サイバッチ
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サイバッチは1998年11月創刊の日本のメールマガジン。編集・発行人は毒島雷太。
創刊当時は「どですかでん雷太」と名乗っていた。創刊時の名乗りは「インターネット史上最悪のゴシップマガジン」である。被差別部落や在日コリアンへの攻撃など、社会的に問題があるとみなされる際どい内容を含むことが多々あり、物議を醸すこともしばしばある。メールマガジン配信代行業者から疎んじられ、初期には何度か発行元から追放された。
創刊当初は無料のメールのメールマガジンであったが、2002年11月から並行して年間購読料5800円の有料版を発行。以後は無料版は宣伝という位置付けで、有料版を中心として活動している。
なお発行人によると、日刊プチバッチの発行部数は30部であり、親兄弟と近所のおばちゃんしか読んでいないと主張している。一方、サイバッチに寄稿したことのあるライターの野田敬生によると、無料版は8万人、有料版は3000人程度いるとしている[1]。
[編集] 歴史
- 1998年11月9日 - 創刊準備号発行。配信数は1858。内容は次号予告他、「雷太の電脳地獄耳」というコーナーのみ。このコーナーでは翌日発売の噂の真相の内容と、それがおこしている問題についての噂などを記載。雑誌編集界隈の話題が多いという後のサイバッチの傾向が既に表れていた。配信はまぐまぐから。
- 1998年11月16日 - 創刊号発行。配信数は2511。内容は河上イチローインタビュー「あの河上イチローが迫る、アングラ系ネットワーカーたちの素顔」。後サイバッチに参加する大月隆寛の名前がこの時点で登場している。ただし、書き手としてではなく噂の対象として。「大月隆寛、メルボルンでの学会でかけるも、発表内容は学会テーマ無視。要約の英語もひどく、別の集まりにまわされる」との他ホームページからの転載と思われる内容。
- 1998年12月29日 - 本誌を12号まで出して別冊を4号この年を終える。年内最終号の配信数は5049。この時点で既に、号数が飛んだり、入っていなかったりで何号出ているのかわかりにくくなっている。最終号の内容はドクターキリコ事件報道の内幕暴露。
- 1999年4月1日 - まぐまぐからクリックインカムに配信元を移行。
- 1999年中頃 - E-Magazineに配信元を移行。
- 2002年4月1日 - 配信元をMailuXに移行。
- 2002年11月2日 - 有料メールマガジン「日刊プチバッチ!」創刊。
- 2006年11月7日 - スーパーフリー事件に関与しているかのように報道された男性から起こされた名誉毀損の民事訴訟で東京地方裁判所から220万円の損害賠償を命じられる。