サージェント・ペパー・インナー・グルーヴ
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サージェント・ペパー・インナー・グルーヴ(Sgt. Pepper Inner Groove)は独立したビートルズの公式発表曲ではない。1967年に発表されたアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の最終収録曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ(ジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作)」の最後の部分で聴ける「犬にしか聞こえないほどの高音とビートルによる意味不明のおしゃべり(下記詳細)」にタイトルをつけただけで、「ア・デイ~」の一部なのである。なぜ、ひとつの曲の一部にタイトルがつけられたのかというのはちゃんとした訳がある。
1967年に発表されたアルバム『サージェント~』はアメリカでも英国オリジナルと同じ曲目で発売されたわけだが、米国発売元のキャピトル・レコードは「ア・デイ~」から最後の部分をカットしていた。1980年、キャピトル・レコードはそれまで自社の発売のレコードでは収録漏れになっていた曲を集めたアルバム『レアリティーズ2』を発売したが、ここにそのカットされた最後の部分が収録されることになった際に、そのままでは「タイトルなし」という事になってしまうため「サージェント・ペパー・インナー・グルーヴ」というタイトルをつけたという訳である。
意味不明なおしゃべりを逆回転するとポール死亡説のキーとなる言葉が現れる。
香月利一氏による「ビートルズソング研究読本」によれば、『意味不明のおしゃべり』は、 「Hahaha, I never could see any other way,never could see any other way...と言う風に繰り返す」 というものであるらしく、これは、気の利いた言葉が思いつかなかったために、 「これ(同じ言葉の繰り返し)しか思いつかなかったんだよ」と、自己申告しているものと訳す事が出来るという。
マーク・ルイソン著「ビートルズ・レコーディングセッション」やポール・マッカートニー著「MANY YEARS FROM NOW」における彼自身の証言によると、この『意味不明のおしゃべり』は、演奏終了後針を戻さない限り永遠に最後の溝の部分(ランアウト・グルーヴ)に針が当って雑音を出し続けるアナログレコードプレーヤーのデメリットを逆手に取り、その最後の溝の部分におまけとして音声を入れようというジョン・レノンの発案によって始められた。レコーディングが行われたのは1967年4月21日。発案からレコーディング開始まで10分もかからなかった。ランアウト・グルーヴへの音声挿入は78回転のSPレコード時代にはたびたび行われていたが、1967年にはその作業工程ももうすっかり過去の物となっていたため、英国EMIのディスク・カッターにとってはまったく未知の作業であり、アルバム中で最も困難を極めたという。
レコーディングは2トラックテープの両面に1回ずつ計2回行われ、切り刻んで1本のテープにまとめた後、逆回転して仕上げたという。ポール・マッカートニーは「(レコードはもうこれでお終いという意味での)『これ以上はもうないよ』を逆回転したもの」と証言している。従って正常にレコードを回転させている限り意味は聞き取れないようである。
この『意味不明のおしゃべり』は、アナログレコードプレーヤーで再生すると針を戻さない限り永遠に続く。マッカートニーはこの無限ループを「マントラのようなもの」と語っているが、エンドレスで繰り返される意味不明の言葉は当時様々な憶測を呼び、これを単なる遊び心に満ちた実験ととらえていたビートルズの思惑を超えていくようになる。
シャロン・テート事件を起こしたチャールズ・マンソンは熱烈なビートルズマニアとして知られるが、彼はこの曲にも勝手な解釈を施し、ビートルズが殺人の啓示を与えたと思い込んでいた。
マッカートニーが会った女性ファンは、ランアウト・グルーヴのループを逆回転させると、スーパーマンが性行為を強要する言葉(I was fucking like'n Superman)に聞こえると激怒した。マッカートニーも試しに逆回転させると、確かにそういう意味に聞こえて驚いたという(ファンの間でも確認が出来ているが、(勿論個人差はあるが)I never could see any other wayのようにハッキリではない)。しかし、これは偶然そうなっただけだとマッカートニーは述懐している。
CD化に際して、プロデューサーのジョージ・マーティンは『意味不明のおしゃべり』が数回続いたのちフェード・アウトする手法を用いて、ビートルズが行った実験を後世に残している。