ジャック・マイヨール
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ジャック・マイヨール(Jacques Mayol, 男性, 1927年4月1日- 2001年12月23日)は、フランスのフリーダイバー。上海生まれ。
10歳の時に、佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点となる。13歳で一家でフランスに渡る。高校を出ると北極圏でイヌイットと暮らす。
その後フロリダに移り住んでフランス語系新聞の手伝いやラジオ番組のリポーターを勤めながら、マイアミ水族館で働く。そこで1957年にイルカの調教を担当したことから水中での泳ぎ方などを体得。
その後水族館をやめてケイコス諸島に移住し、素潜りによる伊勢エビ漁を島民に教える。その頃になると周りの勧めでフリー・ダイビングに挑戦するようになり、1966年に60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げた。1973年、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある。1976年11月23日、人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。
1983年、母親の葬儀に参列するためにマルセイユに行った折にリュック・ベッソンと出会う。1988年、自伝をもとにした映画「グラン・ブルー」が同監督により製作され、世界中の人にその存在を知られる。
1989年マルセイユ出身の女性編集者ジャンヌ・ラフィットと結婚し、本をいくつか出版する(そのひとつが『イルカと海に帰る日』である)。
大の親日家であり、フリーダイビングにヨーガや禅を取り入れていた。1997年の秋には27HOUR SPECIAL CHALLENGE 97内で放送した「イルカが海に帰る日 ~ユキよ、自由の海を泳げ~」のスペシャルゲストを担当。
ダイビングの第一線から引退した後は、イルカと人間との共存を訴えた。 晩年はうつ病を患っていた。2001年12月23日、エルバ島の自宅の部屋で首吊り自殺をしているのが発見された。 遺体のそばのテーブルの上に、「グラン・ブルー」のビデオと、直前に出演したテレビ朝日の「グレートマザー物語」のビデオが置いてあった。 遺骨はトスカーナ湾に散骨された。
[編集] マイヨールの記録
[編集] 著作
- 『イルカと海に帰る日』(原題:ホモ・デルフィナス) ISBN 4062061473
- 『海の記憶を求めて』(兄ピエールとの共著) ISBN 4881356372