ギュスターヴ・フローベール
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ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert、1821年12月12日-1880年5月8日)はフランスの小説家。ルーアン出身。
文学上の写実主義(リアリズム)を確立する。その系譜はギ・ド・モーパッサンに引き継がれる。だが、それにとどまらず、多くの後世の作家に影響を与え、バルガス・リョサ、ウラジミール・ナボコフ、ヌーヴォー・ロマンの作家たちはその言語による創造に言及する。サルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』は、よく知られている。日本での研究者には、中村光夫や蓮實重彦がいる。
[編集] 概要
ルーアンの外科医の息子として生まれる。パリで法律を学ぶが、法律に興味はなく、神経の発作をおこして以後は、文学に専念する。1846年の父の死後、ルーアンの近郊にあったクロワッセに引きこもる。
現実におこった事件を題材にした『ボヴァリー夫人』(1857年)は、写実主義文学の傑作とされる。その『ボヴァリー夫人』は、雑誌連載終了後、風俗紊乱の罪に問われ裁判となるが、結局は無罪となった。この作品についてフロベールが記者に云ったとされる「ボヴァリー夫人は私だ」との言葉は、自然主義の象徴とされる。(のちにサント=ブーヴは『ボヴァリー夫人』の評論で、フローベールの筆致を医者のメスに譬えた)
革命の動乱の中での青年を主人公として描き、半自伝といわれる小説『感情教育』(1869年)は後年の自然主義文学に大きな影響を与えた(フローベールが15歳の時、憧れたシュレザンジェ夫人が『感情教育』のヒロインのモデルとされる)。そのほか、古代のカルタゴを舞台とした『サランボー』、「サロメ」を題材とした一編を含む『三つの物語』、苦行を続ける聖人の幻想を描いた『聖アントワーヌの誘惑』など、古代の歴史や伝説を題材としたものもある。遺作は、未完のまま終わった『ブヴァールとペキュシェ』。クロワッセで死去。
[編集] 主要作
- 『ボヴァリー夫人』Madame Bovary 1857
- 『サランボー』Salammbô 1862
- 『感情教育』L'Education sentimentale 1869
- 『聖アントワーヌの誘惑』La Tentation de Saint Antoine 1874
- 『紋切型事典』Dictionnaire des idées reçues 1911
[編集] 外部リンク
- 伝記・書誌学(フランス語)