モロッコ
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- モロッコ王国
- المملكة المغربية
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(国旗) (国章) - 国の標語 : الله، الوطن، الملك
(アラビア語:神、国、王)1 - 国歌 : 国王万歳
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公用語 アラビア語(憲法上)
フランス語(事実上)首都 ラバト 最大の都市 カサブランカ 国王 ムハンマド6世 首相 ドリス・ジェットゥ 面積
- 総計
- 水面積率世界第56位
446,550km²
0.1%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第35位
32,725,872人
72人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
4,631億ディルハムGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第57位
545億ドルGDP(PPP)
- 合計(2005年)
- 1人当り世界第51位
1,346億ドル
4,200ドル独立 フランスから
1956年3月2日通貨 ディルハム(MAD) 時間帯 UTC ±0(DST: なし) ccTLD MA 国際電話番号 212 - 注1 : この標語は、憲法に明記された現国王のモットー。
モロッコ王国(モロッコおうこく)、通称モロッコは、アフリカの国。首都はラバト。アルジェリアとサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)とスペインの飛び地セウタ・メリリャに接し、大西洋と地中海に面している。アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。
映画『カサブランカ』の舞台として有名な街、カサブランカのある国である。
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[編集] 国名
正式名称はアラビア語で、المملكة المغربية(ラテン文字転写は、Al-Mamlaka al-Maghribiya:アル=マムラカ・アル=マグリビーヤ)。通称、المغرِب(al-Maghrib:アル・マグリブ)。 「日の没する地の王国」の意。公式の英語表記は、Kingdom of Morocco(キングダム・オブ・モラコウ)。通称、Morocco。
日本語の表記は、モロッコ王国。通称、モロッコ。
[編集] 歴史
詳細はモロッコの歴史を参照
古代にはフェニキア、ローマなどの支配を受けた。
7世紀、アラブ人がモロッコ、イベリア半島まで達し、イスラム教が浸透した。
8世紀末、勢力争いに敗れた亡命アラブ人イドリースを支えて、イスラム化したベルベル人は、イドリース朝を建国。
その後、チュニジアから興ったファーティマ朝の支配をへて、11世紀から15世紀にかけてムラービト朝、ムワッヒド朝、マリーン朝が興亡。
15世紀末、スペイン、ポルトガルが北アフリカに侵攻。サアド朝(サーディ朝)はこれを撃退。
16世紀にはソンガイ帝国を攻略し、オスマン帝国、キリスト教勢力を退ける。
1660年、アラウィー朝が成立。現在まで続く。
1904年の英仏協商で、フランスがモロッコにおける優越権を獲得。これに反対するドイツが1905年、1911年の2度にわたってフランスを威嚇した(モロッコ事件)が、最終的にはドイツが妥協。
1912年のフェス条約で国土の大部分がフランスの保護領となった。また、仏西条約で北部リフ地域はスペイン領となった。
1956年にフランスから独立。スペインはセウタ、メリリャ、イフニの「飛び地領」とモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)を除いて領有権を放棄。
1957年にスルターン・ムハンマド5世が国王になる。
1958年にスペイン領の南部保護領だったタルファヤ地方をモロッコへ返還。
1961年ハッサン皇太子が父の死去に伴い国王に即位。
1967年イスラエルと6日間戦争の結果、アラブ世界に復帰する。
1969年にはスペインが「飛び地領」のイフニをモロッコに返還。
1975年西サハラを非武装で越境大行進「緑の行進」を行う。
1989年アラブ・マグレブ連合条約調印。
1991年西サハラ停戦成立。
1992年憲法改正。
1999年ハッサン2世国王死去。シディ・ムハンマド皇太子がムハンマド6世として即位。
[編集] 政治
立憲君主制を政治体制とし、議会は二院制を有し、国家元首は国王で現在はムハンマド6世がつとめている。
[編集] 地方行政区分
38地方で構成されている。
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- 南部
- タンタン地方 最大都市タンタン ゲルミンの西
- ゲルミン地方 ティズニトの南
- ティズニト地方 アガディールの南
- タタ地方 ティズニトの東
- アガディール地方 最大都市アガディール
- タルーダント地方 タタの北、アガディールの東
- 中部
- エッサウィラ地方 マラケシュの西
- マラケシュ地方 最大都市 マラケシュ
- ワルザザト地方 タルーダントの東
- サフィー地方 マラケシュの北
- ケッラ・デ・スラグナ地方 マラケシュの北
- アジラル地方 ワルザザトの北
- ランディア地方 アジラルの東
- ベニ・メッラル地方 アジラルの北
- セッタート地方 ジャディーダの東
- ジャディーダ地方 サフィーの北
- カサブランカ地方 最大都市カサブランカ
- ベンスリマヌ地方 カサブランカの東
- クーリブガ地方 セッタートの東
- ケニフラ地方 クーリブガの東
- 北部
- フィギク地方 ブルマーヌの東
- ブルマーヌ地方 ケニフラの東
- インラーヌ地方 ケニフラの北
- メクネス地方 最大都市メクネス ケミセットの東
- ケミセット地方 ラバト・サレの東
- ラバト・サレ地方 最大都市ラバト(首都)
- ケニトラ地方 ラバト・サレの北東
- フェス地方 メクネスの東
- タザ地方 ナドルの南
- ウジュダ地方 ナドルの南東
- タウナト地方 フェスの北
- シディ・カセム地方 ケニトラの東
- ララシェ地方 ケニトラの北
- タンジェ地方 ララシェの北
- テトワン地方 タンジェの東
- シャーウェン地方 ララシェの東
- ホセイマ地方 シャーウェンの東
- ナドル地方 ホセイマの東
[編集] 地理
モロッコの国土は、アフリカ大陸の北西端に位置する。最も狭い部分では幅14kmしかないジブラルタル海峡をはさんでスペインと向き合う。海岸のうち約3/4は北大西洋に面し、残りは地中海に沿っている。東西1300km、南北1000kmに伸びる国土の形状は、約45度傾いたいびつな長方形に見える。モロッコの南西に分布するカナリア諸島はスペイン領であり、本土以外に国土を持たない。国土の北部、地中海沿岸のセウタとメリリャは、スペインの海外領土(飛地)となっている。陸続きにある南西の西サハラを実効支配しているものの、国際社会で占領行為の正当性が広く認められているわけではない。なお、西サハラはスペインの植民地(スペイン領西アフリカ)だった。
モロッコには大きな山脈が4つある。リフ山塊(エルリフ)は他の3つの山脈とは独立し、地中海沿いのセウタやメリリャを北に眺め下ろしている。最高地点は約2400mである。南方の3つの山脈はアトラス山脈に属する。アトラス山脈自体はチュニジア北部からアルジェリア北部を通過し、ほぼモロッコの南西端まで2000km以上にわたって延びる。アトラス山脈は複数の山脈が平行に走る褶曲山脈である。モロッコ国内では北から順に、中アトラス山脈(モワヤンアトラス山脈)、大アトラス山脈(オートアトラス山脈)、前アトラス山脈(アンチアトラス山脈)と呼ばれる。アンチアトラス山脈の南斜面が終わるところに国境がある。アトラス山脈の平均標高は3000mを超え、国土のほぼ中央にそびえるトゥブカル山 (4165m)が最高地点であり、北アフリカの最高峰でもある。カサブランカなどのモロッコの主要都市は大西洋岸の海岸線、もしくはリフ山塊の西、中アトラス山脈の北斜面から海岸線に向かって広がるモロッコ大平原地帯に点在する。
スペイン・モロッコ間は、ユーラシアプレートとアフリカプレートの境界に当たる。アフリカプレートが年間0.6cmの速度で北進したため、アトラス山脈が生成したと考えられている。アトラス山脈の南には山脈の全長にわたって巨大な断層が続く。このため比較的、地震が発生しやすい。記録的な大地震は隣国アルジェリアに多いものの、リスボン大地震と同時期の1755年11月19日に発生した地震や1757年4月15日の地震ではいずれも死者が3000人に達した。1960年2月29日の地震は被害が大きく、死者は1万5000人だった。いずれもマグニチュードははっきりしていない。
主要河川は、地中海に流れ込むムルーヤ川、大西洋に流れ込むスース川、テンシフィット川など10程度ある。ジス川とレリス川はサハラ砂漠に向かって流れ下りる。エジプト、スーダンを縦断するナイル川を除くと、モロッコは北アフリカでは最も水系が発達している。このため、降水量が少ない割には総発電量の6%を水力に頼っている。
[編集] 気候
一年を通じて、大西洋上に海洋性熱帯気団が居座っており、常に北東の風(北東貿易風)が吹いている。このため、モロッコ沿岸を北から南にかけて寒流のカナリア海流が流れる。
ケッペンの気候区分によると、アトラス山脈より北は地中海性気候 (Cs) に一部ステップ気候 (Bs)が混じる。アトラス山脈の南斜面はそのままサハラ砂漠につながっており、北部がギール砂漠、南部がドラー砂漠である。気候区分は、砂漠気候 (BW)である。アトラス山脈には冬季に積雪がある。
最大の都市カサブランカの気候は、1月の気温が12.4度、7月が22.3度。年間降水量が379.7mmである。冬季の降水量は100mm/月に達するが、夏季には1mmを下回る。首都ラバトの気候もカサブランカとほぼ同じである。
[編集] 植生
大西洋沿岸、地中海岸と内陸部のオアシスを除き、植生はほとんど見られない。森林を形成しているのはコルクガシであり、特に大西洋岸に目立つ。アトラス山脈に至ると、常緑樹林が広がる。植生は、カシ、セイヨウスギ、マツである。アトラス山中からさらに南のステップには、ナツメや低木などが疎らに見られる。栽培樹木としてのオリーブは以上の分布に当てはまらず、国土全体にわたる。固有種としてアカテツ科のアルガン(Argania Spinosa)があり、アルガンオイルの原料となる。ただし、分布域は狭く、スース側流域に限られる。
国土の12%を森林が、18%を農耕地が占め、うち5%は灌漑されている。
[編集] 主要都市
人口10万人以上の都市が15ある。都市人口率は55.5%と低く都市化は進んでいない。気候が穏やかであることを反映している。
[編集] 経済
モロッコ経済は、国内総生産でみると、アフリカ州の第4位である。一人当たりの国内総生産も4000ドルを超えており、豊かな国であると言える。産油国ではないが、鉱業と軽工業など産業のバランスもよい。埋蔵量世界1位のリン鉱石を中心とする鉱業と、生産量世界第6位のオリーブ栽培などの農業が経済に貢献している。大西洋岸は漁場として優れており日本にもタコなどが輸出されている。観光資源も豊かである(観光収入は22億ドルに上る)。工業国とは呼べないが、衣料品などの軽工業のほか、石油精製や肥料などの基礎的な諸工業が発達している(以下、統計資料はFAO Production Yearbook 2002、United Nations Industrial Commodity Statistical Yearbook 2001年を用いた)。
鉱業生産は、リン鉱石(採掘量世界第2位)、鉛鉱(同7位)、コバルト鉱(同8位)が有力だが、銅、亜鉛、金、銀なども採掘しており、天然ガスも豊かである。ただし原油の採掘量は1万トンと極めてわずかである。鉱物資源はアトラス山脈の断層地帯に集中しており、アトラス山脈の造山活動によるものだと考えられている。例えば、マラケシュ近郊やメリリャに近いウジタで亜鉛や鉛が採掘されている。リンはカサブランカ近郊で採れる。
農林水産業では、オリーブのほか、穀物、果実の栽培が盛ん。
工業は、リン酸肥料(生産量世界第6位)、オリーブ油(同9位)が目立つが、ワインや肉類などの食品工業、加工貿易に用いる縫製業も盛んである。
[編集] 貿易
モロッコの輸出額は78億ドル。品目は、衣類 (32.3%)、魚介類 (13%)、電気機械 (9.9%)である。ここでいう電気機械とは電気ケーブルを意味している。リン鉱石は価格が安いため、品目の割合としては5位である。主な相手国は、フランス (33.5%)、スペイン (13%)、イギリス (9.6%)。
モロッコの輸入額は116億ドル。品目は、原油 (12%)、繊維 (11.9%)、電気機械 (11.7%)。主な相手国はフランス (24%)、スペイン (9.9%)、イギリス (6.2%)である。輸出入とも相手国が同じであり、西ヨーロッパ特にフランスと強く結びついていることが分かる。このため、2010年を目標にEU圏と自由貿易地帯の関係を結ぶことを目標としている。
日本国との貿易では、輸出がタコ (61.1%)、モンゴウイカ (7.3%)、衣類 (5.1%)の順で、リン鉱石も5位に入る。輸入は、乗用車 (32.4%)、トラック (28.6%)、タイヤ (5.6%)である。
[編集] 国民
住民は、2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血がほとんど。ユダヤ人はエッサウィラなどに古くから居住していたが、イスラエル建国以来イスラエルやカナダなどへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。
アラビア語が公用語となっているものの、国民の大半は学校教育で正則アラビア語を習わずモロッコ特有のマグレブアラブ語を話しているため、他のアラビア語圏の住人とは意思の疎通が困難である。かつてフランスの植民地であったのでフランス語が事実上の公用語となっている。公文書は仏語で書かれ、学校教育も仏語で行われることが多い。山岳地帯では、タシリヒト語、タマジヒト語、リフィ語などのベルベル語を話す人々もいる。ベルベル語話者は人口の1/3以下である。フランスやスペインの旧植民地と隣接しており、経済的な結びつきも強いため、両言語が利用されている。
1961年にイスラム教が国教となっており、イスラム教スンニ派が99%を占める。キリスト教とユダヤ教も禁止されてはいない。
[編集] 世界遺産
モロッコ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が8件ある。詳細は、モロッコの世界遺産を参照。
[編集] スポーツ
サッカーが盛んであり、過去ワールドカップに4回出場、アフリカネイションズカップの優勝経験もあり、アフリカの強豪国の1つとして数えられている。
[編集] 性転換について
モロッコというと「性転換」手術をイメージするという人たちが特に40代くらい以上の人には結構いるようである。これは現在の男性型→女性型の性転換手術の技法がモロッコのマラケシュに在住していたフランス人医師ジョルジュ・ビュルー(George Burou)により開発されたためで、フランスのキャバレー「カルーゼル」に所属していた多くの「性転換ダンサー」たちがビュルーの手術を受けたことから有名になり、一時期は世界中から、女性に生まれ変わりたい男性たちが大量にマラケシュに押し寄せた。
日本のカルーセル麻紀(タレント)や光岡優(女優)などもビュルーの手術を受けている。日本で「性転換手術」=「モロッコ」のイメージが広がったのは何と言っても1973年以降のカルーセル麻紀に関する報道の影響が大きい。またマラケシュが「魔羅消し」に通じるという語呂合わせも随分言われた。
しかしビュルーはもうかなり以前に亡くなっており、性転換を希望する人は今日では手術してくれる病院の数が豊富なタイで受けるのが主流となっており、モロッコと性転換手術を結びつける連想はいずれ消えゆくものと思われる。
[編集] 関連項目
- モロッコ関係記事の一覧
- モロッコ料理
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- 政府公式サイト
[編集] その他
- 世界の国々 > アフリカ
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