被曝
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被曝(ひばく)とは、人体が放射線にさらされる事である。
被曝は人体表面からの被曝である外部被曝と、経口摂取した放射性物質などで人体内部が被曝する内部被曝に分類される。また、人体は常に宇宙線や地殻からの放射線などにより自然に被曝しており、これは特に自然被曝と呼ばれる。
近年では日用品に含まれる放射性物質の影響の問題がクローズアップされている。
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[編集] 曝露
通常と異なる環境中に何かを置くことを曝露(暴露。exposure)という。 環境には、化学物質のある雰囲気、高温や低温、騒音や振動、電場や磁場、または空気や太陽光といったものが含まれ、曝露された対象物が対照群(曝露されていないサンプル)と異なる性質を示すかどうかに着目する。 例えば、バナナをエチレンに曝露すると成熟が速くなる。
これを、曝露される対象物から見たとき、被曝すると言う; すなわち、エチレンに被曝したバナナは成熟が速くなる。
戦後、放射線場に曝露された人間の健康影響が、政府やメディアの間で広く関心を集めたことから、日本においては科学の文脈以外の場で「被曝」といった場合は、ヒトの放射線被曝を指している。
この項目では放射線被曝について説明する。
[編集] 内部被曝
放射線源を体の内部に取り込んだ場合の被曝を内部被曝という。 これに対し、放射線源が体外にあって放射線だけが体に照射された場合の被曝を外部被曝という。 放射線源を体内に取り込む経路には以下のようなものがある:
- 放射性物質を口から取り込む(汚染された飲食物を摂取するなど)
- 放射性物質が皮膚の傷口から血管に入る
- 放射性物質のエアロゾルまたは気体を肺で吸い込む
したがって、閉じていない傷のある者は放射性物質の取り扱いを避けるべきである。 また、放射性のエアロゾルまたは気体のある雰囲気中ではそれを除去できるフィルターを有した呼吸保護具等を装備しなければならない。 放射性物質が皮膚表面に付着しただけでは内部被曝とはならないが、手を汚染した場合は、その後の飲食、喫煙または化粧などによって汚染を体内に取り込む可能性が高い。 したがって、放射性物質を取り扱う区域内では飲食、喫煙または化粧を行ってはならず、また取り扱いを中断・終了するときは必ず手に汚染がないことを放射線測定器で確認しなければならない。
内部汚染を起こした場合、汚染の除去は外部汚染よりはるかに困難となるので、より長期間被曝することになる。
体内に取り込まれた放射性物質がどのように振舞うかは、その元素の種類と化学形により様々である。 例えば、よう素は甲状腺に集まる性質があり、ストロンチウムは骨に集まりやすいことが知られている。
[編集] 生物学的半減期
体内に取り込まれた放射性物質は、それ自身の放射物理学的に原子核崩壊して減っていくのとは別に、生物学的な作用により、排泄されるなどして体外に排出されることで減っていく。 いずれのメカニズムも、体内にあるその物質の量に対し一定の割合が 減少していくので、その減り方は指数関数的であり、一定の時間ごとに半分に減っていく。 原子核崩壊によって半分に減る時間を物理学的半減期(または単に半減期)、生物学的な排出によって半分に減る時間を生物学的半減期という。
両方を合わせた実効半減期は、以下の式で計算される:
[編集] 預託実効線量
体内に入った放射性物質が生物学的半減期により減っていくことを 織り込み、50年間の被曝線量を積算したものが預託実効線量である。 内部被曝による被ばくは長期にわたるため、生涯の健康リスクを評価するには預託実効線量を用いる。
[編集] 被曝の影響
[編集] 確定的影響
アルファ線やガンマ線のような電離放射線を水に照射すると、電離作用によりラジカル、過酸化水素やイオン対等が発生する。ラジカルは激しい化学反応を起こす性質を持つ。人体の細胞中の水にラジカルが生じると、細胞中のDNA分子と化学反応を起こし、遺伝情報を損傷する。DNAはある程度の損傷に対しては自己修復する機能が備わっているが、損傷が修復できる限度を越えると、細胞分裂不全となり自死してしまう。こうして細胞が必要なときに補充されないと、放射線障害としての症状が現れるのである。
また細胞分裂の周期が短い細胞ほど、放射線の影響を受けやすい(骨髄にある造血細胞、腸の内壁などがこれに当たる)。逆に細胞分裂が起こりにくい骨、筋肉、神経細胞は放射線の影響を受けにくい。
これ以下では健康への影響が現れない線量、しきい値があるのは、このDNAの自己修復機能があるため。ただし、ある程度多量な放射線を浴びたときには皮膚・粘膜障害や骨髄抑制(造血細胞が減少し白血球や赤血球が減少すること)、脊髄障害は必発となる。 また、線量が上がるごとに症状の重篤度が上がる。 こうした性質を持つ放射線障害を総称して確定的影響と呼ぶ。
[編集] 確率的影響
放射線障害の内、癌と白血病は突然変異の一種であり、上記の確定的影響とは異なるメカニズムで発生する(詳しくは悪性腫瘍を見よ)。 此為、明確なしきい値はなく、線量に比例して突然変異の確率が上がると考えられている。 こうした性質を持つ放射線障害を総称して確率的影響と呼ぶ。
1990年のICRP勧告60号によると、 放射線に起因する発がんの確率は被曝線量に対する二次式の形で増えると評価されている。 線量が低いときには二次項は一次項よりずっと小さくなるので、実用上は一次式で表される(すなわち線量と発がんの確率は比例している)。 その比例係数は0.05、すなわち被曝1シーベルトごとにがん発生の確率が5%あるとしている。 また、線量の大小とがんの重篤度の間には関係が無い。
また、生殖細胞が突然変異を起こした場合は、遺伝的影響を起こす恐れがある。 遺伝的影響にも重篤度はさまざまあるが、線量の大小と重篤度は関係が無く、発生確率が線量に比例している。
農作物を高い線量率の場に暴露する事により、突然変異を高い確率で発生させ、品種改良する試みがなされている。 これも確率的影響を利用している。
[編集] 直線しきい値無し仮説
広島、長崎の被爆者の追跡調査データから、200mSv以上の被曝については被曝線量と発ガンの確率が比例していることが分かっている。 それ以下の領域については、50mSv以上の急性被曝については被曝線量と発ガンの増加が関連しているらしいことが知られているが、相関関係は明瞭でない。 ある因子が健康に影響を与えているかどうかを検証するのは疫学の範疇であるが、放射線以外の理由によるガンが一定数ある中で、それより少ない数について影響があったのか無かったのかを疫学的・統計学的に確認することは極めて難しいためである。
原子力と放射線の利用を管理する上で保守的な側を採用すると言う考え方から、上記の知見を外挿し、極めて低い線量についても線量と確率的影響の確率は比例すると考えるのが直線しきい値なし(LNT)モデルである。 LNTモデルはICRP勧告第26号(1977年)で最も合理的なモデルとして採用され、各国の国内規制もこれを尊重している。
ここでは個人の被曝線量は、確定的影響については発生しない程度、確率的影響についてはLNTモデルで計算したリスクが 受容可能なレベルを越えてはならず、かつ合理的に達成可能な限り低く(as low as reasonably achievable, ALARA) 管理するべきと定められている(同時に、被曝はその導入が正味の利益を生むものでなければならないことを定めている)。
これ以下なら確率的影響の確率が全く増加しないというしきい値を持たない、という特性は、原子力と放射線の利用に反対するグループの宣伝材料として利用された。 この結果、原子力と放射線のパブリックアクセプタンスを遅滞させたばかりか、医療の上で必要な放射線利用に対しても患者が恐怖感を抱きあるいは拒否するという事態も発生し、医療の現場に混乱が生じた。 ここに至り、LNT仮説は実際のリスクを過大評価しているとしより観測に近いモデルを模索するべきという意見もある。 逆に、原子力と放射線の利用に反対するグループはLNT仮説を堅持するよう要求している。
[編集] 集団積算線量
LNT仮説は、大集団が微小な放射線量に被曝した場合も、小人数が多めの放射線量に被曝した場合も、どちらも発生する健康被害は変わらないことを示唆する。 例えば、100ミリシーベルト(一般公衆の年間線量限度の100倍)を200人が被曝しても、1マイクロシーベルトを2000万人が被曝しても、ハザードは同じであると評価される。このとき、被ばく線量の分布を積分したものが、集団積算線量であり、単位は人・Svである。
原子力施設を設計するに当たっては、仮想的な過酷事故時の集団積算線量が受容可能なレベルを超えてはならないことが定められている。
LNT仮説は保守的評価であるため、実際に発生した原子力事故の集団積算線量から健康被害を計算すると、実際のリスクよりも過大評価になる。[1]
[編集] 放射線ホルミシス仮説
ホルミシス効果を参照。
[編集] 被曝の対策
このため、特に重大な被曝の恐れのある場所は放射線管理区域に指定され、厳密に管理される。また、業務上放射線を扱うため被曝の恐れがある労働者については年間被曝量に限度が設けられており、これを超えて従業することはできない。
ただし、医療の目的で(検査、治療とも)被曝する場合については例外で、これは被曝の限度量が法的には制限されていない。これは、被曝するデメリットを診断や治療によるメリットが上回ると判断されるからこその放射線使用であると解釈できるからである。 このような背景があることから、放射線の使用は適応を見極めた上で最小限の被曝を念頭に置いて行われる必要がある。
[編集] 被曝の低減
被曝を低減する三原則は、時間・距離・遮蔽である。
[編集] 時間
線量は放射線場にいた時間に比例して増加する。放射線場での作業時間ができるだけ短くなるよう、作業計画を綿密に検討する必要がある。
[編集] 距離
線量は線源までの距離の2乗に反比例する。線源はトングやマジックハンドを用いて扱い、直接触らないようにする。放射性物質が皮膚に付着しないよう、ゴム手袋などの保護具を装備する。
[編集] 遮蔽
α線は紙1枚で遮蔽できる。 β線はアクリル樹脂板で遮蔽できる。
γ線は透過力が高いが、やはり遮蔽することができる。鉛や金といった密度の高い物質のほうが効果的に遮蔽することができる。 コンクリートならば厚さ30cmごとに、鉛板ならば厚さ5cmごとに線量を10分の1にまで減らす(コバルト60のガンマ線の場合)。
中性子線に対しては、質量数の小さい物質のほうが効果的に遮蔽することができる。水素や炭素を多く含む物質、例えば水やポリエチレンのブロックがよく用いられる。 また、中性子吸収材と組み合わせて使うこともある。
[編集] 人体に対する放射線の影響
単位はミリシーベルト (mSv)
実効線量 | 内訳 |
0.1~0.3 | 胸部X線撮影。 |
2.4 | 一年間に人が受ける放射線の世界平均。 |
4 | 胃のX線撮影。 |
7~20 | CTスキャンによる撮影。 |
50 | 原子力関連業務につく人が一年間にさらされてよい放射線の限度。 |
250 | 白血球の減少。(一度にまとめて受けた場合、以下同じ) |
500 | リンパ球の減少。 |
1,000 | 急性放射線障害。悪心、嘔吐など。 |
2,000 | 出血、脱毛など。5%の人が死亡する。 |
3,000~5,000 | 50%の人が死亡する。 |
7,000~10,000 | 100%の人が死亡する。 |
放射線の人体に対する影響は、被曝した体の部分などにより異なる。上記の表ではX線撮影、CTスキャン以外は全身に対するものである。
[編集] 被曝と被爆
被曝は「曝」が常用漢字に入っていないことから、被ばくと書かれることが多い。この場合「被爆」と区別が付かないが、多くの場合「被ばく」と表記した場合は「被曝」を意味する。
被爆という単語には、主として爆撃による被災を示す意味と、核兵器による罹災をあらわす意味がある。後者の意味が強調される背景には被曝との関連が指摘される。被曝と被爆は同音で字体も似ていて意味にも近いものがあるため、しばしば誤用される。
[編集] 関連項目