If-800
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if800は、沖電気がかつて製造販売していたパーソナルコンピュータシリーズ。 独自の理論により作り上げられていたのと個人ユーザーを相手にしなかった(後述)ため販売数が伸びず1990年代中期に撤退した。
目次 |
[編集] 概要
初代(if800 model10・20)(1980年(昭和55)5月発売)は当時主流であったZ80を搭載しプリンタ、フロッピー・ディスプレイ(model20のみ)を標準搭載してオールインワンをコンセプトに登場し、後にCPUを8086などシフトし進化していった。OSは初期はオリジナルのものであったが、CP/M、MS-DOSを採用、プログラミング言語には沖BASIC(model60はMS-BASIC)を採用するなどビジネスモデルとしては当時の最先端を走っていた。
[編集] 型番
if800 model XXのXXが製品番号になる。 その辺はNECのPC-9800シリーズを意識してつけられたものであろう。
- if800 model10 (1980年5月発売) CPU Z80-4(8 bit,4MHz) OS オリジナル 沖BASIC搭載
- 一見タイプライター風の外観で、パソコンには見えない。
- 標準で80字/行5×7ドットマトリックスインパクト方式プリンタを内蔵しており、OKITACの操作部のコンパクト版を思わせる。
- if800 model20 (1980年5月発売) このモデルとモデル10の違いはディスプレイ・FDを内蔵している。
- このFDは5インチタイプであるがフォーマットは独自のもので、他社機種との互換性はなかった。
- if800 model30(1981年1月発売) Z80B(8 bit,5MHz)このタイプのみCP/MをOSに採用。
- FD(8インチ)、カラーモノクロディスプレイ、16×16ドットマトリックスインパクトプリンタ内蔵。
- まさしく昭和のコンピュータという風貌である。
- if800 model50 (1983年4月発売) 8086(16bit,8MHz) 当時主流となりつつある16ビットCPU採用
- このタイプよりMS-DOSが採用されるがこれがくせ者でかなりカスタマイズされた代物であった。
- 相変わらず3点セットのオールインワンであるが若干デザインはあか抜けてくるのである。
- if800 model60
[編集] 2つの失敗
ビジネスモデルとしては最高水準を兼ね備えており(85年発売のmodel60は通信機能も持っていた)、PC-9801シリーズに比べても遜色がないほどであったが売れなかった。おおかたの批評としては次の2点があげられる。
[編集] オールインワン指向
沖電気はオフコンの使い勝手をそのままパソコンに当てはめてしまった。(かなり無謀である)プリンタを必ず内蔵させていたのでスペース的には小さくならず、またそのプリンタも当時主流の連続用紙を使用するためバックスペースを確保しなければならず、またドットインパクトプリンタのため騒音・振動はかなりのものであった。またディスクは当時でさえ下落傾向であった8インチFDを採用し本体のコンパクト化など全く対応できなかったのである。(NECや富士通はデスクトップ型が主流機であった。)
[編集] ビジネス機宣言
当時のカタログを参照すると、このシリーズの謳い文句として「仕事に必要な機能を優先します。ホビー機能は限りなく省略します。」としていた。現実にサウンドはピープ音のコントロールするコマンドすらなくグラフィックにいたっては線を引くのもやっとという有様であった。 ビジネスユースでもグラフィックなどでは98に負ける、息抜きにゲームでもと思ってもソフトがない。アーキテクチャーを公開していなかったのでサードパーティーの参入が少なく肝心のビジネスソフトも少ない上に値段が高いなど惨憺たるものであった。
会社関係からそっぽを向かれ、個人ユーザーを相手にしない商売では推して知るべしでモデル100シリーズではDOS/V機も出していたが、結局日の当たる事はなく事業の再構築で沖電気はパソコン事業から撤退した。