アリス・ケッペル
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アリス・ケッペル (Alice Frederica Edmonston Keppel,1869年10月14日 - 1947年11月22日)は、イギリス国王エドワード7世の愛妾(Royal Mistress)。「La Favorita」(お気に入り)の呼び名で知られた。
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[編集] 生涯
提督ウィリアム・エドマンスタンの末娘として、スコットランドで誕生。母はギリシャ人。1891年、アルビマール伯爵の三男ジョージ・ケペルと結婚。
夫は貴族とはいえ三男で、それほど裕福な家庭生活は期待できなかった。当時、美貌に自信はあるが暮らし向きに不満のある、ある程度階級が上の既婚婦人は、相応の社交界に出入りすることによって、自分の望みの買い物の支払いを引き受けてくれる紳士に巡り会える機会があったと言われる。いわゆる愛人契約である。華やかな生活は都会でしかえられないと、アリスは夫をせき立て、ロンドンへ移り住んだ。1894年に生まれた長女ヴァイオレット・ケッペル=トレフューシスは、ジョージの子ではないと噂された。
人目をひく美貌と、低い声が魅力といわれたアリスは、上流の社交界へ出入りするようになり、当時56歳のエドワードに見そめられた。それから彼の死までの12年間、片時もアリスをエドワードは離さなかったという。生まれながらの貴族でなく、かといって庶民でもなく、という中間層の生まれであるアリスは、エドワードのそばにいれば当然顔を合わせる政府高官、貴族たちにも受けが良かった。尊大な態度で利益を要求したり、また、卑屈に媚びることもしなかったためである。1900年、二女ソニアを生んでいる。
公衆の面前でエドワードと同道する際、彼女は控えめに振る舞った。自分の愛妾としての立場を十分にわきまえ、王妃への儀礼を第一に心がける彼女に、王妃アレクサンドラも、あからさまな敵意を示さなかった。エドワードが即位してから彼女が公式な場に出席することが増えると、貴族たちは私的な園遊会に王妃とともにアリスを招くべきか、苦慮したという。 ノーフォーク公、ポートランド公、ソールズベリー伯らは断固としてアリスを招待しなかった。
王の死後、家族とともにセイロン島で二年間暮らした。
1936年、エドワード8世が退位したとき、「ロイヤル・ミストレスは宮中儀礼を第一と心得、後はベッドに飛び込むだけ。私たちはそれを上手くやった。」と、発言した。
[編集] 娘のスキャンダル
トレフューシス家の跡取りと結婚していたヴァイオレットは、作家で既婚者のヴィタ・サックヴィル=ウェストと駆け落ち騒ぎを引き起こし、貴族の令嬢の同性愛スキャンダルとして話題になった。
[編集] 子孫
なお彼女はチャールズ皇太子の妻カミラ公妃の曾祖母である。(アシュコム男爵夫人となったソニアは3子を生み、長女ローズマリーがカミラの母である。)
[編集] 参考文献
- 森護『英国王妃物語』三省堂