イスラム国家
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イスラム国家(イスラムこっか、アラビア語:دولة إسلامية 、英語:islamic state)は、イスラームに立脚する国家。厳密にはシャリーア(イスラーム法)を施行する国家と考えられている。従って、ムスリム(イスラム教徒)が多数を占める「イスラム教国」であってもトルコ共和国のように世俗主義を標榜し、シャリーアを廃止している国家は、イスラム国家とは言われないのが普通である。
[編集] カリフ制とイスラム国家
古い時代については、イスラム国家という語は、預言者ムハンマド以後のカリフ制の国家(ウンマ、イスラム帝国)を指す。ウマイヤ朝以降、イスラム帝国は次第に分裂して実質上単一のイスラム国家ではなくなっていき、モンゴル族によるアッバース朝の滅亡により完全に消滅した。その後は、スンナ派では、やがて興隆したオスマン帝国が、マムルーク朝を滅ぼしてマッカ(メッカ)、マディーナ(メディナ)を征服すると、イスラム国家の中心と認められるようになった。オスマン帝国は衰退してくるとカリフ制を標榜してくるようになったので、一時期は再びカリフ制への待望が高まるようになったが、トルコ共和国が1924年にオスマン家のカリフを廃止して以来、下火となりつつある。
[編集] シーア派とイスラム国家
シーア派においては伝統的にイマームを指導者とするイスラム国家が理想とされてきた。1979年のイラン革命が成功するにあたって、イスラム法学者がイマームに代わってイスラム国家を指導することができるとする理論が確立され、イランはイスラム国家、イスラム共和国と称するようになった。
[編集] 現代イスラーム復興とイスラム国家
多くのスンナ派が多数を占める国家では、イスラム教を国教とし、シャリーアを法として施行しているイスラム国家が少なくないが、国家運営面では実質的に穏健・世俗的な政権となっていることが多い。現代のイスラーム復興主義(いわゆるイスラム原理主義)急進主義者たちは、イスラム国家建設を唱えて、このような政権に脅威を与えている。