アレクサンダー・ネルソン・ハンセル
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アレクサンダー・ネルソン・ハンセル(Alexander Nelson Hansell、1857年-1940年)はイギリスの建築家。英国王立建築士会正会員の建築士。同時代の日本で英国王立建築士会正会員であったのは、他にジョサイア・コンドルのみである。
明治21年(1888年)、31歳のときに川口居留地にある神学校の英語教師として来日するが、主に建築家として活動。 大正8年(1919年)に帰国するまでの間に数々の著名建築を残している。
兵庫県神戸市中央区の山本通に現存する彼の自邸は、シュウエケ邸の名称で一般に公開されている。
[編集] 主な作品
- 神戸クラブ(初代) - 明治23年(1890年)(現存せず)
- 同志社大学ハリス理化学館 - 明治23年(1890年)、重要文化財
- 平安女学院明治館 - 明治28年(1895年)、登録有形文化財
- 門兆鴻邸 - 明治28年(1895年)、旧A.P.ディスレッセン邸
- シュウエケ邸 - 明治29年(1896年)、旧ハンセル自邸
- 旧ハッサム住宅 - 明治35年(1902年)、重要文化財
- 旧シャープ住宅(推定) - 明治36年(1903年)、重要文化財
- 旧グッゲンハイム邸 - 明治45年(1912年)、現竹内油業塩屋寮
※「重要文化財」は国指定の重要文化財を示す。