クメール王朝
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カンボジアの歴史 |
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クメール王朝(-おうちょう、アンコール王朝とも)現在の東南アジアにあった王国で、現在のカンボジアの元となった国である。これより以前にあったチェンラ王国の流れを受け継ぐ王国で、その勢力が最大化したときは、現在のタイ東北部、ラオス、およびヴェトナムのそれぞれの一部をも領有していた。アンコール遺跡をはじめとする、一連のクメール遺跡などはこの王朝による建造物で、アンコール・トム(ノーコー・トム)を首都としていた。宗教的には、13世紀に上座部仏教がインドシナを掌握するまで、ヒンドゥー教や大乗仏教の混じった宗教が信仰されていた。
[編集] 主権者一覧
(以下は不明なものを含んでいます。修正を要します。)
- 802年-834年: ジャヤーヴァルマン2世(チェイヴァルマン2世)
- 834年-877年: ジャヤーヴァルマン3世(チェイヴァルマン3世)
- 877年-889年: インドラヴァルマン1世
- 889年-910年頃: ヤショーヴァルマン1世(ヨーサオヴァルマン1世)
- 910年-922年頃: ハルシャーヴァルマン1世
- 922年頃-928年: イシャーナヴァルマン2世
- 928年-942年: ジャヤーヴァルマン4世(チェイヴァルマン4世)
- 942年頃-944年: ハルシャーヴァルマン2世
- 944年-968年: ラージェンドラヴァルマン
- 969年-1000年頃: ジャヤーヴァルマン5世(チェイヴァルマン5世)
- 1001年-1002年: ウダヤーディチャヴァルマン1世
- 1002年-1010年頃: ジャヤヴィラヴァルマン
- 1011年-1050年: スーリヤヴァルマン1世
- 1050年-1066年: ウダヤーディチャヴァルマン2世
- 1066年-1080年: ハルシャーヴァルマン3世
- 1080年-1113年: ジャヤーヴァルマン6世(チェイヴァルマン6世)
- 1113年-1150年頃: スーリヤヴァルマン2世
- 1150年頃-1160年: ダーラニンドラヴァルマン2世(統治の痕跡がないという説あり.)
- 1150年頃-1165年: ヤショーヴァルマン2世(ヨーサオヴァルマン2世)
- 1165年頃-1177年:トリブヴァナーディティアヴァルマン(王位簒奪者)
- 1181年-1219年頃?: ジャヤーヴァルマン7世(チェイヴァルマン7世)
- 1220年頃-1243年: インドラヴァルマン2世
- 1243年-1295年: ジャヤーヴァルマン8世(チェイヴァルマン8世)
- 1295年-1308年: インドラヴァルマン3世(シュウリンドラヴァルマン)
- 1308年-1327年: インドラジャヤーヴァルマン
- 1327年-1353年頃: ジャヤーヴァルマバラメーシュヴァラ
ヴァルマンの称号を廃止。
- 1371年-?: Hou-eul-na(不明)
- 1404年: Samtac Pra Phaya(英語版は称号のみで誰をさすか不明、甘瓜王?)
- 1405年: Samtac Chao Phaya Phing-ya(不明)
- 1405年-1409年: 涅槃王
- 1409年-1416年: スレイ・ロムポン
- 1416年-1425年: スレイ・ソリヨヴォン
- 1425年-1429年: バロムリヤミヤ
- 1429年-1431年: トマーサオク
- 1432年-1462年: ポニャー・ヤット
アンコール・トム放棄
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