ザイドリッツ (巡洋戦艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザイドリッツ | |
---|---|
![]() |
|
所属: | ドイツ海軍 |
建造: | ブローム&フォス社(ハンブルク) |
起工: | 1911年2月4日 |
進水: | 1912年3月30日 |
就役: | 1913年5月22日 |
その後: | 1919年に自沈 |
ザイドリッツ (SMS Seydlitz) とはドイツ帝国海軍の巡洋戦艦 (Schlachtkreuzer)。1913年にドイツのハンブルクで建造された。艦名はプロイセン騎兵軍の将軍フリードリヒ・ザイドリッツ (Friedrich Wilhelm von Seydlitz) に因む。
ザイドリッツはモルトケ級巡洋戦艦を改良したもので、基本的にドイツで最初の巡洋戦艦フォン・デア・タン以来、モルトケ級もザイドリッツもその派生であり、モルトケ級を拡大したザイドリッツは最終型という見方が強い。その違いは前部を高くし、十分な乾舷を得て安定性と凌波性を獲得している。モルトケ級は比較的穏やかな波でさえ、海水が降りかかると評判が悪いことが判明していたので耐航性を改善するという意図があった。
[編集] 戦歴
第一次世界大戦中の1915年1月24日、ドッガー・バンク海戦に参加するにあたり、ザイドリッツはフランツ・ヒッパーの旗艦であった。しかし、イギリス海軍の巡洋戦艦ライオンの13.5インチ砲から放たれた砲弾が、ザイドリッツの後部砲塔の装薬室で炸裂し、後部に2基ある砲塔は隣接しており、そのドアが開いていたため、160名と乗組員を殺傷して2つの砲塔は機能を失った。しかし、ザイドリッツの副長 (Executive officer) が迅速に弾薬庫に注水するように命じたため、弾薬庫への誘爆は防がれ、船体の破壊を逃れた。
1916年のユトランド沖海戦では、巡洋戦艦部隊を率いていたヒッパーの旗艦、巡洋戦艦リュッツォーが沈む際に、再びザイドリッツに乗艦して指揮をとった。ザイドリッツはデアフリンガーと共同で巡洋戦艦クイーン・メリーを爆沈させたが、ザイドリッツも21発の大口径砲弾と1発の魚雷が命中して死者98名、負傷者55名を出して大破してしまった。ザイドリッツは5,000トン近い海水が浸水してしまったものの、高い乾舷が幸をもたらして帰港することができた。
ザイドリッツは他のドイツ主力艦よりも数多くの攻撃を受けながら生き残り、ドイツの巡洋戦艦が基本的に強固に作られていたことを証明し、注目を浴びた。
第一次世界大戦が休戦になると、ザイドリッツはスカパ・フローに回航、係留されたが、1919年6月21日にザイドリッツの乗組員の手によって、大洋艦隊の多くの艦とともに自沈した。その後、ザイドリッツは1928年にサルベージが行われ、解体された。
[編集] 性能諸元
- 常備排水量:24,594 トン
- 満載排水量:28,100 トン
- 全長:200.5m (657 ft 11 in)
- 全幅:28.5m (93 ft 6 in)
- 吃水:30.3m (26 ft 11 in)
- 機関:パーソンズ・タービン、4軸推進、63,000 hp
- 速度:最大 26.5 ノット
- 航続距離:14 ノット時 4,700 海里
- 乗員:1,068名
- 武装
- 50口径 284 mm (11.2 in) 2連装砲 10門
- 150 mm (5.9 in) 砲 12門
- 88 mm (3.45 in) 砲 12門
[編集] 外部リンク
- SMS Seydlitz (ドイツ語)
- The World War I Document Archive - SMS Seydlitz at Jutland, by Moritz von Egidy (英語)
- The World War I Document Archive - SEYDLITZ at the Skagerrak, by Richard Foerster (英語)
- MaritimeQuest - SMS Seydlitz Photo Gallery (英語)