ジョージ・マーティン
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サー・ジョージ・マーティン CBE(Sir Big George Martin CBE, 1926年1月3日 - )は、英国の世界で最も有名な音楽プロデューサーの一人。
ビートルズのほとんどの作品のプロデューサーを務めたことから"5人目のビートルズ"ともいわれる。音楽界への貢献から、1996年にナイトの称号を与えられている。
ロンドン生まれ。ギルドホール音楽院でクラシックの基礎を学んだ後、1950年にEMIへ入社。1955年に傘下レーベルの一つであったパーロフォンのマネージャーとなり、コメディ俳優のピーター・セラーズらの作品などコメディ色の強いレコードの制作を多く手がけ実績を積んだ。この頃の逸話として、「戦場にかける橋」のパロディ作品を作った際、収録曲の「クワイ河のマーチ」を、会社上層部からのクレームを受け、既に録音し終えていた曲中の「クワイ(Kwai)」というフレーズから「K」の部分だけ削除して「ワイ河のマーチ」に作り直したというエピソードがある。1962年にデッカのオーディションに不合格となり、パーロフォンのオーディションを受けに来たビートルズを審査した。彼のビートルズに対する第一印象は「彼らはだいぶひどかった(They were pretty awful)」というものであったが、彼はビートルズと契約した。それは長きにわたる関係の始まりであった。ちなみに、そのとき緊張していた彼らにマーティンは「何か気に入らないことがあるか?」と尋ねたが、ジョージ・ハリスンの回答は「あなたのネクタイが気に入らないね!」であった。
マーティンの音楽的専門知識は、ビートルズの天賦の才能と達成しようと考えていたサウンドとのギャップを満たすことを助けた。ビートルズの楽曲におけるクラシック的アプローチやオーケストレーション、複雑なサウンド・エフェクトの多くは、マーティンとの共同作業によるものであった。代表的な例として「ペニー・レイン」におけるピッコロ・トランペットのソロがある。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」ではテンポもキーも違った二つの曲を一つの曲にするという離れ業を行うなど(注意して聞くと開始から1分ちょうどを境にテンポが違っているのが分かる)、マーティンはメンバーからの困難なリクエストに応え、その音楽的な成功に大きく貢献した。自身は「アレンジの際、ポールは音楽的に解り易く説明してくれたので、あとはそれに基づいて譜面を書けばよかったけど、ジョンは抽象的な表現だけで説明してくるので苦労した」と振り返っている。
1965年にEMIより独立。その後もジェフ・ベック、アメリカ、チープ・トリック、ポール・マッカートニーなどのプロデュースを手がける。1997年、ダイアナ妃を追悼したエルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド97」が、マーティンにとってはイギリスにおける30曲目のチャート1位作品となった。
[編集] プロデュースした代表的なアーティスト
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