コンスタンチン・ロコソフスキー
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コンスタンチン・ロコソフスキー(ロシア語:Константин Рокоссовский、ポーランド語:Konstanty Rokossowski;1896年12月21日 - 1968年8月3日)は、ソ連、ポーランドの軍人、政治家。ソ連邦元帥、ポーランド元帥。ソ連邦英雄(2度)。
[編集] 経歴
ヴェリーキエ・ルーキ市プスコフシチナ出身。1914年からロシア帝国軍に入隊し、第5竜騎兵連隊の下士官で終戦を迎えた。
1918年、赤軍に入隊。ロシア内戦終結後、1925年、指揮要員完全化課程を修了。1929年、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミー附属上級指揮要員完全化課程を修了。1930年から第7師団、後に第15騎兵師団を指揮し、1936年、第5騎兵軍団長、1940年11月、第9機械化軍団長に任命。赤軍の大粛清時、ロコソフスキーも一時逮捕されたが、彼の才能を惜しんだゲオルギー・ジューコフの個人的嘆願により釈放された。
独ソ戦時、機械化軍団長として、西ウクライナのブロドゥイ地区で戦った。1941年11月から西部戦線の第16軍を指揮。1942年7月、ブリャンスク戦線司令官に任命され、トゥーラとヴォロネジ方面を担当した。同年9月からドン戦線を指揮。
1943年2月、ドン戦線に基づき創設された中央戦線の司令官に任命。同年10月、白ロシア戦線司令官に任命。1944年2月、白ロシア戦線は第1白ロシア戦線に改称され、同年6月、ロコソフスキーはソ連邦元帥となった。第1白ロシア戦線の部隊は、ロガチェフ市を解放し、ドニエプル対岸に橋頭堡を確保した。その後、バグラチオン作戦に参加し、ミンスクを解放した。
1944年11月、第2白ロシア戦線司令官となり、1945年始め、東プロシア作戦に参加。同年4月18日から5月8日まで、ベルリンの戦いに参加した。
1945年6月24日、ロコソフスキーはモスクワでの戦勝記念観閲式を指揮した。同年7月10日、戦線は解散されて北方ソビエト軍集団に改称され、ポーランドに駐屯することとなった。第二次世界大戦中の功績に対して、2つ目のソ連邦英雄称号と勝利勲章が授与された。
1949年、ポーランド人民共和国政府の要請により、ロコソフスキーはポーランド国防相、閣僚会議副議長となり、ポーランド元帥の称号が授与された。ポーランド連合労働党中央委員会政治局員、ポーランド議会代議員に選出。
1956年、ソ連に帰国し、国防次官に任命。1957年7月から国防次官/主任監察官。同年10月からザカフカーズ軍管区司令官。1958年~1962年、国防次官/主任監察官。1962年4月から国防省監察総監主任監察官。
著書に回想録「兵士の責務」(Солдатский долг)がある。