IBAFワールドカップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
IBAFワールドカップ(アイビーエーエフ-)は、野球の国際大会である。国際野球連盟が主催し、近年は2~4年に1回開催されている。世界規模のナショナルチームにおける野球選手権はこれと「IBAFインターコンチネンタルカップ」(夏季オリンピックの中間年開催)、そして夏季オリンピックが3大大会として挙げられているが、IBAFワールドカップは現状、夏季オリンピックに比べると重要度は低く位置づけられている。
IBAFワールドカップは夏季オリンピックとインターコンチネンタルのそれぞれ前年に開催されており、1998年まではアマチュアのみの出場だったので大会名は「IBAF世界野球選手権大会」として行われた。1998年のイタリア大会からはプロ選手の参加が認められており、2001年の台湾大会から金属バットの使用が禁止され、また大会呼称も「IBAFワールドカップ」に改称された。長く参加国の数がまちまちであったが、近年では16チームを8チームずつ2つのグループに分け予選リーグを行い、各グループの上位4チーム(計8チーム)により決勝トーナメントを行うという方式に落ち着いている。
2006年には、メジャーリーグの選手も参加する大会であるワールド・ベースボール・クラシックが開催されたが、「ワールドカップ」の名を使用しないのは、既にIBAFワールドカップが行われていることも一因である。
目次 |
[編集] 歴史
第1回大会は1938年にイギリスで開催されたが、この時はイギリスとアメリカ合衆国の対抗戦という形式であった。その後は、キューバなど中米諸国が参加国の中心となり、中米地域で開催されてるようになっていく。しかし、1974年のアメリカ大会を皮切りに、1978年にイタリア、1980年には日本で開催され、これがアジア初のIBAFワールドカップ開催となった。日本の初参加は1972年のニカラグア大会で、同時にアジアから初めての出場ともなっている。1976年のコロンビア大会で日本は初めて銅メダルを獲得している。
このIBAFワールドカップで、キューバが最多の優勝回数を誇り、圧倒的な強さを見せている。アジア勢では、キューバ不参加の中で行われた1982年の韓国大会で、ホスト国の韓国が優勝したのが唯一である。日本は、2005年の第36回大会までの間に13回の出場を果たしているが、1982年の韓国大会における2位が最高成績で、まだ優勝はない。ヨーロッパ勢は、第1回大会でイギリスがアメリカに勝利したのが最初で最後となっている。アフリカ勢は1974年のアメリカ大会で、南アフリカ共和国が初参加を果たしている。
[編集] 近年の大会
2001年の台湾大会では、日本はプロ野球の1軍級選手を主力に据えた、プロ・アマ混成チームにより参加した。予選リーグでキューバからワールドカップ初勝利を上げ、また前年のシドニーオリンピックで敗れた韓国を準々決勝で破るなど健闘したが、惜しくも4位に終わりメダル獲得はならなかった。2003年のキューバ大会は、アテネオリンピックの代表決定戦も兼ねたアジア野球選手権大会などの関係で、プロの招集が見送られたため、日本は社会人代表で大会に臨んだ。それでも準々決勝で韓国を、3位決定戦で台湾を破り、1994年のニカラグア大会以来となる銅メダルを獲得した。
[編集] 米国の動向と今後
なお、アメリカではレギュラーシーズンと重なる五輪を含めたIBAF関連大会に関して、メジャーリーガーの出場が控えられており、専らマイナーリーグや独立リーグの選手が中心となってナショナル・チームを編成している。しかし、2003年にはアテネオリンピックのアメリカ地区予選で、メキシコに敗退してアテネオリンピック出場を逃すなど、国際大会におけるアメリカ代表の成績は決して芳くない。そうしたメジャーリーグとアマチュア野球主導の野球大会が隔絶された状況の中、国際戦略を推し進めるメジャーリーグのパド・セリグコミッショナーが発起人となり、選手会の了解を取り付けてIBAFのワールドカップとは別に、メジャーリーグ選手の出場を前提とした真の世界一決定戦となる国際大会(ワールド・ベースボール・クラシック、略称WBC)の2005年春の開催を提案していたが、利益分配を巡って日本と韓国のプロ組織が反対した為、2006年の春に一旦延期された。その後も大リーグ主導の大会運営に対する日本側の激しい抵抗はあったものの、大リーグ側が参加の回答期限を2005年6月末までと区切った事で日本野球機構 (NPB) も渋々折れ、更に、開催時期がオープン戦を行っている3月の調整段階という事もあって最後まで大会参加を拒否していた日本プロ野球選手会も、NPB側が出場手当や故障時の年俸補償といった条件を見直して説得した事で折れ、正式に日本の大会参加が決定した。
[編集] 過去の大会と、台湾および日本の成績
回 | 年 | 開催国 | 参加国数 | 優勝国 | 台湾の順位 | 日本の順位 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1938 | イギリス | 2 | イギリス | 不参加 | 不参加 |
2 | 1939 | キューバ | 3 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
3 | 1940 | キューバ | 7 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
4 | 1941 | キューバ | 9 | ベネズエラ | 不参加 | 不参加 |
5 | 1942 | キューバ | 5 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
6 | 1943 | キューバ | 4 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
7 | 1944 | ベネズエラ | 8 | ベネズエラ | 不参加 | 不参加 |
8 | 1945 | ベネズエラ | 6 | ベネズエラ | 不参加 | 不参加 |
9 | 1947 | コロンビア | 9 | コロンビア | 不参加 | 不参加 |
10 | 1948 | ニカラグア | 8 | ドミニカ共和国 | 不参加 | 不参加 |
11 | 1950 | ニカラグア | 12 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
12 | 1951 | メキシコ | 11 | プエルトリコ | 不参加 | 不参加 |
13 | 1952 | キューバ | 13 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
14 | 1953 | ベネズエラ | 11 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
15 | 1961 | コスタリカ | 10 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
16 | 1965 | コロンビア | 9 | コロンビア | 不参加 | 不参加 |
17 | 1969 | ドミニカ共和国 | 11 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
18 | 1970 | コロンビア | 12 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
19 | 1971 | キューバ | 10 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
20 | 1972 | ニカラグア | 16 | キューバ | 8位 | 4位 |
21 | 1973 | キューバ | 8 | キューバ | 不参加 | 不参加 |
22 | 1973 | ニカラグア | 11 | アメリカ | 5位 | 不参加 |
23 | 1974 | アメリカ | 9 | アメリカ | 6位 | 不参加 |
24 | 1976 | コロンビア | 11 | キューバ | 7位 | 3位 |
25 | 1978 | イタリア | 11 | キューバ | 不参加 | 4位 |
26 | 1980 | 日本 | 12 | キューバ | 不参加 | 3位 |
27 | 1982 | 韓国 | 10 | 韓国 | 4位 | 2位 |
28 | 1984 | キューバ | 13 | キューバ | 2位 | 4位 |
29 | 1986 | オランダ | 12 | キューバ | 3位 | 5位 |
30 | 1988 | イタリア | 12 | キューバ | 3位 | 4位 |
31 | 1990 | カナダ | 12 | キューバ | 6位 | 5位 |
32 | 1994 | ニカラグア | 16 | キューバ | 6位 | 3位 |
33 | 1998 | イタリア | 16 | キューバ | 13位 | 5位 |
34 | 2001 | 台湾 | 16 | キューバ | 3位 | 4位 |
35 | 2003 | キューバ | 15 | キューバ | 4位 | 3位 |
36 | 2005 | オランダ | 18 | キューバ | 11位 | 5位 |
- 「不参加」には当初から参加しなかった回と、予選敗退した回の両方が含まれる。
[編集] 日本人選手の表彰
[編集] 最優秀選手
[編集] 投手部門(最多勝)
[編集] 打者部門(首位打者)
- 第20回大会 M.Oba選手(stub)
[編集] 関連項目
- 国際野球連盟 (IBAF)
- IBAFインターコンチネンタルカップ
- ワールド・ベースボール・クラシック
- 野球日本代表
- 第34回IBAFワールドカップ日本代表
- 第35回IBAFワールドカップ日本代表
- 第36回IBAFワールドカップ日本代表