トップである。
[編集] 国産
- ターボジェット
- ネ20(初のジェットエンジン:橘花 搭載)東京石川島造船時代に製造。
- J3(発の実用ジェットエンジン)
- J3-3(T-1B搭載)日本ジェットエンジンによる開発。
- J3-7D(P-2J搭載)
- 低バイパス比ターボファン
- 高バイパス比ターボファン
[編集] ライセンス生産
- 高バイパス比ターボファン
- CF34(GE社製、ボンバルディアCRJ-700/900・エンブラエルERJ170/175/190/195搭載)
- GE90(GE社製、ボーイング777-200ER/300ER/300LR搭載)
- ターボシャフト
- T58(GE社製、HSS-2/2A/2B搭載)
- T700(GE社製、SH-60J/K・UH-60J/JA搭載)
[編集] 宇宙
宇宙事業は100%子会社のアイ・エイチ・アイ・エアロスペースがその多くを担っている。
[編集] H2/H2Aロケット
- LE-7Aエンジン用ターボポンプ
- LE-5Bエンジン用ターボポンプ
- SRB-AII(※アイ・エイチ・アイ・エアロスペース)
- パーツ分離用火工品(※アイ・エイチ・アイ・エアロスペース)
[編集] M5ロケット
主契約者(※アイ・エイチ・アイ・エアロスペース)
[編集] 衛星用エンジン
- アポジエンジン
[編集] 国際宇宙ステーションきぼう(※打上待ち)
- 暴露部
- 実験用ラック
[編集] GXロケット(※開発中)
主契約者
[編集] 機械事業
- 高炉
- 製鋼炉
- 熱処理炉
- 圧延設備
- 製管設備
- 精製仕上設備
- 機械プレス
- 圧縮機
- 送風機
- ポンプ
- 製紙・パルプ機械
- ゴム・プラスチック加工機械
- 蒸気タービン
- 歯車装置
- 汎用圧縮機
- 過給機
- 分離機
- 鋳鍛造品
[編集] 物流・鉄構事業
- ローダー
- アンローダー
- スタッカー
- リクレーマ
- クライミングクレーン
- 自動倉庫
- 物流システム
- 橋梁
- 駐車装置
- タワーパーキング
- 鉄骨
- 水門
- シールド掘進機
- シールド工法にてトンネルを掘削する機械
- セグメント自動組立
- コンクリート製品
- プレストレストコンクリート製品
- 鉄道車両
- 案内軌条式鉄道車両
- 制震装置/免震床
- 除雪機械
[編集] エネルギー・プラント
- 事業用ボイラ
- 産業用ボイラ
- 舶用ボイラ
- 排煙脱硫装置/排煙脱硝装置
- 原子力機器
- 太陽エネルギー利用プラント
- 石炭液化ガス化プラント
- 石油精製プラント
- 石油化学プラント
- セメントプラント
- 医薬プラント
- 海水淡水化装置
- LNGタンク/LPGタンク
- 原油タンク
- 水処理装置
- 廃棄物処理装置
- ガスタービン/ガスエンジン
[編集] その他
- ディーゼルエンジン
- 土木・建設機械
- 農業用機械
[編集] 関連会社
- アイ・エイチ・アイ・エスエーテック
- 石川島岩国製作所
- 石川島検査計測
- 立飛企業(旧石川島飛行機製作所→立川飛行機)
- 新立川航空機(立川飛行機の第二会社として設立)
- 極東貿易(兄弟会社)
- 石川島運搬機械(東証2部)
- 石川島建材工業(東証2部)
- 石川島造船化工機(東証2部)
- イスミック
- 新潟トランシス
- ピーシー橋梁(石川島建材工業子会社)
- 石川島産業機械
- 石川島汎用機械
- 石川島汎用機サービス(2006年9月 JASDAQ上場廃止)
- 石川島環境エンジニアリング
- 石川島プラント建設
- 技研テクノロジー
- 新潟原動機
- アイ・エイチ・アイ・エアロスペース
- IHIエスキューブ
- 石川島建機
- 石川島精機
- アイテック
- 石川島興業
- 石川島芝浦機械(シバウラ)(ヤンマー農機と農業機械販売部門を業務提携)
その他
[編集] 船舶・海洋事業
- IHIクラフト
- アイ・エイチ・アイ・アムテック
- アイ・エイチ・アイ 呉マリンコンストラクション
- アイ・エイチ・アイ・マリン
- アイ・イー・エム
- シンコウ・エスビーエー
- IHI MARINE B.V.
- IHI MARINE ENGINEERING(SINGAPORE) PRIVATE LIMITED
- TOEI ENGINEERING(S) PTE LTD
- 石川島船舶工程(上海)有限公司
住友重機械との合弁
- ディーゼルユナイテッド
- アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド
[編集] 影響力
幕末以来150年を超える歴史を誇り、重機・造船などの重工業において、日本を代表する名門企業の一つである。日本の工業技術をリードしてきた企業の一つであり、国鉄(現在のJR)東京駅の丸の内側本屋建設(1914年開業)、永野治による日本初のジェットエンジン開発(1945年完成、第二次世界大戦での日本敗北の直前)、日本国内最大の大型海水淡水化装置建設(1967年、長崎県外海町(現長崎市)池島)、東京湾アクアライン工事用シールド掘進機納入(1997年)、明石海峡大橋のケーソンやタワー(主塔)の建設(1998年開通)など、その業績は数多く存在する。
そのため、同社のトップは政財界において大きな発言力を持ち、社外においても様々な場面で重用されてきた。現在でも同社社長の伊藤源嗣が日本経済団体連合会(日本経団連)の評議員会副議長を務めている。1980年代に中曽根康弘首相が進めた行政改革においては、その基本方針をまとめた第二次臨時行政調査会の会長を同社出身の土光敏夫(当時は経団連(当時)会長)が務め、その主要政策として実行された日本電信電話公社の民営化では真藤恒が同公社の最後の総裁、及び日本電信電話株式会社(NTT)の初代社長としてその移行を実現させた。また、稲葉興作は1993年~2001年に日本商工会議所の会頭であった。
一方、名門であるが故に、日本企業の持つ構造的な問題点を抱えているとも指摘できる。その一つとして、各種公共事業における談合に同社が積極的に関与しているという疑惑が持たれており、2005年に発覚した橋梁談合事件では法人としての同社と個人としての同社元社員が起訴された。