キャッスル作戦
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キャッスル作戦(-さくせん、Operation Castle)は、アメリカ合衆国が1954年にビキニ、エニウェトクの二つの環礁で行なった、一連の核実験。合計で6回の実験が行われ、特に3月1日に行なわれたブラボー実験が有名。
[編集] 概要
アメリカが行なった核実験のうち、1952年のアイビー作戦に続くものである。アイビー作戦のマイク実験において、人類史上初の水爆の爆発実験が行なわれたが、この実験で使われた水爆は大規模な付属品のために重量が65トンにも及ぶ湿式水爆で、実用兵器には程遠いものだった。ところが、翌1953年にソ連が大幅に小型化した乾式水爆の実験に成功(ただし現在では、実際には水爆ではなかった、と言われている)し、アメリカも対抗上小型化した乾式水爆の開発を迫られ、その成果を試すため、キャッスル作戦が行なわれた。
[編集] 実験内容
行なわれた実験は以下の通り。
実験名 | 日時 | 核出力 | 場所 |
---|---|---|---|
ブラボー | 1954年3月1日 | 15Mt | ビキニ環礁 |
ロメオ | 1954年3月27日 | 11 Mt | ビキニ環礁 |
クーン | 1954年4月7日 | 110 kt | ビキニ環礁 |
ユニオン | 1954年4月26日 | 6.9 Mt | ビキニ環礁 |
ヤンキー | 1954年5月5日 | 13.5 Mt | ビキニ環礁 |
ネクター | 1954年5月14日 | 1.69 Mt | エニウェトク環礁 |
[編集] ブラボー実験
一連のキャッスル作戦のうち、ブラボー実験が最も有名である。これには二つの理由がある。
- ブラボー実験の成功が、爆撃機に搭載可能な、実用兵器としての水爆の出現を意味した。
- アメリカの不十分な危険水域設定により、第五福竜丸を始めとする数百隻の漁船が被曝し、またロンゲラップ環礁などにも死の灰の降灰があり、2万人以上が被曝した。これはアメリカが引き起こした最悪の被曝である。
危険水域の設定が不十分だったのは、出力の見積りを誤ったせいである。見積りでは4-8Mtとされていたが、実際にはその3倍程度の15Mtに及んだ。これは、設計を担当したロスアラモス研究所のミスによる、と言われている。
しかし、その後のアメリカ政府の対応のまずさから被爆者の数が増え、特に当時のマーシャル諸島の住民に対する処置は「事実上の人体実験ではないか」とする批判がある。
また、第五福竜丸の被害は、日本国内で大きな反響を呼び、大きな反核運動となった。