アブドゥルマリク
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アブドゥルマリクあるいはアブド・アルマリク(647年-705年、Abd al-Malik ibn Marwan、عبد الملك بن مروان)は、ウマイヤ朝の第5代カリフ(在位:685年-705年)。
685年に父である第4代カリフのマルワーン1世が死に、カリフに即位する。即位後はムアーウィヤ(1世)死後から進むイスラム世界の分裂を抑えるため、軍を動かして反対運動を制圧した。対外面においては東ローマ帝国と戦って領土を拡大したうえ、東はイラク総督アル=ハッジャージュ、西は北アフリカ総督ムーサー・イブン=ヌサイルの活躍により、それぞれシンド・ソグディアナ地方とモロッコ西部まで版図を拡大した。経済面においては新たに金貨・銀貨を鋳造する。しかし、彼の治世で最も功績が大きいのは、アラビア語を公用語にしたことである。しかし、キリスト教徒を嫌って激しく弾圧した。705年、59歳で死去し、後を子のワリード1世が継いだ。
詩作にも優れた教養人で、エルサレムに「岩のドーム」を建設している。これらの功績から、ウマイヤ朝中興の英主と評価されている。
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