AFCアジアカップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
AFCアジアカップ(略称:アジア杯、英:AFC Asian Cup) は、アジアサッカー連盟(AFC) が主催する、アジアのナショナルチームによるサッカーの大陸選手権。1956年に第1回大会が香港で行われ、以降4年に1回開催されている。
目次 |
[編集] 概略・歴史
- アジアカップは、アジア地域の大陸選手権として1956年に創設された。1988年大会から、優勝国にはFIFAコンフェデレーションズカップ(創設当初はキング・ファハド杯)への出場権が与えられている。また、かつてはアフロアジア選手権やAFC/OFCチャレンジカップの出場権も与えられていた。
- 本大会は、4×4チームずつのグループリーグ→上位2チームによる決勝トーナメント、と言う流れで行われる。68年大会までは、4~5チームによる全チーム総当りを採用、以後何度かのチーム数増加を経て、現在の形となったのは2004年大会からである。
- 2007年大会から様々な変更が加えられた。内容を下記に記す。
この変更の背景には、W杯の中間年に行うと夏季オリンピックやEUROと開催年が重なるため注目度が低くなりがちだった事や、開催地のローテーション制や予選をホーム・アンド・アウェーで行うことによってより競技レベルの向上を推し進めたいAFCの意向があると思われる。
- 2011年大会方式は再び変更された。内容を下記に記す。
-
- 開催地の選択におけるローテーション制が一部変更。東アジア及び東南アジアを’東ゾーン’,南&中央アジア及び西アジアを’西ゾーン’に統合し、東西ゾーン交互の開催に変更された(従って2011年大会は’西ゾーン’での開催となる)。この理由してはアジアカップの規模が大きくなったため、開催余力のある国・地域が限られることが挙げられる。
- 次回大会への本大会シードが復活。2007年大会の上位3チームには2011年本大会への出場資格が与えられる。
- AFCチャレンジカップが2011年大会の予選を兼ねる。2008年大会及び2010年大会の優勝チーム(両大会の優勝チームが同一の場合は2010年大会の準優勝チーム)に2011年本大会への出場資格が与えられる。
[編集] 歴代大会結果
開催年 | 開催国 | 決勝戦 | 3位決定戦 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | スコア | 準優勝 | 3位 | スコア | 4位 | ||
1956年 詳細 |
香港 | 韓国 |
----- | イスラエル |
香港 |
----- | 南ベトナム |
1960年 詳細 |
韓国 | 韓国 |
----- | イスラエル |
チャイニーズ タイペイ |
----- | 南ベトナム |
1964年 詳細 |
イスラエル | イスラエル |
----- | インド |
韓国 |
----- | 香港 |
1968年 詳細 |
イラン | イラン |
----- | ビルマ |
イスラエル |
----- | チャイニーズ タイペイ |
1972年 詳細 |
タイ | イラン |
2 - 1 | 韓国 |
タイ |
2 - 2 | カンボジア |
5 - 3(PK戦) | |||||||
1976年 詳細 |
イラン | イラン |
1 - 0 | クウェート |
中国 |
1 - 0 | イラク |
1980年 詳細 |
クウェート | クウェート |
3 - 0 | 韓国 |
イラン |
3 - 0 | 北朝鮮 |
1984年 詳細 |
シンガポール | サウジアラビア |
2 - 0 | 中国 |
クウェート |
1 - 1 | イラン |
3 - 2(PK戦) | |||||||
1988年 詳細 |
カタール | サウジアラビア |
0 - 0 | 韓国 |
イラン |
0 - 0 | 中国 |
4 - 3(PK戦) | 3 - 0(PK戦) | ||||||
1992年 詳細 |
日本 | 日本 |
1 - 0 | サウジアラビア |
中国 |
1 - 1 | UAE |
3 - 2(PK戦) | |||||||
1996年 詳細 |
UAE | サウジアラビア |
0 - 0 | UAE |
イラン |
1 - 1 | クウェート |
4 - 2(PK戦) | 3 - 2(PK戦) | ||||||
2000年 詳細 |
レバノン | 日本 |
1 - 0 | サウジアラビア |
韓国 |
1 - 0 | 中国 |
2004年 詳細 |
中国 | 日本 |
3 - 1 | 中国 |
イラン |
4 - 2 | バーレーン |
2007年 詳細 |
インドネシア マレーシア タイ ベトナム |
[編集] 優勝回数
優勝回数 | 国名 | 年 |
---|---|---|
3回 | 日本 | 1992, 2000, 2004 |
3回 | サウジアラビア | 1984, 1988, 1996 |
3回 | イラン | 1968, 1972, 1976 |
2回 | 韓国 | 1956, 1960 |
1回 | クウェート | 1980 |
1回 | イスラエル | 1964 |
[編集] 日本代表におけるアジアカップの歴史
サッカー日本代表は1968年、イラン大会に大会初出場。このときはA代表が南米遠征中だったためB代表チームが出場した。初期に不参加が目立つのは、当時日本は弱小であったためワールドカップよりもオリンピックを重視しており、アジアにおいてもアジアオリンピック評議会主催のアジア大会をAFC主催のアジアカップより重視していたという経緯による。
1992年、広島県各地で開催された日本大会では、日本代表史上初の外国人監督であるハンス・オフトに率いられた三浦知良、ラモス瑠偉らを擁したチームが、日本に主要国際大会で史上初めての優勝をもたらした。1996年、UAE大会は惜しくもベスト8止まりとなったが、2000年のレバノン大会は、直前のシドニー五輪を戦った中村俊輔、高原直泰などの「黄金世代」といわれたシドニー五輪代表と、名波浩、川口能活らフランスワールドカップ以来のメンバーが融合したチームをフィリップ・トルシエ監督が率い、圧倒的なパフォーマンスで大会を席巻、決勝戦でサウジアラビアを1-0で下して2度目の優勝を果たした。2004年の中国大会では、主力を怪我などで欠き、地元サポーターの激しいブーイングもあったなど逆境の中であったが、決勝トーナメントで2度の延長を制した末、決勝戦で地元中国を3-1で下して、2大会連続3度目の優勝を果たすと同時にジーコ監督に主要国際大会初タイトルをもたらした。
- 第1回1956年 - 不参加
- 第2回1960年 - 不参加
- 第3回1964年 - 不参加
- 第4回1968年 - 予選敗退(B代表)
- 第5回1972年 - 不参加
- 第6回1976年 - 予選敗退
- 第7回1980年 - 不参加
- 第8回1984年 - 不参加
- 第9回1988年 - 1次リーグ敗退(B代表)
- 第10回1992年 - 初優勝
- 第11回1996年 - ベスト8
- 第12回2000年 - 優勝(大会最優秀選手:名波浩)
- 第13回2004年 - 優勝(大会最優秀選手:中村俊輔)
- 第14回2007年 -
[編集] 関連項目
- FIFAコンフェデレーションズカップ
- アフリカネイションズカップ
- ゴールドカップ
- コパ・アメリカ
- OFCネイションズカップ
- 欧州選手権
- サッカーの国際大会一覧
- AFC
- AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)
- AFCユース選手権
- AFC U-17選手権
|
|||
---|---|---|---|
|
|||
|