アドルフ (神聖ローマ皇帝)
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アドルフ(Adolf von Nassau,1250年 - 1298年7月2日、在位1292年 - 1298年)は神聖ローマ帝国ナッサウ朝のただ1人の皇帝。ナッサウ伯。
ハプスブルク家のルドルフ1世の死後、その子であるアルブレヒト1世と皇位をめぐって争い、選帝侯の支持を背景にして勝利し、皇帝に即位した。ルドルフ1世の時と同様に、選帝侯は皇帝権力の強化を嫌ってアドルフを支持したのである。
しかし、そのために彼は傀儡皇帝に近い立場であった。ために皇帝権力の強化を目指して領土拡大を積極的に推進したが、これが皇帝権力の強化を嫌うドイツ諸侯からの反発を招いた。もともと傀儡でもあったアドルフは1298年、廃位された後に宿敵アルブレヒト1世と戦って敗れ、戦死した。
権力基盤の脆弱なアドルフは、娘メヒティルドをヴィッテルスバッハ家のバイエルン公ルドルフ1世に嫁がせて支援を得ようとした。結局それはかなわず、アドルフの死後もナッサウ家は振るわなかったが、自らの死後にメヒティルドが生んだ孫アドルフ、ルドルフ2世、ループレヒトは、ライン宮中伯、のち選帝侯の1人プファルツ選帝侯となる。
[編集] 備考
- オランダの国歌となっている『ウィルヘルムス・ヴァン・ナッソウエ』の中で、オラニエ=ナッサウ家の祖であるオラニエ公ウィレム1世の家系が「気高く高貴な皇帝の家系」と称されているのは、ナッサウ家出身のアドルフが皇帝になったことによる。ただし、オラニエ=ナッサウ家はナッサウ家のうちでもアドルフとは別の系統である。
- 現在のルクセンブルク大公家に至るナッサウ・ヴァイルブルク家は、アドルフの子孫の家系である。
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