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1990 FIFAワールドカップ - イタリア
1990 FIFA World Cup
Coppa del mondo FIFA
Italia '90 |
参加国・地域数 |
24
(予選出場国: 116) |
開催国 |
イタリア |
優勝 |
ドイツ (2回目) |
試合数 |
52 |
総得点 |
115
(1試合平均2.21点) |
総入場者 |
2,517,348
(1試合平均48,411人) |
得点王 |
サルヴァトーレ・スキラッチ(イタリア)
6得点 |
サッカーの世界大会である第14回FIFAワールドカップは1990年にイタリアで開催された。
[編集] 大会概要
大会は西ドイツが優勝し、この3度目のワールドカップでの優勝と3つの準優勝で、1994年にブラジルが4度めの優勝を達成するまで、ワールドカップ史上最高の経歴を誇ることになる。西ドイツの監督を務めたフランツ・ベッケンバウアーは、マリオ・ザガロに次ぎ、選手と監督の両方でワールドカップ優勝を成し遂げた人物となった。東西ドイツ統合直前の西ドイツは、第12、13回大会いずれも決勝戦で敗退した前の2大会とは違い、開幕前からイタリアなどと並ぶ優勝候補の筆頭と目され、その前評判に違わぬ強さを見せた。どこからでも点の取れる攻撃陣と大柄で屈強な選手を揃えた守備陣を誇る、非常に完成度の高いチームで、一次リーグから決勝戦まで相手に一度もリードを許すことなく優勝した。
1986年のワールドカップと同じ競技方式で大会は行われた。24チームが参加し、4チームごとに6つのグループに分けられた。各グループの1位と2位の12チームと3位チームの中から成績が優秀な順に4チームの合計16チームが決勝トーナメントに進出した。
大会は番狂わせから始まった。大会の初戦で前回優勝国のアルゼンチンがカメルーンに1-0で敗れた。カメルーンは最終的にアフリカ勢として初めて準々決勝まで駒を進め、イングランドに途中まで2-1とリードしながら、延長戦の末3-2で逆転負けした。当時すでに38歳であり、ワールドカップに参加するためだけに引退を撤回したカメルーン代表のロジェ・ミラは、この大会で世界のトップレベルの選手であることを世界に知らしめた。
初戦で敗れたアルゼンチンであったが、チームを建て直して、トーナメントにグループ3位でありながら進出し決勝まで駒を進めた。トーナメントの初戦でブラジルを破り、準決勝で今大会で地元イタリアに対戦した国の中で唯一の得点をきめて1-1に持ち込み、延長戦の結果PK戦で勝利した。
イタリア代表のサルヴァトーレ・スキラッチは、登場した6試合の毎試合で得点を決め、6得点でこの大会の得点王になった。大会のMVPに送られるアディダスゴールデンボール賞にもスキラッチが選ばれている。この大会以前は、スキラッチはイタリア代表として1度しか戦ったことはなく、またイタリア代表としてあげた7得点のうち、6得点をこの大会で決めている。地元のイタリア代表は1次リーグ3戦全勝、準々決勝まで無失点など大会を通して優勝した西ドイツ以上の戦いぶりを見せたが、準決勝でアルゼンチンにPK戦の末敗退した。PK戦での敗退は公式記録上引き分けに当たるので、イタリア代表は6勝1分の無敗(逆のケースがアイルランドで、グループリーグ3試合をいずれも引き分けて決勝トーナメントに進出し、その1回戦ではPK勝ちと、公式記録上1勝もせずにベスト8に進出)ながら頂点にたてなかった。
その他、注目に値するミッドフィールダーが何人も出現した。コロンビアをスルーパス一本で決勝トーナメント進出に導いたカルロス・バルデラマ、イマジネーションあふれるプレイの連続でユーゴスラビアベスト8の立役者・ドラガン・ストイコビッチ、数々のアシストが光ったイングランドのポール・ガスコインなどである。
[編集] 出場国
ヨーロッパ
南米
北中米カリブ海
アフリカ
アジア
[編集] 会場一覧
- オリンピコ・スタジアム (Stadio Olimpico) (ローマ) - 81,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド、準々決勝、準決勝、決勝]
- サン・パオロ・スタジアム (Stadio San Paolo) (ナポリ) - 74,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド、準々決勝、準決勝]
- デッレ・アルピ・スタジアム (Stadio Delle Alpi) (トリノ) - 68,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド、準決勝]
- サン・ニコラ・スタジアム (Stadio San Nicola) (バーリ) - 56,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド、3位決定戦]
- アルテミオ・フランキ・スタジアム (Stadio Artemio Franchi) (フィレンツェ) - 41,000人 [第1ラウンド、準決勝]
- ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム (Stadio Giuseppe Meazza) (ミラノ) - 75,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド、準々決勝]
- ルイジ・フェラーリス・スタジアム (Stadio Luigi Ferraris) (ジェノヴァ) - 35,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド]
- レナト・ダッラーラ・スタジアム(Stadio Renato Dall'Ara) (ボローニャ) - 39,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド]
- マルクアントニオ・ベンテゴディ・スタジアム (Stadio Marc'Antonio Bentegodi) (ヴェローナ) - 42,000人 [第1ラウンド、第2ラウンド]
- フリウリ・スタジアム (Stadio Friuli) (ウーディネ) - 38,000人 [第1ラウンド]
- サントエリア・スタジアム (Stadio Sant'Elia) (カリャリ) - 40,000人 [第1ラウンド]
- デラ・ファヴォリータ・スタジアム (Stadio Della Favorita) (パレルモ) - 36,000人 [第1ラウンド]
[編集] 第1ラウンド
[編集] グループ A
|
イタリア |
1 - 0 |
オーストリア |
アメリカ合衆国 |
1 - 5 |
チェコスロバキア |
イタリア |
1 - 0 |
アメリカ合衆国 |
オーストリア |
0 - 1 |
チェコスロバキア |
オーストリア |
2 - 1 |
アメリカ合衆国 |
イタリア |
2 - 0 |
チェコスロバキア |
|
[編集] グループ B
|
アルゼンチン |
0 - 1 |
カメルーン |
ソ連 |
0 - 2 |
ルーマニア |
アルゼンチン |
2 - 0 |
ソ連 |
カメルーン |
2 - 1 |
ルーマニア |
カメルーン |
0 - 4 |
ソ連 |
アルゼンチン |
1 - 1 |
ルーマニア |
|
[編集] グループ C
|
ブラジル |
2 - 1 |
スウェーデン |
コスタリカ |
1 - 0 |
スコットランド |
ブラジル |
1 - 0 |
コスタリカ |
スウェーデン |
1 - 2 |
スコットランド |
スウェーデン |
1 - 2 |
コスタリカ |
ブラジル |
1 - 0 |
スコットランド |
|
[編集] グループ D
|
UAE |
0 - 2 |
コロンビア |
西ドイツ |
4 - 1 |
ユーゴスラビア |
ユーゴスラビア |
1 - 0 |
コロンビア |
西ドイツ |
5 - 1 |
UAE |
西ドイツ |
1 - 1 |
コロンビア |
ユーゴスラビア |
4 - 1 |
UAE |
|
[編集] グループ E
チーム |
勝ち点 |
試合数 |
勝 |
引 |
負 |
得点 |
失点 |
スペイン |
5 |
3 |
2 |
1 |
0 |
5 |
2 |
ベルギー |
4 |
3 |
2 |
0 |
1 |
6 |
3 |
ウルグアイ |
3 |
3 |
1 |
1 |
1 |
2 |
3 |
韓国 |
0 |
3 |
0 |
0 |
3 |
1 |
6 |
|
ベルギー |
2 - 0 |
韓国 |
ウルグアイ |
0 - 0 |
スペイン |
韓国 |
1 - 3 |
スペイン |
ベルギー |
3 - 1 |
ウルグアイ |
韓国 |
0 - 1 |
ウルグアイ |
ベルギー |
1 - 2 |
スペイン |
|
[編集] グループ F
チーム |
勝ち点 |
試合数 |
勝 |
引 |
負 |
得点 |
失点 |
イングランド |
4 |
3 |
1 |
2 |
0 |
2 |
1 |
オランダ |
3 |
3 |
0 |
3 |
0 |
2 |
2 |
アイルランド |
3 |
3 |
0 |
3 |
0 |
2 |
2 |
エジプト |
2 |
3 |
0 |
2 |
1 |
1 |
2 |
|
イングランド |
1 - 1 |
アイルランド |
オランダ |
1 - 1 |
エジプト |
イングランド |
0 - 0 |
オランダ |
アイルランド |
0 - 0 |
エジプト |
イングランド |
1 - 0 |
エジプト |
アイルランド |
1 - 1 |
オランダ |
|
[編集] 決勝トーナメント
[編集] 1回戦
[編集] 準々決勝
[編集] 準決勝
[編集] 3位決定戦
[編集] 決勝戦
1990ワールドカップ
優勝国: |
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西ドイツ
3回目 |
[編集] 評価とその後への影響
カメルーンやコスタリカといった第3勢力の躍進があったとはいえ、組織プレー重視、そして反則も辞さない守備的な風潮が進んだ事もあり、内容としては大会史上最もつまらない大会だったとも言われる。1試合あたりの平均ゴール数2・21は大会史上最低の数字である。一方で退場者は前回の8人から16人と倍増した。
その兆候は、開幕戦と決勝戦を戦った3チームにみる事ができる。抜群の身体能力を駆使してアフリカ勢初のベスト8に進出し、大会を沸かせたカメルーンだったが、その陰では反則覚悟の強引な守備で開幕戦では2人の退場者を出し(それでもアルゼンチンに勝ったのは凄い事ではあるが)、惜しくも敗れた準々決勝のイングランド戦でも累積警告で主力4人が出場停止となっていた。
そのカメルーンに敗れながら、チームを立て直して決勝まで進んだアルゼンチンも、前回優勝時と比べてマラドーナ以外のタレントが不足しており、マラドーナによりマークが集中してPK戦も辞さない守備重視の戦いの連続。大会途中から正GKに定着したゴイゴチェアの驚異的な活躍で準々決勝、準決勝のPK戦を乗り切ったがその代償も大きく、決勝では今大会唯一無二のマラドーナのパートナーだったカニーヒアをはじめ、主力4人が出場停止となり、決勝戦ではチーム力の限界を露呈してしまった。
決勝戦は前回と同じカードとなったが、上記のようにゲームメイクからゴールまで、攻撃の全てをマラドーナに頼らざるを得ないアルゼンチンに対し、西ドイツはマテウスなど前回大会を経験した主力の大半が年齢的にピークを迎えており、戦力では圧倒的に優位だった。しかし、アルゼンチンのシュートをマラドーナの外したFK1本に抑えながらも、得点は後半40分のPKの1点のみ。守備に忙殺されたアルゼンチンと、2人のアルゼンチン選手の退場者を誘発して数的優位になりながらも、先制後はGKへのバックパスを繰り返すばかりで、したたかで用心深すぎる西ドイツの戦いぶりにより(西ドイツは2大会連続準優勝と言う事情もあったが)、追いつ追われつの歴史に残る名勝負だった前回とはあまりにも対照的な決勝戦となってしまった。
尚、ゴール数の低下傾向は前回のメキシコ大会から続いており、前回はマラドーナ、プラティニ、ジーコといったスター選手の輝きでそれほど問題にはならなかったが、このイタリア大会では彼らに匹敵するスター選手の個人技よりも組織プレーが優先された事で、ゴール数の低下と反則も辞さない守備側のプレーへの懸念が一気に高まった。この大会の後になって、リーグ戦おいての勝ち点3制度への改正、オフサイドルールの緩和、GKへのバックパスの制限、そしてバックチャージなどに象徴されるような守備側の確信犯的な反則に対しては即退場処分とするなど、イタリア大会は結果的に、守備的な風潮を食い止める為の大掛かりなルール改正への分岐点となった。
カメルーンの躍進以外の数少ない明るい話題として、コロンビアのGKイギータの活躍があげられる。イギータは、積極的にペナルティエリア外に出てDFの裏に出たボールに絡んでカバーリングし、観客を沸かせた。GKの概念を変えた先駆者でもある。しかし決勝トーナメント1回戦では、ペナルティエリア外でボールコントロールミスによりロジェ・ミラにボールを掻っ攫われてしまい、決定的な失点を犯してしまった。
[編集] その他
1986年のメキシコ大会で大活躍したディエゴ・マラドーナは、故障を抱えたまま出場したが、当事自分がセリエAのナポリに所属していた事もあってナポリ市民にイタリアではなく自分を応援するように仕向けたため、激しいブーイングを浴びる事になった。結局、アルゼンチンはマラドーナが決勝トーナメントのブラジル戦で見事なアシストを決めるなどの活躍で決勝にまで駒を進めたが、敗れたブラジルがマラドーナに渡されたコップの水に薬が入っていたと主張していた。そして実際に近年、マラドーナ自身が給水ボトルに睡眠薬を混ぜていたことをテレビで暴露し、物議を醸した。決勝戦では地元イタリアのファンを完全に敵に回し、スクリーンにマラドーナの姿が映し出されるたびに大きなブーイングが飛ぶ状態となった。