ジム・リー
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ジム・リー(Jim Lee、1964年8月11日-)は、韓国系アメリカ人のアメリカン・コミックス作家。作画家、脚本家、クリエイターであり、出版者でもある。スタイリッシュでダイナミックかつ書き込まれた作画法、そしてアメコミの有名なアーティストとして知られる。1990年に受賞した、ハーヴェイ・スペシャル・アワード・フォー・ニュー・タレントをはじめ、数えきれないほどの表彰を受けている。
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[編集] 経歴
[編集] 初期の時代と仕事歴
リーは韓国のソウルに生まれ、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスで育った。アメコミ業界で有名な2人のリー(スタン・リー、ジェー・リー)とは親戚関係ではない。
リーのセントルイスでの高校時代の卒業アルバムの中で、友人の一人は「彼は自分のコミックカンパニーを設立するだろう」と予言している。しかし当初リーは医療に従事していた父を継ぐため、コミックの道を諦めていた。リーは医師になるため、プリンストン大学で心理学を専攻した。選択科目の現代アートのクラスが彼に描く事への情熱を思い出させた。
小さな出版者で出した”サムライ・サンタ#1”の表紙のみのインキングをした後、北米最大のコミック出版社、マーベル・コミックスにてペンシラーとして成功を収めた。彼のマーベルでの初期の作品にはAlpha Flight、Punisher War Journalがある。
[編集] X-Menで得た名声
1989年、リーは『アンキャニィ・X-メン』(Uncanny X-Men) #248でレギュラーのペンシラー、マーク・シルヴェストリの代理を務め、#256から#258までゲスト参加、シルヴェストリが去った#267くらいから段々とシリーズの常任アーティストとなっていった。『アンキャニィ・X-メン』では、リーは後に長年の共同制作者となったインカー、スコット・ウィリアムズと当初から仕事をしている。リーのアートワークは、早くから熱心なファンの支持を集め、それが彼により広い創造的なコントロールを許すことになった。
1991年、リーは、単にX-メン (X−Men)と呼ばれる事になった、X-メンの第2シリーズを長年X-メンを手がけてきたクリス・クララモンと共に、共同作家として手がけた。彼らはガンビットことレミー・ルボーを作り出した。リーはまた、X-メンのすべての世代の読者がキャラクターのイメージとして認知している、サイクロップス、ジーン・グレイ、ローグ、サイロックそしてストームなどの新しいユニフォームをデザインした。また、彼はジョン・バイルンと共に、かつてポピュラーであったキャラクター、オメガ・レッドを共同作成した。X-メンの#1は、リーが違った表紙のイラストを描く事で、熱狂的なファンが重複して購入しているとはいえ、現在でも、初版から800万部の増刷部数を誇る空前のベストセラーである。
しかしながらリーは難しいハードルへと進む事になった。クララモン は、キャラクターやストーリーラインに対する2人のビジョンの違いから共に仕事をするのは難しいと思い始める。X-メンにおいて、意見の食い違いがこの先長引く事が予想されたため、結局マーベルの編集者ボブ・ハラスは、空前の人気を誇ったリーを支持し、クララモン は第3弾の新X-メンシリーズを去る事になった。にもかかわらず、リーとクララモンは、その後様々なプロジェクトで一緒に仕事をし、うわさによると、とても仲がいいらしい。クララモンとリーは1995年のウィザード・マガジンで共同インタビューも受けている。
[編集] イメージ・コミックスとワイルドストーム
1992年、リーはイメージ・コミックを立ち上げるためにマーベルを離れた7人のアーティストのひとりとなった。 リーのグループはワイルドストーム・プロダクション (Wildstorm)と名付けられ、リーがペンシラーと共同脚本を手がけた、リーの愛するWildC.A.T.sを発行し、他のシリーズは、彼のプロダクションの中で、小さく親密なアーティスト同士の繋がりを持って、同じ”ユニバース(宇宙)”を共有しながら、制作された。ジム・リーとプロダクションのアーティストが作り上げたキャラクターが登場するその他のワイルドストームの初期の作品には、Stormwatch(リーは最初の8号まで共同プロッター、3号まで表紙を作画)Deathblow(リーは連載シリーズの最初の12号までプロットで参加、最初の30〜40ページではペンシラー)Gen¹³(リーは3年間共同プロッター、2号までペンシラー) がある。その後、Wetworks(Whilce Portaccio作だが、ジム・リーが作り上げたワイルドストームユニバースを共有している)、DV8(Gen13の副産物)、Backlash(StormWatchのソロキャラクターもの)、Grifter(WildC.A.T.sの主人公のソロもの)、そしてTeam 7(WildC.A.T.s、 StormWatch、Gen13、DeathblowそしてWetworksのキャラクターが登場)を代表するいくつかの短編物といった、同じユニバースを共有するその他の連載シリーズは、ジム・リーはあまり参加することなく始まっている。
ほとんどの劇画の特性であるように、これらのシリーズは過激な暴力シーン(当時のマーベルや、DCほど乱暴ではなかったのだが)と、過度の性的描写、そして物語より、うわべの絵柄の方を強調していたために批判を受けた。そういったクレームにもかかわらず、リーの不動のタイトルの販売は好調で、時にはひと月で百万部を超え、個人の出版社としての販売記録を塗りかえた。
またリーは、出版者として、アメリカのコミック産業界で、数人の選ばれしクリエイター達の、作者が著作権を有するコミックを出版するために、ワイルドストームの別ブランドとして、Homage ComicsとCliffhanger(後に合併され、Wildstorm Signatureというブランドに統一された)という2つのブランドを立ち上げた。はじめのうちは、Homageは、アイスナー・アワード (Eisner Awardsの勝者によるStrangers in Paradiseと、Kurt BusiekのAstro Cityをデビューさせ、より脚本家よりのブランドであった。一方Cliffhangerのほうは、作画家よりのブランドで、当時のトップセラーとなった3つシリーズ、J. Scott CampbellによるDanger Girl、Joe MadureiraのBattle Chasers、そしてHumberto RamosのCrimsonという、その当時の3人の若き売れっ子作家の作品を出版するために作られた。
1996年、リーとRob Liefeld、その他のマーベルを出ていたイラストレーターがマーベルに戻り、古典的ないくつかのキャラクターを復活させることを手伝った。そのプロジェクトは「ヒーロの再生 (Heroes Reborn)」として知られている。LiefeldがCaptain Americaとアベンジャーズを再び手がけている間、リーはIron Manのプロットを書き、『ファンタスティック・フォー』を描いた。これだけ知られたキャラクターの改変に対してファンの反応は複雑だったにもかかわらず、リーは『ファンタスティック・フォー』とIron Manを売り上げをセールスチャートのトップに押し上げた。プロジェクト半ばには、リーの売り上げにくらべ、あまり好調ではなかったLiefeldがプロジェクトから外されたが、リーは4シリーズをやりきった。一年契約が終わり、リーとマーベルは別のクリエイターにこの本を託す事で同意した。リーはそれから、Wildstormに専念し、大絶賛されたThe AuthorityとPlanetaryを出版する事で、イメージコミックの紋切り型のスタイルと、中身の無さを打破して見せた。