ぎふ中部未来博
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ぎふ中部未来博(ぎふ中部未来博覧会 ぎふちゅうぶみらいはくらんかい)とは、1988年7月8日から1988年9月18日まで岐阜県岐阜市長良福光で開催された地方博。1980年代から1990年代に盛んに開催された地方博覧会の一つである。
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[編集] 開催の経緯
長良川の北岸の岐阜市長良福光には1965年(昭和40年)開催の岐阜国体の為に造られた岐阜県営野球場等のスポーツ施設があり、隣接して岐阜刑務所があった。これらの施設の老朽化が著しく、岐阜刑務所の移転が決まると、これらの施設を解体し、新たなスポーツ施設の建設が計画される。折りしも地方博覧会が盛んであり、施設解体跡地で地方博覧会を開催、その跡地にスポーツ施設の建設が決定する。
折りしも好景気に沸いており、未来が明るい時代であった。そこで当初“ぎふ未来博覧会”と名づけられる予定であったが、岐阜の地名が全国的には知名度が薄い印象があると考えられた事、岐阜のみでなく中部全体の未来も含めるという考えにより、“ぎふ中部未来博覧会”と命名された。
[編集] パビリオン
スカイマックス未来館がメインとし、21のパビリオンが設置された。目玉のパビリオンである山東竜館では、中国山東省で発見された、当時世界最大のカモノハシ竜(山東竜)の全身骨格標本(全長15m 高さ8m)の展示が行なわれた。又、JR東海リニア館には、リニアモーターカーの実物大模型が展示された。模型とはいえ、内装は実際に人が乗れる物であった。尚、愛知万博で展示されたリニアモーターカーは実物であり、この実物大模型とは全く異なる。
[編集] 交通機関の問題
ぎふ中部未来博覧会の問題は交通機関であった。駐車場のスペースが多く確保できなかったのだが、そこでシャトルバスと路線バス(岐阜バス、名鉄バス、岐阜市営バス)の増発によって対処される事となり、公共交通機関の使用が呼びかけられた。その一方、道路混雑解消の為、名古屋鉄道岐阜市内本線の一部である徹明町駅~長良北町駅(通称:長良線)が1988年(昭和63年)6月1日をもって廃止された。尚、この廃止はぎふ中部未来博覧会が原因ではなく、前年の1987年(昭和62年)3月の中部交通審議会答申で、「バス輸送に一元化し、徹明町から長良北町間は廃止を検討」と提言されており、廃止は時間の問題であり、ぎふ中部未来博覧会が廃止時期を早めたと考えられる。
[編集] 結果と現在
宣伝や好景気という事もあり、黒字となったという。この成功が、岐阜県は1995年(平成7年)には花フェスタ等、様々なイベントを行なうきっかけとなったという。
跡地は整備され、1990年(平成2年)から岐阜メモリアルセンターとして整備されている。