ウィルキー・コリンズ
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ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins, 1824年1月8日 - 1889年9月23日)はイギリスの小説家、推理作家、戯曲作家である。多作家、ヴィクトリア朝の人気作家であり、初期の長編推理小説作家として重要である。
ロンドンで、高名な風景画家ウィリアム・コリンズの子息として生まれる。17歳で紅茶商へ見習いに入るが、法学へ転向。父の没後に発表された、父ウィリアムの回想録が最初の出版された作品となる。その後、一時期は画家を目指したが、処女小説『アントニア』の発表以後は小説へ。
1851年に友人の紹介でチャールズ・ディケンズと知り合い、友人となる。以後、ディケンズの雑誌『暮らしの言葉』などへ作品を発表する。
晩年は時流にも取り残され、不遇であった。
代表作に『白衣の女』(1860年、発表当時は伝説的な大ヒットになった)、『月長石』(1868年)などがある。
[編集] 経歴
1824年に風景画家、ウィリアム・コリンズの長男として生まれる。ロンドンの私立学校で数年を過ごした後、家族と共にイタリアへ移住。父親の宗教的な几帳面さや保守的な考えに反対し、文筆家として生きることを志す。処女作は1848年に出版された父ウィリアムの回想録である。1850年代には共に旅行などしつつディケンズの出版する雑誌『暮らしの言葉』などに定期的に寄稿する。ディケンズはコリンズの劇にも出演している。1860年の『白衣の女』は伝説的な大ヒットとなった。書店には購入を求める人々が列をなし、時の蔵相グラッドストーンがその続きを読みたいがために知人とのオペラ鑑賞をすっぽかしたのは有名。さらに1868年に発表された『月長石』は最初期の長編推理小説として名高くT・S・エリオットにより「最初の最大にして最良の推理小説」と絶賛された。
生涯結婚はせずさまざまな浮き名を流した。キャロライン・グレーブスという女性とは家を建てて同居し、彼女の連れ子を育てた。また、マーサ・ルッドの私生児も援助している。このため、当時の社交界からは追放されている。晩年は関節炎の鎮痛剤として阿片に耽溺することになり、ドッペルゲンガーなどのさまざまな幻覚に悩まされた。幻覚で見た奇妙な人物は晩年の作品にも登場している。晩年は時流にも取り残され、不遇であった。
[編集] 作品
- アントニア
- 白衣の女
- 月長石