アンディ・ベクトルシャイム
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アンドレアス・ベクトルシャイム(Andreas Maria Maximilian "Andy" von Bechtolsheim, 1956年 - )は、アメリカ合衆国で活動するドイツ出身のコンピュータ技術者、実業家。
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[編集] 経歴
ドイツのミュンヘン工科大学を卒業後アメリカ合衆国に渡り、1976年にカーネギーメロン大学で計算機工学の修士号を取得。1977年にスタンフォード大学の計算機科学と電気工学の博士課程に入学。在学中、大学のメインフレームは使える時間が少なく、パーソナルコンピュータでは力不足なため、市販の部品を集めてワークステーションを自作した。
これを同じスタンフォード大学の学生であったビノッド・コースラが商業化を持ちかけ、二人はスタンフォード大学経営大学院で経営学修士を取得したスコット・マクネリ、カリフォルニア大学バークレー校で研究員をしていたビル・ジョイを誘い、1982年にサン・マイクロシステムズ社を共同設立した。
1995年にサンを退社後、デビッド・チェリトンとともに Granite Systems 社を設立。Granite Systems 社は 1Gbps のネットワーク技術を立ち上げた企業で、1996年に2億2000万ドルでシスコシステムズに買収された。ベクトルシャイムは2003年12月まで、シスコシステムズのギガビットスイッチング事業部ゼネラルマネージャーと副社長を兼任していた[1]。
2001年には Opteron サーバメーカーの Kealia 社をチェリトンと共同設立した。サン・マイクロシステムズは2004年2月、Kealia 社の買収を発表[2]。それに伴いベクトルシャイムは再びサンに復帰し[3]、2007年現在ネットワークシステム担当上級副社長兼チーフアーキテクトを務めている。
[編集] 投資家
ベクトルシャイムは Google に早くから投資を行った人物でもある。当時スタンフォード大学の学生であった Google 創設者ラリー・ページとセルゲイ・ブリンは1998年に検索技術のデモを行ったが、それに対しベクトルシャイムは「可能性を感じた」と10万ドルの小切手を渡して立ち去ったという。なお、この時ページらは会社を設立していなかったため小切手が預けられず、法人登記を行うまでの数週間の間、小切手はページの机の中に眠っていたという[4]。
また、ベクトルシャイムはスパイウェアベンダー Claria(旧・Gator)への投資も行っている[5]。
[編集] 出典
- ^ "止まらぬ米シスコの頭脳流出 - A・ベクトルシャイム、新興企業へ" CNET Japan: 2003-12-17. 2007年2月11日閲覧.
- ^ Shankland, Stephen (2004-02-12). "サン、Opteronサーバ専業メーカーを買収へ--A・ベクトルシャイムも古巣へ復帰" CNET Japan. 2007年3月25日閲覧.
- ^ Shankland, Stephen (2004-02-26). "「サーバこそチャンス」:共同創設者のベクトルシャイム、サンに復帰" CNET Japan. 2007年2月11日閲覧.
- ^ "Google Corporate Information: Google Milestones (英語)" Google. 2007年2月11日閲覧.
- ^ "Gator.com Receives $12 Million in VC Funding (英語)" Claria. 2007年2月11日閲覧.
[編集] 外部リンク
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