アンナ・アンダーソン
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アンナ・アンダーソン(Anna Anderson、1900年? - 1984年2月4日)は、ロシア皇女アナスタシアに生涯化け続けた東欧生まれのアメリカ人女性で、歴史上おそらく最も有名な王族偽装者の一人である。
1920年ドイツのベルリンで、自殺未遂者として精神病院に収容されたアンダーソンは、自分はロシアから処刑を逃れ脱走してきたアナスタシアであると周囲を説得。彼女には、赤の他人を説得する天性の才能があり、耳の形や足の異常形態などアナスタシアと酷似する身体的特徴もあったため多くの支持者を得た。ついには、1920年代にドイツでロシア王室遺産をめぐる訴訟を起こすが、ロシア語が話せない、記憶があやふや、顔があきらかに違うなど、相違点も多く、訴訟は長期化し最終的には却下された。ロシア王室生存者も一部を除いてアンダーソンを拒否。しかし、ロシア王室付属医師の息子グレブボトキンなど、根強い支持者も多かった。
その後支持者の援助でアメリカに移住、アメリカ人Jack Manahanと結婚しノースカロライナに居住、最後まで自分はアナスタシアであると主張し続けた。この結婚はアンダーソンにアメリカ市民権を取らせるためのものであり、アナスタシアの信奉者のひとりであった裕福な夫は、自分は将来ロシア皇帝になる男であるとことあるごとに吹聴し続けた。発見されて以来1984年に死ぬまでアンダーソンは生涯一度も職業を得ず、支持者からの援助金で暮らした。晩年は奇行が目立ち数十匹の猫を放し飼いにしたため、しばしば町から追放されそうになった。
アナスタシアを名乗る偽者は、1920~30年代に少なくとも30人が確認されているが、これほどの支持を集めたのは、アンダーソン一人だけで、彼女の類稀なる才能のおかげといえる。1920年代にはヨーロッパ社交界の華となり、ハリウッドで二度も映画化され、少なくとも3本のTVドキュメンタリーが作られ、ニクソン大統領の就任式にも呼ばれた。これほど彼女が成功した間接的な理由は、スターリンがアナスタシアを含む王室一家を処刑した事実を長年隠蔽したことによる。欧州史において王権打倒時に王や女王を殺害することは頻繁に行われたが、幼い女子まで皆殺しにするのは極めて異例であったため、多くの人は皇女は生存していると信じていた。
彼女の死後10年経った1994年に、イギリスのFSS(Forensic Science Service)が彼女の小腸標本からのミトコンドリアのDNA配列を解読した結果、アンダーソンの正体はポーランド人農家の娘フランツィスカ・シャンツコフスカ(Franziska Schanzkowska、1896年12月16日生 - 1920年3月失踪)である可能性が少なくとも99.7%である、と学術誌ネイチャージェネチックスに発表された。ベルリンで出稼ぎとして爆弾工場で働いていたフランツィスカは、手榴弾を誤って落とした事故で重傷を受け(この際同僚は爆死)精神不安定となり、アナスタシアとして現れる数週間前に消息不明となっている。事実、フランツィスカとアンダーソンの写真は酷似しており、さらに1930年代に彼女の兄弟がアンダーソンと面会したさい(この面会は、ヒトラードイツ総統府の催促で実現した)兄弟は、彼女が彼らの姉妹であると認めている(しかし、その後兄弟は「姉の新しい"仕事"を邪魔してはいけない」と前言を撤回)。アンダーソンはこの爆発による体中の傷を銃殺処刑をかろうじて逃れた証拠と主張していた。
しかしアナスタシアを信奉する信者の活動は、アメリカ人作家ピーター・カースをはじめ根強く、アメリカではいまだにほぼ毎年アンダーソン関連の著作が出版されている。