オアハカ州
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州都 | オアハカ |
知事 (2004年 - 2010年) |
ウリシーズ・ルイス・オルティス (PRI) |
面積 | 93,952km2 メキシコで5番目 |
人口 (2000年国勢調査) |
3,432,180 メキシコで10番目 |
連邦下院議員 (11) | PRI = 11 |
連邦上院議員 | PRI = 2 PRD = 1 |
ISO 3166-2 郵便略号 |
MX-OAX Oax. |
オアハカ州(Estado de Oaxaca)は、メキシコ合衆国の州のひとつで、テワンテペク地峡の南西に位置し、太平洋岸に面した山がちな州である。西側にゲレーロ州、北西にプエブラ州、東にチアパス州、北にベラクルス州と境界を接する。オアハカ州は、95,364km²でメキシコで5番目に大きな面積を持つ州である。人口は、2003年度に、3,597,700人に達した。オアハカは、歴史的にサポテカ文化やミシュテカ文化の繁栄した土地であった。また、メキシコで最も有名な指導者、ベニート・ファレスは、この州のサン・パブロ・ゲラタオ村の出身である。
アステカ人が1436年に侵入するまでは、この地方で最も強力かつ影響力があったのは、サポテカ族とミシュテカ族とミヘ族であった。オアハカには、モンテ=アルバンやミトラなどの重要な祭祀センターが築かれた。A.D.900ごろモンテ=アルバンは衰退し、A.D.1300頃になるとミシュテカ人の小王国がオアハカに分立するようになる。
サポテカ族やミシュテカ族の影響力は、アステカ人がオアハカに植民し、彼らの神殿を現在のセロ=デル=フォルティンのカルメン=アルト教会の位置に築いてその周囲に住み着くと変化が起こってくる。オアハカの名称の由来は、ナワトル語のウァシャカクHuaxacacであり、これは、「赤い鞘をつける木(西guaje学名Laucaena leucocephala)のある場所」という意味であり、このアカシアの一種である木がオアハカの盆地周囲にたくさん生えていることから名付けられた。
スペイン人がその後1世紀足らずでオアハカに来るとHuaxacacは、Oaxacaと呼ばれるようになり、これが州都の名前と州の名前になった。1521年にセグラ=デ=ラ=フロンテラ(Segura de la Frontera)後にヌエバ=アンテケラ(Nueva Antequera)としてスペインの植民地となったが、カルロス1世の勅令によって、アンテケラ=デ=グアハカ(Antequera de Guaxaca)と改名されてスペイン王直轄の都市となった。
オアハカには多くの民芸品があるが、色鮮やかな織物や黒粘土で製作された小物などが知られる。