ウォリック伯
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ウォリック伯(Earl of Warwick, 発音:"Worrick")の称号は、イングランドの伯爵位の中でも最も古い爵位の1つである。
イングランド史においては特に16代目のリチャード・ネヴィルが高名であり、薔薇戦争期には「キング・メーカー」と称されたほどのキーマンであった。また、第3期を除いてウォリック伯の拠点はウォリックシャー州のウォリック城であった。
目次 |
[編集] ウォリック伯 第1期 (1088年)
- ヘンリー・ドゥ・ボーモン (初代ウォリック伯) (1048年頃-1123年)
- ロジャー・ドゥ・ボーモン (第2代ウォリック伯) (1102年頃-1153年)
- ウィリアム・ドゥ・ボーモン (第3代ウォリック伯) (1140年以前 - 1184年)
- Waleran ドゥ・ボーモン (第4代ウォリック伯) (1153年-1204年)
- ヘンリー・ドゥ・ボーモン (第5代ウォリック伯) (1195年頃-1229年)
- トーマス・ドゥ・ボーモン (第6代ウォリック伯) (?-1242年)
- ジョン・du Plessis (第7代ウォリック伯) (?-1263年)
- ウィリアム・Maudit (第8代ウォリック伯) (1220年頃-1268年)
- ウィリアム・ドゥ・ボーシャン (第9代ウォリック伯) (1240年頃-1298年)
- ガイ・ドゥ・ボーシャン (第10代ウォリック伯) (?-1315年)
- トーマス・ドゥ・ボーシャン (第11代ウォリック伯) (?-1369年)
- トーマス・ドゥ・ボーシャン (第12代ウォリック伯) (1339年頃-1401年)
- リチャード・ドゥ・ボーシャン (第13代ウォリック伯) (1382年-1439年)
- ヘンリー・ドゥ・ボーシャン (初代ウォリック公) (1425年-1445年)
- アン・ドゥ・ボーシャン (第15代ウォリック女伯爵) (?-1449年)
- アン・ネヴィル (第16代ウォリック女伯爵) (1426年-1492年)
- リチャード・ネヴィル (妻の権利による 第16代ウォリック伯) (1428年-1471年) ("キングメーカー・ウォリック伯")
- エドワード・プランタジネット (第17代ウォリック伯) (1475年-1499年) (剥奪 1499年)
[編集] ウォリック伯 第2期 (1547年)
- ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公・初代ウォリック伯) (1501年-1553年)
- ジョン・ダドリー (第2代ウォリック伯) (?-1554年)
- アンブローズ・ダドリー (第3代ウォリック伯) (1529年頃-1589年)
[編集] ウォリック伯 第3期 (1618年)
- ロバート・リッチ (初代ウォリック伯) (?-1619年)
- ロバート・リッチ (第2代ウォリック伯) (1587年-1658年)
- ロバート・リッチ (第3代ウォリック伯) (1611年-1659年)
- チャールズ・リッチ (第4代ウォリック伯) (1619年-1673年)
- ロバート・リッチ (第5代ウォリック伯) (1620年-1675年)
- エドワード・リッチ (第6代ウォリック伯) (1673年-1701年)
- エドワード・ヘンリー・リッチ (第7代ウォリック伯) (1697年-1721年)
- エドワード・リッチ (第8代ウォリック伯) (1695年-1759年)
[編集] ウォリック伯 第4期 (1759年)
- フランシス・グレヴィル (初代ウォリック伯) (1719年-1773年)
- ジョージ・グレヴィル (第2代ウォリック伯) (1746年-1816年)
- ヘンリー・リチャード・グレヴィル (第3代ウォリック伯) (1779年-1853年)
- ジョージ・ガイ・グレヴィル (第4代ウォリック伯) (1818年-1893年)
- フランシス・リチャード・チャールズ・グレヴィル (第5代ウォリック伯) (1853年-1924年)
- レオポルド・ガイ・フランシス・Maynard グレヴィル (第6代ウォリック伯) (1882年-1928年)
- チャールズ・ガイ・ファルク・グレヴィル (第7代ウォリック伯) (1911年-1984年)
- デイヴィッド・ロビン・フランシス・ガイ・グレヴィル (第8代ウォリック伯) (1934年-1996年)
- ガイ・デイヴィッド・グレヴィル (第9代ウォリック伯) (1957年-)
法定推定相続人はチャールズ・ファルク・チェスター・グレヴィル (ブルック卿) (1982年-)