カメラ毎日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カメラ毎日とは、毎日新聞社から刊行されていたカメラ・写真に関する雑誌。
- 1954年に創刊。1985年に廃刊。
- 1954年、創刊時にはロバート・キャパを日本に招待した。こうして日本に訪れたキャパはアメリカの写真雑誌ライフの依頼で仏領インドシナに取材に行くことになり、そこで地雷を踏み命を落とすことになってしまった。
[編集] 特徴
カメラ毎日が創刊された1950年代は、現在も残っている「アサヒカメラ」「日本カメラ」以外にも「サンケイカメラ」など多くの雑誌が創刊され空前のカメラ雑誌ブームであった。創刊時にロバート・キャパを招待したが、他誌との違いはそれほど見られなかった。しかし1960年代はじめになるとライトパブリシティなどの広告代理店の写真部に属す若い広告写真家(横須賀功光、高梨豊、立木義浩、篠山紀信、沢渡朔など)の作品を掲載するようになった。
こうした流れの中で生まれたのが1965年4月号に掲載された立木義浩の「舌出し天使」である。全56ページ、構成 和田誠、 詩 寺山修司、解説 草森紳一という写真集のような構成で、日本写真雑誌の一つの到達点であったといえる。この他にも1966年1月号には高梨豊の「東京人」、1965年11月号には奈良原一高の「静止した時間」など日本写真史に残る、30ページ以上の大特集を組んだ。
しかしこれらの過剰なテクニックや演出の反動や、1960年代という学生運動などの政治的な時代を受けて、掲載される写真が大きく転換していく。森山大道や中平卓馬などの「アレ・ブレ・ボケ」写真や牛腸茂雄などの「コンポラ写真」である。他に柳沢信、新倉孝雄、須田一政、鈴木清などが活躍する。
こうした「アレ・ブレ・ボケ」や「コンポラ写真」はプロの写真家の技術的優位を否定し、アマチュア写真家に大きな影響を与え、1977年1月号から自由公募ページ「アルバム」欄が始まり、鬼海弘雄などがここから登場した。
後期のカメラ毎日では、こうしたラディカルな誌面作りが保守的な読者が離れさせ、広告主も離れ部数減から休刊することになった。