ACT-R
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ACT-R(Adaptive Control of Thought--Rational、思考の適応制御--理性)とは、カーネギーメロン大学のジョン・R・アンダーソンを中心として開発された認知アーキテクチャである。
他の認知アーキテクチャと同様、ACT-R は人間の精神を成り立たせる基本的な認識と知覚の操作を定義することを目指している。理論上、人間の行う行為は、そのような個々の操作の連鎖から成っているとされている。
ACT-R の根底にある仮定のほとんどは認知神経科学(cognitive neuroscience)の進歩に触発されたものでもあり、実際 ACT-R は脳内の個々の処理モジュールによって認識を生み出す過程を説明するものと言う事もできる。
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[編集] 影響を与えたもの
他の多くの認知アーキテクチャと同様、ACT-R はアレン・ニューウェルの業績、特に彼のライフワークである認知の理論統一に触発されたものである。実際、ジョン・R・アンダーソンは理論を構築するにあたって最大の影響を受けた人物としてアレン・ニューウェルを挙げている。
[編集] ACT-R とは
他の有力な認知アーキテクチャ(Soar および EPIC など)と同様、ACT-R 理論には専用言語のインタプリタという形態の計算可能な実装がある。インタプリタ自体はLISP言語で書かれており、一般的なLISP言語処理系で実行可能である。
従って、研究者が ACT-R のウェブサイトからコードをダウンロードして LISP 処理系上で実行すれば、ACT-R インタプリタの形式でその理論に触れることが可能である。
また、これによって ACT-R 言語のスクリプトという形式で人間の認知モデルを指定することも可能である。言語の基本構文とデータ型は認知に関する理論的前提を反映するよう設計されている。それらの前提は、認知心理学の実験や脳画像処理で得られた多くの知見に基づいている。
一般のプログラミング言語と同様、ACT-R はフレームワークである。タスク(例えば、ハノイの塔、テキストや単語の記憶、言語理解、コミュニケーション、航空機の制御など)毎に ACT-R 上で「モデル」(すなわち、プログラム)を作成する。これらのモデルは、ACT-R の持つ認知についての観点内でのモデル作成者の前提を反映している。作成されたモデルは実行される。
モデルを実行することは、認知の個々の操作(すなわち、記憶の処理と検索、視聴覚の処理、運動制御、精神像操作など)を指定する人間の行為の逐次的シミュレーションを行うことと等しい。各ステップには実行時間と正確度に関する量的予測が関連付けられている。実験で収集されたデータとモデルの実行結果を比較することで、そのモデルを評価することができる。
近年、ACT-R は fMRI によって得られるような脳内の活性化パターンの量的予測も行えるよう拡張された。特に ACT-R は、運動皮質の目と口に関する部分、左前頭葉皮質、前帯状皮質、基底核などの脳内各部の正確な反応形態と反応時間を予測することに注力してきた。
[編集] 概要
ACT-R の最も重要な前提は、人間の知識が2つの根源的な種類に分けられる、ということである。その2つとは、「宣言的記憶」と「手続き的記憶」である。
ACT-R のコード内で、宣言的知識は「チャンク; chunks」という形態で表現される。これはすなわち、個人の属性のベクトル表現であり、それらに対して個別のラベルを付されたスロットからアクセス可能となっている。
チャンクは「バッファ」を通してアクセス可能である。バッファは「モジュール」のフロントエンドであり、モジュールとは脳内のほぼ独立した機能部分を意味する。
モジュールには、以下の2種類が存在する:
- 知覚運動モジュールは、実世界(すなわちシミュレーションされた実世界)とのインターフェイスを受け持つ。ACT-R で最もよく開発された知覚運動モジュールは視覚モジュールと手のモジュールである。
- 記憶モジュール。ACT-R には以下の2種類の記憶モジュールがある:
- 宣言的記憶は、事実を保持する。例えば、「合衆国の首都はワシントンD.C.」、「フランスはヨーロッパの国家」、「2+3=5」など。
- 手続き的記憶は、プロダクションから構成される。プロダクションとは、人間の行為の方法に関する記憶である。例えば、キーボードで "Q" をタイプする方法、車を運転する方法、足し算をする方法などである。
全てのモジュールは対応するバッファを通してのみアクセス可能である。ある時点のバッファの内容は、その時点の ACT-R の状態を表している。手続き的記憶モジュールは例外で、ここには手続き的知識が格納され、それを適用する。従って、アクセス可能なバッファを持たず、他のモジュールの内容にアクセスするのに使われる。
手続き的知識は「プロダクション」の形式で表現される。「プロダクション」という用語は ACT-R が一種のプロダクションシステムであることにも由来しているが、実際プロダクションは主に皮質(バッファ)から基底核、基底核から皮質という情報の流れを形式的に表現するものと言える。
各瞬間に、バッファの現状と一致するプロダクションを検索するパターン照合器が動作する。ある瞬間には1つだけプロダクションが選択され実行される。プロダクションを実行するとバッファの内容が変更され、システムの状態が変化する。従って ACT-R における認知は、プロダクションの逐次的実行として展開される。
[編集] 記号主義 vs. コネクショニズム の論争
認知科学において、「記号主義」的アプローチと「コネクショニズム」的アプローチがあり、ACT-R は一般に「記号主義」的であると見なされている。しかし、ACT-R 開発者を中心とする人々はこの見方を否定しており、彼らは ACT-R を脳の構成とその上で如何にして精神と呼ばれるものが生み出されるかを示すための汎用フレームワークであるとしている。
記号主義的との誤解は、ACT-R に「記号的」レベルと「半記号的」レベルの(やや技術的な)区別が存在するという事実に基づいている。
しかし、これらの用語は理論の初期の実装の名残である。理論的観点からは、これらは単に記憶の不可分要素とその根底にある計算量を区別しているものである。実際、ジョン・R・アンダーソンはこの区別がコネクショニズムで言われている同等の区別(活性化ベース処理と重み付けベース処理)に対応する可能性を指摘している。
さらに ACT-R はニューラルネットワークの実装と見なすこともでき、根底にある理論には本質的に「記号主義的」な部分は存在しないとも言える。
[編集] 理論 vs. 実装、そしてバニラ ACT-R
ACT-R 開発者は、理論と実装を区別する重要性を強調する。
実際、実装のほとんどは理論を反映していない。例えば、実装では計算の都合のためだけに存在するモジュールもあり、それらは脳内の何かを表現しているわけではない(例えば、ある計算モジュールには擬似乱数発生器があって、ノイズ的パラメータを生成するのに使われている。また、別のモジュールにはデータ構造を名前で参照できるように名前をつける機能がある)。
また、実際の実装は研究者が理論を修正できるよう設計されていて、標準パラメータを変更したり、新たなモジュールを追加したり、既存のモジュールの動作を修正したりできる。
アンダーソンのカーネギーメロン大学内の研究室が公式の ACT-R のコードをリリースしているが、それ以外の実装も存在する。そのような実装としては、jACT-R(ピッツバーグ大学の Anthony M. Harrison がJava言語で作成)や Python ACT-R(カナダのカールトン大学の Terrence C. Stewart、Robert L. West がPythonで作成)がある。同様に、1993年版の理論に基づく本格的実装として ACT-RN があった(現在、開発は継続していない)。これらはいずれも完全に機能し、モデルをこれらの上で作成して実行できる。
このような実装上の自由度があるため、LISPベースでオリジナルから変更されていないバージョンを「バニラ ACT-R; Vanilla ACT-R」と称する。
[編集] 応用
ACT-R モデルは500以上の科学的出版物で扱われ、他の数多くの論文や出版物で引用されてきた。ACT-R の応用は以下のような分野で行われてきた:
最近、ACT-R を利用して脳の活動パターンを予測する内容の論文が数多く出されている。また、神経心理学的損傷や精神障害のモデル化にも利用されている。
認知心理学における科学的応用だけでなく、ACT-R はもっと実用的な応用もされてきた。
- マンマシンインターフェース: 各種コンピュータインターフェイスを評価することができるユーザーモデルの作成
- 教育: ACT-R を利用して生徒の躓いている部分を推測し、それに注目した指導を行う。
- コンピュータによる軍隊: 訓練環境内の認知エージェントを提供する。
最も成功した応用として、アメリカ合衆国内の数千の学校で利用されている数学学習システムがある(訳注:英語では Cognitive Tutor だが、日本語としては直訳しても馴染みのない用語なので「学習システム」とした)。これは Pittsburgh Science of Learning Center の研究の一部として使われている。
[編集] 歴史
[編集] 初期: 1973年-1990年
ACT-Rはジョン・R・アンダーソンによって開発された人間の認識に関する一連のモデルの最終的な後継である。その起源は、1973年、ジョン・R・アンダーソンと ゴードン・バウアー(Gordon Bower) が共同開発した人間の記憶に関する HAM モデルであり、共同執筆された論文 "Human Associative Memory" で述べられている。
その後、オリジナルの HAM モデルを拡張した最初の ACT 理論が生まれ、アンダーソンの 1976年の論文 "Language, Memory and Thought" で述べられている。その中で初めて、宣言的記憶システムに手続き的記憶が追加され、後に神経心理学者ラリー・スクワイヤ(Larry Squire) によって実際の脳にもそれに相当するものがあるとされた。
その後も理論は ACT* モデルとして拡張され、1983年のアンダーソンの著書 "The Architecture of Cognition" で述べられている。
[編集] ACT-Rの誕生: 1990年-1998年
1980年代終盤、アンダーソンは Rational Analysis と名づけた認知に関する数学的アプローチの研究と普及に専念した。Rational Analysis の基本となる前提は、認識が最適順応的であることであり、認知機能の正確な推測は環境の統計的属性を反映している。Lael Schooler と共同で、アンダーソンは記憶の様々な機能(残留機能や文脈効果など)が環境統計にベイジアン推定を適用することで再現できる可能性を示した。
この作業は研究論文 "The Adaptive Character of Thought" に結実した(1990年)。
その後、アンダーソンは ACT 理論の開発に戻り、Rational Analysis を計算の基盤として使用した。その重要性を示すため、Rational Analysis から "R" を取って ACT-R と名称が変更された。
1993年、アンダーソンはカスケード相関学習アルゴリズムで有名なコネクショニズムの研究者 Christian Lebiere と出会った。彼らは共同で ACT 理論のニューラルネットワーク的実装を行った。
彼らはまたアーキテクチャの改訂も行い、ACT-R 4.0 を開発。1998年、共編書 "The Atomic Components of Thought" でこれを解説した。
ライス大学の Mike Byrne の尽力により、4.0 には EPIC アーキテクチャに影響された知覚運動機能が追加された。これにより、応用の幅が大きく広がったのである。
[編集] 現在の開発: 1998年-2006年
"The Atomic Components of Thought" を出版後、アンダーソンは彼の理論と神経との関連に興味を持つようになり、脳画像処理技術を使って人間の精神の根底にある働きを理解することを目標とするようになった。
脳内の活動の局所性を説明するため、理論は大幅な修正を必要とした。2002年の ACT-R 5.0 ではモジュールの概念が導入され、手続き的表現と宣言的表現の組み合わせによって既知の脳の仕組みをマッピングするようになった。さらに手続き的知識と宣言的知識の相互作用は新たに導入されたバッファ(アクティブな情報を一時的に保持する特別な構造)で実現されている。バッファは皮質の活動に対応すると考えられ、その後の研究によって皮質での活動とバッファ上の計算がうまく対応していることがわかった。この理論は 2004年の論文 "An Integrated Theory of Mind" で解説されている。
その後、理論に重大な変更は加えられていないが、新たなコードが 2005年に ACT-R 6.0 としてリリースされた。ACT-R の言語としての機能も大幅に改善されている。
[編集] スピンオフ
ACT-R 理論の長い開発と並行して、関連プロジェクトがいくつか生まれた。
最も重要なものとして PUPS プロダクションシステムがある。これはアンダーソン理論の初期の実装だが、後に破棄された。また、ニューラルネットワーク的実装の ACT-RN は主に Christian Lebiere によって開発された。
カーネギーメロン大学の Lynne Reder は 1990年代初期に SAC と呼ばれる宣言的記憶のモデルを開発した。これは ACT-R の宣言的記憶システムと(前提に一部違いはあるが)大部分の機能が同等である。
[編集] 外部リンク
- Official ACT-R website (数々のオンライン資料、ソースコード、出版物リスト、チュートリアル)
[編集] 参考文献
- Anderson, J. R. (1976). Language, Memory, and Thought. Hillsdale, NJ: Erlbaum.
- Anderson, J. R. (1983). The Architecture of Cognition. Cambridge, MA: Harvard University Press.
- Anderson, J. R. (1990). The Adaptive Character of Thought. Hillsdale, NJ: Erlbaum.
- Anderson, J. R. (1993). Rules of the Mind. Hillsdale, NJ: Erlbaum.
- Anderson, J. R., & Bower, G. H. (1973). Human Associative Memory. Washington: Winston and Sons.
- Anderson, J. R., & Lebiere, C. (1998). The Atomic Components of Thought. Mahwah, NJ: Erlbaum.
- Anderson, J. R., & Schooler, L. J. (1991). Reflections of the environment in memory. Psychological Science, 2, 396-408
- Anderson, J. R., Bothell, D., Byrne, M. D., Douglass, S., Lebiere, C., & Qin, Y . (2004). An integrated theory of the mind. Psychological Review, 111(4). 1036-1060.