アルドゥス・マヌティウス
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アルドゥス・マヌティウス(Aldus Pius Manutius, Romanus 1450年頃-1515年2月6日)は、15世紀に活躍した、商業印刷の父と言われるルネサンス期ヴェネツィアで活躍した出版人。子、孫の3世代に渡って印刷文化を牽引した。
バッシアーノに生まれ、ローマで成長する。古典のギリシャ語、ラテン語を学び、人文主義者のピコ・デラ・ミランドラとも交友があり、非常に学識豊かであった。1475年から20年かけて、ヴェネツィア印刷工房を設け、ギリシア、ラテンの古典(約120点)を校訂し、出版した。ギリシャ文字の活字を製造し、また、イタリック体の開発者でもある。
近代の印刷技術の祖はヨハネス・グーテンベルクであることは疑う余地もない。その功績は単に印刷機だけではなく、活字合金・活字鋳造・組版・インキ・印刷機・製本などの技術をセットで作り上げたことにあると言える。現代の書籍に必須であって彼の手によるものでない要素がひとつ、そして相違点がひとつあった。その要素とはノンブル(ページ番号)であり、相違点とは本のサイズである。彼の作った聖書は飽くまでも神の秩序であり、紙面(ページ)という「人間の都合」で数字を付ける理由は無かったと考えられる(?)。加えて、グーテンベルク聖書はその装飾性からいっても、従来の写本を活版によって再現しようとしたものと言え、いま残るグーテンベルク聖書がそうであるように、非常な大型本であった。
グーテンベルクに対してマヌティウスの視点は異なり、ページの順序を示す番号を紙面の端につけ、また本のサイズ自体を小さくした。小型本の歴史はマヌティウスに始まるものであり、「持ち歩ける本」というものは現代からみれば当然であるが、これは書物の歴史における大転換であった。
15世紀後半にヴェネツィアはヨーロッパにおける出版業の一大中心地になり、一般に書籍が普及していった。
- 一方では、彼による技術革新によって海賊版とよばれる刊行物の横行と、それに対する戦いが始まることとなり、これは21世紀に至るまで続いている。