エンツォ・フランチェスコリ
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エンツォ・フランチェスコリ・ウリアルテ(Enzo Francescoli Uriarte、1961年11月12日 - )はウルグアイ首都モンテビデオ出身の元サッカー選手で元ウルグアイ代表。ポジションはFW。1997年に現役引退。 ニックネームはEl principe(エル・プリーンシペ、スペイン語)やLe prince(ル・プランス、フランス語)、どちらも王子という意味。
ダイレクトプレー、両足フェイント、トリックプレイ、1対1シュート、ペナルティーキックなど、多彩なテクニックで観客を魅了した。 サッカーウルグアイ代表の一員として1986と1990 FIFAワールドカップに出場した。 コパ・アメリカ1983、1987、1995にウルグアイ代表メンバーとして3回優勝している。
2004年、偉大なサッカー選手100人でペレに選ばれた。
ちなみに世界最高峰のMFであるジネディーヌ・ジダンが最も尊敬する選手に彼の名前を挙げている。 その証拠にジダンは自分の息子に「エンツォ」という名前を授けている。
1997年、ワールドカップ予選で苦戦するウルグアイ代表を救うため、テレビに出演し代表チームに大きな声援を送ってくれるよう国民に向けて訴えた。
[編集] 所属クラブ
- モンテビデオ・ワンダラーズ(ウルグアイ)1980-1982
- リバープレート(アルゼンチン)1983-1986
- ラシン・パリ(フランス)1986-1989
- オリンピック・マルセイユ(フランス)1989-1990
- カリアリ(イタリア)1990-1993
- トリノ(イタリア)1993-1994
- リバープレート(アルゼンチン)1994-1997
先代: ソクラテス |
南米年間最優秀選手 1984 |
次代: フリオ・セサール・ロメロ |
先代: カフー |
南米年間最優秀選手 1995 |
次代: ホセ・ルイス・チラベルト |
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