アニー
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『アニー』(Annie) とは、ハロルド・グレイの新聞連載漫画を原作として製作されたブロードウェイミュージカルである。1982年には映画化もされている。
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[編集] ブロードウェイ
1977年4月21日にブロードウェイのアルビン劇場で初演された。アニー役はアンドレア・マカドールが演じている。同年のトニー賞は作品賞を始め7部門を受賞している。2377公演を数えるロングランとなった。
ブロードウェイでヒットするや、ツアーカンパニーが編成され、北米各地で行なわれた。また、世界各地で現地キャストによる公演も行なわれている。
1990年には『ハニガンの復讐』、1993年には『アニー・ウォーバックス』という続編が製作されたが、ともにブロードウェイで上演されるには至らなかった。
1997年にはオリジナル製作20周年の記念公演でブロードウェイで復活した。ハニガン役をネル・カーターが担当したが、他のキャラクターの選考には疑惑が伴っており、アニー役に抜擢されたジョアナ・パシティが公演前に突如解雇されるなど、悪い意味で注目を集めることとなった。レビューも振るわず、結果的に短期間で公演は終了した。
[編集] 映画
1982年にはコロムビア映画によりミュージカル映画が製作された。アニー役はアイリーン・クイーンが演じている。1995年には続編となる『アニー2』も製作された。
また1999年にはディズニーによるテレビ映画によりリメイクされている。
[編集] 日本版
日本では1978年に東宝により日生劇場においてミュージカルが初演された。宝塚歌劇団の娘役の中でも特に身長が低かった愛田まちが、主役のアニーを演じた。
その後1986年に日本テレビ制作により日本信販ミュージカルとして上演された。アニー役はアントニオ猪木と倍賞美津子夫妻の娘である猪木寛子と菅野志桜里がダブルキャストで演じた。
それ以来、スポンサー名の冠は変えながらも毎年公演が行われている。一時期、冠スポンサーであった明治生命が撤退したため存続が危ぶまれたが、その後は丸美屋食品が冠スポンサーとなり、丸美屋食品ファミリーミュージカルとして開催されている。出演者のオーディションは毎年行われ、毎年違う出演者で公演されているのが特徴である。
子役キャストは、非常に大勢の応募者の中から厳しいオーディションに勝ち抜いた者だけが出演でき、オーディションやレッスンの模様は、日本テレビの特別番組で放送されている。このこともあり、舞台を目指す女の子にはあこがれの作品であり、子役が主役を演じるミュージカル作品としては、日本で最も有名な作品と言っても過言ではないだろう。
以前は全国各地で公演を行っていたが、現在はゴールデンウイークを中心とした春に東京公演、夏休み期間に名古屋、大阪公演が開催されている。また、クリスマスシーズンにはコンサート形式の公演も開催されている。
演出は、1986年から2000年までが篠崎光正、2001年以降はジョエル・ビショッフが担当している。
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
ニューヨークの孤児院にいた孤児アニーが、億万長者のオリバー・ウォーバックス邸に2週間招かれることになった。初めはよそよそしかったウォーバックスだが、彼女の無邪気な様子や、周りの人々を明るくさせる元気なアニーを見ていて、今まで自分が失っていたものに気づき、やがて、アニーを気に入り、彼女を養女にしたいとまで思うようになる。しかしアニーは、自分の両親がまだ生きていると信じていて、本当の両親と暮らしたいという夢を持っていた。彼女が親を探すのに持っていた手がかりは半分に割れたロケットのみだった。しかし、これを知ったウォーバックスは、彼女の本当の両親を見つけたものに報奨金を与えると公表する。これに目を付けた孤児院の院長のハニガンとその弟のルースターらは、この金をだまし取ろうと画策する。しかし、FBIの捜査によってアニーの両親は既に火事により数年前に死亡していたことが分かり、ハニガンらの企みは失敗。アニーはウォーバックスの養女となる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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