利用者:Maddestmagician
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
This page is created by Cray-G,the maddestmagician on the Earth. And used for some private memo's on wikipedia, work-area and simple self-introduction with only Japanese language.
このページは、世界最狂の魔法使いCray-Gによって作成されました、そして日本語のみでWikipediaでの個人的なメモ及び作業領域と簡単な自己紹介に利用されています。
I can understand Japanese, C-language, perl-language, SQL and little English. Please use these language to talk to me if you want so. And do not expect necessarily understanding when you use English.
当方は日本語とC言語とperlとSQLと簡単な英語しか理解出来ません。何かありましたら、それらの言語で語りかけてください。また英語で語りかける場合には、必ずしも理解出来るとは限らないことに留意してください。
目次 |
[編集] 簡単な自己紹介
[編集] 主な属性
- プログラミング
- 本職はプログラマーです。言語経験は多いですが、C++とperl以外は滅多に使わないので片言でしかしゃべれなくなっています。安定して動く枯れた技術を好み、不安定な最新技術には手を出したがりません。
- 株式投資
- 現在、投資顧問会社でシステム開発とサーバー管理者として勤めています。また個人的にも売買を行なっています。業務の関係で為替(FX)にも手を出すかも知れません。
- 数学
- 下手の横好きレベルです。嫌いではないこととプログラム上必要であった関係から、計算機数学周辺(アルゴリズム関係)が主です。出来ないだろうとは思いながらもRSAクラッキングにはまっています。
- ファンタジー
- D&D時代からのTRPGファンで、RtoL、Call of Cthulhu(←小説も好き)、ソードワールド等を遊んだ経験があります。社会人になって以来疎遠ではありますが、好きであることに変わりはありません。ですがコンピューターRPGは嫌いです。
- 小説
- 好みが激しい上に最近は読む暇がありません。そして書くのも好きですが、自分で読みたい小説しか書きません。
- 喫煙
- 喫煙者です。お茶と煙草が無いと生きていけません。ですが愛煙家ではありません。
[編集] 立場表明
井戸端に主義主張だの差別的立場だのに関する議論があるのを見て気になったので、当方の考え方やものの見方に関わる立場を表明しておくことにします。
Wikipediaは記事が中立的であることを求めているのであり、中立的立場ではない執筆者を排除しようとしているのではないと考えています。沢山の非中立的立場の執筆者が記事が中立的になるように加筆修正を行なうからこそ、他に無い有意な百科事典になるのだと信じています。
- 日本人男性
- 中年
- 喫煙者
- 経営者
- 死刑存置論者
- 2ちゃんねらー
[編集] 日本人男性
日本人であり男性です。
日本以外の国家への滞在経験が全くありません。世界には英語とC言語しか存在しないと考えていたかつての亜米利加のプログラマーよりは、国外の事情を気にしているつもりです。しかし今のところ、気にしている振りをしているだけです。
女性になった経験がありません。前世ではあったのかも知れませんが、全く記憶に残っていません。
[編集] 中年
若いと言うのは不適切な時もあるが老いたと言われれば抗議する権利は認めてもらえるであろう程度の年齢だと考えています。
自分が青二才だった頃のことは具体的な記憶としては大して残っていませんが、その頃のことを思い出しつつ、より若い者やより経験の少ない者に接する努力をしています。
[編集] 喫煙者
喫煙権は日本国法で認められた権利です。しかし嫌煙権はそうではありません。
これは単に「歩く権利は認められているが、道を譲られる権利は無い」ことを言っているのであって「歩く権利を行使する者が道を譲るべきではない」と考えているわけではありません。しかし嫌煙権を主張することは「道を譲られる権利がある」と主張していることに相当することだと考えています。主張するのは自由ですが、それは飽くまで喫煙者の好意(マナーであるとか譲り合いの精神であるとか)で成立されている事実を認識してもらいたいものです。
なお、自分が喫煙者となった結果「国家が喫煙を認めることは当該国家にとって不利益である」と判断しています。国家は喫煙者を「治癒可能な病人」であると認めると共に、その治療用の特例を除き喫煙を禁止した方が良いと思います。しかしその際には、禁酒法の再来にならないように細心の注意が必要だと考えています。
[編集] 経営者
小さいとはいえ会社の経営に関わった経験があり、また小額ですが上場非上場それぞれの投資の経験があります。その所為か、経営者側の「自分勝手な言い分」には比較的理解を示します。逆に、労働者側の「自分勝手な言い分」には嘲笑的です。
労働者は「自分勝手な言い分」が満足出来る職場に転職するべきです。あるいは起業して「自分勝手な言い分」が満足出来る職場を自分で作るべきです。現在の職場で「自分勝手な言い分」を通せない程度の実力でそれが出来るのか否かはわかりませんが。
少なくとも経営に関しては、最終責任を取らない立場で要求だけするのは「自分勝手」で「甘えている」と考えています。労働者には職場を選択する(転職する)権利があるのですから。それが出来ないというのは、もう一方の天秤に載せてあるものが原因です。そしてそれを載せたのは経営者ではなく労働者自身です。それがどんなものかは知りませんが、自分で載せたのなら自分で降ろすことが出来るはずです。それを降ろしたくないからといって経営者に「甘える」のは、大人が取るべき行動だとは思えません。
しかし世の中の大多数が経営経験の無い労働者であることから、同じ考えを持つ者が圧倒的に少ない現実を認識しています。そして、一人孤独に「大人が取るべき行動だとは思えません」と主張することもまた「大人が取るべき行動」だとは思っていません。
[編集] 死刑存置論者
死刑は存在するべきか存在するべきではないか、世の中には各論あるようですが、全く興味はありません。
死刑は存在するべきです。死刑廃止論者の頭の中はお花畑なんじゃないかぐらいに思っています。
なので、死刑存廃論争には一切加わろうとはしません。それは私にとって無意味であり、恐らく相手にとっても不快なだけで無意味だからです。
[編集] 2ちゃんねらー
2ちゃんねる利用者です。
主に株関係の板とAAサロン板の特定のスレッドを利用していますが、たまにマ板やム板、ガ板、ニュース速報板にいくこともあります。板によって違うコテハンだったり、名無しだったりします。
2ちゃんねるの全てを肯定する気はありませんが、2ちゃんねるの全てを否定する者には懐疑的に接します。
[編集] 個人的なメモ
[編集] 野望
- ページを丸々一頁作成すること。
- とりあえず、このページが練習台第一号である。他、記事のノートページで意図通りに作成出来た。カテゴリー等に関してはまだ良くわかっていないが、そういった修飾無しなら問題無く作ることが出来そうである。
[編集] 留意すべき頁
- Wikipedia:ユーザーボックス
- ユーザーボックスを付けたいと思ったのだが、この頁の解釈に神経質なウィキペディアンが居るようだ。彼らの考える洒落と有意との境界線が全く理解出来ない。残念だが自主規制することにしたので忘れないように。
- ウィキペディアは民主制ではありません。Wikipedia:投票の指針
- 多数決(民主制)は良くないと考えている自分にとっては単なる指針以上の意味がある頁だ。単に投票に参加したいと考えて見に行っただけなのだが。(苦笑)
[編集] 作業領域
[編集] 追加編集したい項
[編集] カーマイケル数
とりあえずリンクだけ作ろうとしたら失敗したらしく、フェルマーの小定理へループするようになったので慌てて戻してみた。確かどこかにリンクを自動的にリダイレクトする機能に関して書いてあった記憶があるので、読み直して再チャレンジ。
リダイレクト頁を書き直してリンクを貼り直せば良さそうなので、文案を考えておくことを忘れないように。
[編集] ミラー・ラビンの素数判定法
アルゴリズムと原理の説明は需要があるはずだ。しかし同じ判定法に対して、名前の英語表記やラビンとミラーのどちらが先か等、決定し難い問題がある。
検索数等から探して有力そうなものを選び、それ以外は全てリダイレクトにするのが良さそうだ。中黒の扱い等を調べておくことを忘れないように。
利用するつもりの関連項目リンク(ソースを開いてコピペするつもりのメモ)
素数判定 確率的素数判定法 確率的素数 フェルマーテスト 擬素数 バイナリー法
[編集] Extension Mechanisms for DNS
Extension Mechanisms for DNSとはDNSの拡張案である。実装バージョン0(ゼロ)として、UDP/IPによる照会や応答の最大サイズが512バイトという制限を取り除くための拡張がRFC 2671で提案されている。この実装バージョンゼロはEDNS0(イー・ディー・エヌ・エス・ゼロ)と略される。
- 既存の手法
- 512バイト制限とTCPフォールバックに関して
- IPv6における問題
- 比較的珍しかったことが今後頻繁に起こりそうな見通しに関して
[編集] 疑似科学
独自研究として削除された。
科学としての成立過程と対比して例を挙げていったつもりだったので、どこがどのように独自研究に見えたのかが理解出来ていない。なので書き直しようがない。理解出来たら書き直すつもりで退避しておく。過去履歴へのリンクの作り方がわかったらそれに置き換えるのを忘れないように。
疑似科学の項は、科学者の視点と非科学者の視点とがごっちゃになっているためにノート:疑似科学で議論が混乱している。疑似科学が疑似科学たる所以は、科学者の視点での科学(≒定義)と非科学者の視点での科学(に見えるもの)との差分に由来するものである。また疑似科学が「悪用」されるのは(悪用することが可能なのは)「科学=正しい」と無批判に肯定する相手に対してである。
さらに、科学=正しい→科学ではない=誤り→疑似科学=インチキ/詐欺、という二元論的な認識に基づく三段論法は理解が容易なために広まりやすい(詭弁術でもよく用いる)上に、前述した科学者と非科学者との間での科学に対する認識の違いのために理解の混乱を呼び易い。
このことは自然科学#自然科学と現代社会でも触れられている。あるいは科学の項に書くべき内容であろうか?
[編集] 疑似科学に書き加えたが消された内容
そもそも科学というものが「科学の要件として広く認められている科学的方法を用いて検証された、充分に可能性が高いと認められている仮説」であること(→#擬似科学と「正しい」科学の境界線)でしかないため、「科学は絶対的に正しい」というものではない。
また科学は、公理や定理に基づいた数学的な証明によって証明された命題のみを正しいと認める数学とは大きく異なり、「正しい」か否かと「科学」であるか否かは同値ではない。長い歴史を経て、「正しい」可能性を高くするための方法として科学的方法を用いるようになった。その集大成が現代科学ではあるが、それでもまだ「仮説の集まり」でしかない。
そのためその「正しさ」の検証の為に、他者による追試が必要となる。
このため以下のような種別に分かれる。
- 科学的方法を用いて検証されているし、充分に可能性が高いと認められている仮説
- 科学として認められている
- 科学的方法を用いて検証している途中で、充分に可能性が高いと認められている仮説
- 科学的方法を用いて検証されている途中で、充分に可能性が高いと認められていない仮説
- 科学的方法を用いて検証している途中で、可能性が懐疑的な仮説
- 科学的方法を用いて検証されていない仮説
- 科学的方法を用いて検証する気のない仮説
- 詭弁を用いた論理的に正しくない論理展開で導き出された仮説や、恣意的乃至は改竄された実験結果によるもの
- 当然科学として認められない
- 永久機関
- 常温核融合
- パン食は害悪である論 ※有名な冗談の1つ
- 発掘!あるある大事典#指摘される問題点
- 科学的方法を用いて検証することができないもの
ここで3に関しては、反証可能性(→#反証不可能性)が充分ではないために異説を覆す決定的な「何か」が存在せず決着がつかない場合が多い。また4に関しては、仮説の条件付けが不充分であったりしたことで、追試の結果疑わしいと考えられているものである。
これら3、4は、科学的方法を採用するが未だ至らないもの、至っているが社会全般に科学であると認められていないものであり、プロトサイエンス(未科学、異端の科学)と呼ばれる。
5はこれから科学的な研究をはじめて科学になるかも知れないが、まだ科学ではない。
6はもちろん科学ではない。
そして7は、それが正しいか否かとは関係なく科学的方法による検証が不可能(科学の守備範囲外)であるために科学とは無関係である。当然ながら科学的方法による検証が可能な仮説を建てて研究を行なえば科学になりうる可能性もあるが、現在のところそうなってはいないものである。
疑似科学は、この4、5、6または7が「科学的に正しい(→#疑似科学と分野)」乃至は「科学として認められるべきだ(→#疑似科学者の傾向)」と主張されている乃至は誤解させようとしているものを言う。
例えば、単なる統計結果や集計結果を見せて実際に「姓が鈴木の社長や名前に太郎がつく社長が多い」ことを根拠に「姓名学が正しい」と主張するのは5または6を「科学的に正しい」と誤解させることに相当する。
また「運動不足は身体によくない」→「サイクリングは自分にとっては適度な運動だと思う」→「だからサイクリングは健康に役立つのではないだろうか」という「仮説」に基づいて「健康のためにサイクリングを行なう」のは科学疑似科学関係のなく日常的に行なわれる、単なる推測に基づいた行動である。しかし、実際にそれで健康状態が改善されたとしても「『サイクリングは健康に良い』ことが科学的に実証された」わけではない。「サイクリングを行なったのちに健康状態が改善した」人が「少なくとも一人」いる事実が記録されただけである。なのにそれを根拠に「科学的に実証された」と主張すれば、5(少なすぎる実験結果)または6(恣意的な実験結果)または7(単なる経験)を科学的に正しいと主張していることになり疑似科学となる。
なお、自身が幽霊を見たとして「だから幽霊は実在するんだ」という主張は、実際に幽霊が存在するか否かに関わらず、科学的方法で検証できないので科学にはなりえない。幽霊の定義とその観測方法が必要になる。故にこれは、原理を公開した「幽霊が見えるようになる装置」を開発し(それで幽霊が見えると認められ)たならば科学的方法で検証が行なえるようになるので、科学になる可能性がある。但しその場合幽霊が該装置から「逃げ回る」ことで、懐疑的な追試結果に終わるかも知れない。その場合は4になるだろう。
しかし現時点では7である。即ち、幽霊や前世等が存在するという主張もしないという主張もどちらも「科学的ではない」。(→悪魔の証明#対象)
注意すべき重要な点は、
- 科学が扱うのは「仮説」であり「事実」ではない
- 「事実の有無」だけでは科学たりえない。いくら事実を列挙したところで、科学にはならない。(→プラシーボ効果)
- 統計結果は「単なる事実」であり、それが何かを示している、という主張は「それだけでは」科学ではない。
- 「科学だから正しい」あるいは「科学ではないから嘘である」わけではない
- 「科学だから正しい」という主張や「科学ではないから(≒疑似科学だから)誤っている」という主張は、それ自体がそもそも「科学的ではない」。詭弁を用いた「論理的に正しくない主張」(→詭弁#テクニックとしての詭弁)であればともかくも、単に「科学の守備範囲」外であるだけでは正しいか誤りかは決定できない。
- 論理学に詳しくない者が論理的な誤りに気付かないまま(あるいは故意に)正しくない論理展開によって結論を導いている場合もある。もちろん、「『誤っている』とは限らないから正しい」という論理展開には論理的な誤りがあり、詭弁である。
- 疑似科学=詐欺、ではない
[編集] 今日はこのへんで勘弁しておいてやろう
頁の終わり。