カーネギーメロン大学
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カーネギーメロン大学
大学設置 | 1967年 |
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創立 | 1900年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | Andrew Carnegie (アンドリュー・カーネギー) |
本部所在地 | ペンシルベニア州ピッツバーグ |
学部 | 工学部 芸術学部 理学部 人文学部 公共政策学部 情報科学部 経済経営学部 |
研究科 | 工学研究科 芸術学研究科 理学研究科 人文学研究科 公共政策学研究科 情報科学研究科 経済経営学研究科 |
ウェブサイト | カーネギーメロン大学公式サイト |
カーネギーメロン大学(英称:Carnegie Mellon University)は、ペンシルベニア州ピッツバーグに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学である。1967年に設置された。大学の略称はUMU。 同大学関係者は普通「カーネギー」(「ネ」にアクセント)と呼ぶ。世界的に著名な情報科学、公共政策学、経営学以外にも音楽分野とドラマ分野が全米やブロードウェイにおいて有名な存在であることは日本であまり知られていない。
目次 |
[編集] 沿革
- 1900年 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーがカーネギー芸術学校 (Carnegie Technical Schools) として設立
- 1912年 学位を授与する事ができる機関として認可され、カーネギー工科大学 (Carnegie Institute of Technology) と改称
- 1967年 カーネギー工科大学とメロン大学が合併し、カーネギーメロン大学と改称
- 2005年 アジアにおける情報セキュリティ教育研究拠点を目指し、兵庫県と共同でカーネギーメロン大学日本校(Carnegie Mellon CyLab Japan)を神戸市に設置
[編集] 特色
情報科学 (computer science) を筆頭に、ロボット工学 (robotics)、機械工学 (engineering)、理学 (the science)、ビジネス (business)、公共政策 (public policy)、美術 (fine arts) および人文学 (the humanities) などの学部を擁する。
特筆すべきは情報科学で、全米で1位の評価を得ている(USNewsの2007年版大学院ランキング情報科学部門)[1]。 またコンピュータセキュリティ発信の中枢であるコンピューター緊急事態対策チーム (CERT) の統轄本部 CERT cordination centerの運営を行っている[2]。 Javaの生みの親であるジェームズ・ゴスリング、やLycosの創始者マイケル・モールディンの出身校として、またマイクロカーネルの代名詞でもあるmachを開発した大学という事などでも有名。また情報科学の領域で顕著な活躍をした研究者に対し贈る賞として片柳コンピュータ科学賞を東京工科大学と共同で創設。
工学分野でも高い評価を得ており(2007年版USNews全米6位)[3]、2050年までにサッカーワールドカップのチャンピオンチームと戦わせて勝てるロボットサッカーチームを作る事をゴールとした大会、ロボカップの設立当初から参加している[4]。 RoboCup2005大阪世界大会において日本の愛知県立大学と合同チームを組み、スモールサイズリーグにおいて世界4位の成績を収めている。 なおロボット研究所の所長は1992年~2001年にかけて日本人の金出武雄教授(現在・U.A.and Helen Whitaker記念全学教授)が務めていた。
ノーベル賞受賞学者は、故ハーバート・サイモン教授、エドワード・プレスコット教授を始め、現・前教授および卒業生より13名輩出している。関係者の受賞したその他の著名な賞と人数はチューリング賞が9名、エミー賞が7名、アカデミー賞が3名、トニー賞が4名である。
卒業生にモダンアートのアンディー・ウォーホルやアカデミー賞受賞俳優のホリー・ハンター、新しくはTVシリーズ「ER緊急救命室」のミン・ナなどがいる。
[編集] キャンパス
メインキャンパスは103エーカー (0.4 km²)あり、ピッツバーグ中心地より約3マイル(5 km)離れた近郊に位置する。また西にピッツバーグ大学と隣接する。
[編集] ピッツバーグ以外のキャンパス
メインキャンパス以外の場所にも校舎があるが、いずれもマスターコース用キャンパスである(位置づけとしては大学院大学)。
- カーネギーメロン大学ウェストコースト校 (Carnegie Mellon West):カリフォルニア州シリコンバレーに位置するキャンパス。
- カーネギーメロン大学クエート校 (Carnegie Mellon Qatar Campus):クエートドーハにあるキャンパス。情報科学とティッパースクールを擁する。
- カーネギーメロン大学ヘインツスクールオーストラリア校 (Heinz School Australia):オーストラリアアデレードにあるいわゆるビジネススクール。情報科学のマスターも取得できる。またアデレートには同校のエンタテイメントテクノロジセンターもある。
- カーネギーメロン大学情報ネットワーク学環 (Information Networking Institute)[5]
- カーネギーメロン大学日本校:兵庫県神戸市のポートアイランドにある。
- カーネギーメロン大学アテネ校:ギリシャアテネにある。
- カーネギーメロン大学アベイロ校:ポルトガルアベイロにある。
- カーネギーメロン大学リスボン校:ポルトガルリスボンにある。
[編集] 特筆すべき関係者
[編集] ノーベル賞受賞者
- クリントン・ディヴィソン (教授), ノーベル物理学賞, 1937年
- オットー・シュテルン (教授), ノーベル物理学賞, 1943年
- ハーバート・サイモン (教授, 1949年-2001年), ノーベル経済学賞, 1978年
- フランコ・モディリアーニ (教授), ノーベル経済学賞, 1985年
- マートン・ミラー (教授), ノーベル経済学賞, 1990年
- ジョン・ナッシュ (B.S. 1948年, M.S. 1948年), ノーベル経済学賞, 1994年
- クリフォード・シャル (B.S.), ノーベル物理学賞, 1994年
- ロバート・ルーカス (教授), ノーベル経済学賞, 1995年
- ジョン・ポープル (教授), ノーベル化学賞, 1998年
- ウォルター・コーン (教授), ノーベル化学賞, 1998年
- フィン・キドランド (Ph.D. 1973年, 教授), ノーベル経済学賞, 2004年
- エドワード・プレスコット (Ph.D. 1967年, 教授 1971年-1980年), ノーベル経済学賞, 2004年
- ジョン・ホール (B.S. 1956年, M.S. 1958年, Ph.D. 1961年), ノーベル物理学賞, 2005年
[編集] チューリング賞受賞者
- アラン・パリス (B.S. 1943年), プログラミング技法とコンパイラ構築の分野への貢献に対して, 1966年
- アレン・ニューウェル (教授), 当初は J. C. Shaw と共にランド研究所で、続いてカーネギーメロン大学で多数の同僚や学生の協力を得つつ、20年間に渡って人工知能や認知心理学、リスト処理に関する基本的な貢献を行ってきたことに対して, 1975年
- ハーバート・サイモン (教授), アレン・ニューウェルと同時受賞 ちなみに彼は1978年にノーベル経済学賞も受賞している。
- デイナ・スコット (教授), マイケル・ラビンとの共作論文 "Finite Automata and Their Decision Problem"(有限状態機械とその決定性問題)に対して, 1976年
- ロバート・フロイド (教授), 効率的で信頼できるソフトウェアの作成手法への明確な寄与と、構文解析理論、プログラミング言語の形式意味論、自動プログラム検証、自動プログラム合成、アルゴリズム解析といった情報工学の下位分野の開拓への重要な寄与に対して, 1978年
- アイバン・サザランド (B.D), スケッチパッドの発明とこれに関連する功労に対して, 1988年
- エドワード・ファイゲンバウム (B.S., Ph.D.), 先駆的な大規模人工知能システムの設計と開発および、人工知能技術の実用性と潜在的価値を広く知らしめたことに対して, 1994年
- ラジ・レディ (教授), エドワード・ファイゲンバウムと同時受賞, 1994年
- マニュエル・ブルーム (教授), 計算複雑性理論の基礎的研究とその暗号およびプログラム検証への応用に関する貢献に対して, 1995年
[編集] 関連項目
- Carnegie Mellon University student organizations
- Carnegie Mellon University in popular culture
- Movies filmed at Carnegie Mellon University
- List of Carnegie Mellon University people
- Carnegie Mellon University traditions