カレン・カーペンター
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カレン・アン・カーペンター(Karen Anne Carpenter、1950年3月2日 - 1983年2月4日)は、カーペンターズのヴォーカリスト。
声の美しさに定評があって、ジョン・レノンも絶賛したという。親日家でもあった。
[編集] 生涯
アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイヴンに生まれる。家族は1963年にロサンジェルス郊外へ転居した。
兄のリチャードが音楽で才能を開花させていた影響を受けて、10代半ばになるとドラムを叩き始める。しかし以前にサックスやフルートをやったが挫折していたので、両親や兄リチャードは続くかどうか半信半疑だったという。しかしカレンはドラムに没頭し、練習を繰り返したという。スペクトラムに始まり、カーペンターズとして活動し始めた当初まで、ドラムを担当した。ただ、カレンはタムの多いフルセットのドラムが好きだったこともあって、テレビに映りにくいと云うこともあってか、やがてリチャードの意向を受けてヴォーカル専門に活動するようになった。カーペンターズはカリフォルニア州を中心として、世界的に活動した。
1980年、若手実業家のトム・バリスと結婚をするも、翌年暮れには破綻。離婚同意書にサインする直前(約束の6時間ほど前)に彼女が死去したため、現在も既婚のままとなっている。
子供が大好きで、彼女自身、子供のような無邪気さと純粋さを持っていて周囲の人から好かれていた。だが、自らの体型については太りすぎという固定観念を持っており、やがて精神的な病となっていった。
カレンはいつの頃からか摂食障害(拒食症)に悩まされるようになる。後のセラピーの過程で親子関係が背景にあると見られている(はっきりと現れてきたのは1975年からとされている)。
一時期ソロ活動を行うが、曲が公開されるのは、カレンの死後となる(成熟味をもちすぎているという意見から当時は兄や会社側から反対があった)。
1983年2月4日早朝、両親の家で意識不明になっているところを発見され、同日死去した。32歳の若さだった。死因は急性心不全。長期の闘病生活が心臓に負担をかけていたと思われる。なお、拒食症で死んだと思われている事が多いが、彼女は最終的には中枢性催吐剤などを用いた自己誘発性嘔吐を伴う過食症になっていた[要出典]。
[編集] 関連項目
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