ジュンテンドー
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | (本社)698-0002 (営業本部)735-0029 (本社)島根県益田市下本郷町206番地5 (営業本部)広島県安芸郡府中町茂陰一丁目13番45号 |
電話番号 | (本社)0856-24-2400 (営業本部)082-890-1230 |
設立 | 1948年(昭和23年)6月 (有限会社飯塚順天堂駅前薬局) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | ホームセンター、カー用品専門店、ドラッグストア 等 |
代表者 | 代表取締役会長 飯塚道正 代表取締役社長 飯塚正 |
資本金 | 42億2,425万円 |
売上高 | 437億円(2006年2月期) |
従業員数 | 657人(正社員) |
決算期 | 毎年2月末日 |
主要子会社 | ジャスト商事 |
外部リンク | http://www.juntendo.co.jp/ |
株式会社ジュンテンドーは、島根県益田市に本社、広島県安芸郡府中町に営業本部を置く中堅ホームセンター。業界内での売上順位では 14 位と見られている。東京、大阪2部上場。売上高は約460億円。
中国地方と近畿地方(ただし、滋賀県は除く)に出店している。地域密着型の店舗作りを得意としており、1店舗当たり面積は小さめで、近年のホームセンターの店舗の大型化とは一線を画しているが、大型店舗も存在する。
また、ドラッグストア(サンデーズ)経営を行ったり、島根県と鳥取県米子市と山口県萩市でカー用品店のイエローハットのフランチャイズチェーン店の運営も行っている。さらに、子会社(ジャスト商事)を通じて中国地方(ただし岡山県は除く)で書店経営を行っている。
[編集] 概要
明治10年(1877)10月17日山口県佐波郡佐波村第403番屋敷にて渡邉文市生誕する。14歳の時、父の死去により中学2年で中退し、防府の柏木薬店(店主・柏木幸助)に勤務する。
明治27年(1894)10月、防府の生雲瀧次郎の援助により島根県石見国美濃郡益田町折戸(現・益田市折戸)にて「順天堂薬店」を開店する。「順天堂薬店」の近所に「第五十三国立銀行」益田支店長の飯塚正居が住んでいた。正居はかねてから文市の誠実な生活態度にほれ込んだ。文市は、正居の一人娘のリョウ(正居の妻ツネの兄・平田正表の長女を養子としてもらっていた)と結婚し飯塚文市となる。
明治40年(1907)4月「日本薬局方」(第3版)等の施行にともない、薬業は近代化されつつあった。文市は医師の処方箋により調剤のできる「薬局」を目指し、従兄弟の足立滋春を「大阪薬学専門学校」へ進学させた。滋春が卒業するまで島根県薬剤師会幹事・薬剤師虎谷常太郎を雇用し、店舗改装し「飯塚順天堂」が誕生する。「なんでもあるくすりや」と命名し「明治のドラッグ・ストア・順天堂」と呼ぶにふさわしい店舗で日常品から食料品まで全てを揃えた店舗であった。薬の製薬及び販売し富山の薬売りが独占していた市場を次第に掌握するようになる。「順天堂」の名は遠く松江・山口まで知られわたるようになる。
明治27年(1894)朝鮮半島の釜山近郊に飯塚農営部を設置。
大正7年(1918)3月順天堂分店「だるまや」創業。
大正13年(1924)11月「順天堂・横田支店」開設。
昭和4年(1929年)4月「順天堂・江津支店」開設。
昭和5年(1930)6月「順天堂・益田駅前支店」開設し業務を拡大していく。息子の幸一が東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)を卒業し薬剤師なり家業を継ぐ。
昭和16年(1941)、島根県でも島根県医薬品統制組合が発足し、初代理事長に松井義三郎(松井薬局本店)が就任した。また、県内7地区(松江・能義・邇摩・邑智・那賀・美濃・鹿足)に医薬品小売統制組合が結成され、美濃地区の理事長には幸一が選任された。
昭和18年(1943)5月島根県医薬品統制組合は、島根県医薬品統制株式会社に発展し、加藤丈太郎(加藤二星堂)が社長に就任した。
昭和18年(1943)年6月には戦時統制令によって「島根県売薬生産統制株式会社」が設立され、県下各薬局の自家製剤権は全てこの会社に譲渡することとなった。幸一も父・文市時代からの製薬権を譲渡した。
戦後、昭和23年6月1日に益田駅前の角地(現・益田薬局の場所)に「有限会社飯塚順天堂駅前薬局」を資本金25万円で設立。幸一が病床につくようになり長男・道正が東京薬学専門学校を卒業し慶応大学病院薬剤部に勤務していたが退職し、昭和28年2月1日資本金100万円に増資し「有限会社飯塚順天堂薬局」に商号変更。道正は、日本薬局協励会主催の全国大会にて経営コンサルテングの松香のアメリカのドラック・ストアについての講義を聞いて、すぐさまアメリカのドラック・ハウスの資料をとりよせ日本式ドラック・ストアの「薬局+荒物雑貨」を目指すこととなる。これが今日の「ホームセンター」+「ドラクストアー」の原点となる。しかし薬品関係のディスカウントにはブレーキがかかる。薬品メーカーへの代理店契約の破棄を通告したところ、クレームがついた。さらに薬品の値引き販売を察知した薬品組合からも、激しい圧力がかかってきた。結果「ホームセンター」としての店舗展開をしていくこととなる。
[編集] 沿革
- 1894年 医薬品販売業順天堂として創業。
- 1948年6月 有限会社飯塚順天堂駅前薬局を設立。
- 1969年 日本初のホームセンターとして、島根県益田市にハウジングランド順天堂駅前店を開店。
- 1970年8月 薬局部門を設立。
- 1975年8月 薬局部門を順天堂土地住宅株式会社(順天堂薬品株式会社に商号変更。現・ジャスト商事株式会社)に譲渡。
- 1976年4月「米原店」開店で鳥取県に進出開始
- 1976年4月「徳山店」開店で山口県に進出開始(結果として初めての出店失敗・第一号閉店店舗となる)
- 1977年11月18日 株式会社順天堂に商号変更。
- 1980年 店名をホームセンター順天堂に変更。
- 1980年10月「廿日市店」開店で広島県に進出開始
- 1981年11月「並木店」開店で岡山県に進出開始
- 1986年3月「和田山店」開店で兵庫県に進出開始
- 1987年7月「丹後大宮店」開店で京都府に進出開始
- 1987年 株式会社ジュンテンドーに商号変更。店名をホームセンタージュンテンドーに変更。
- 1988年8月「那賀店」開店で和歌山県に進出開始
- 1989年 カー用品店のイエローハットのフランチャイズチェーン店の運営開始。
- 1999年 営業本部を広島県安芸郡府中町へ移転、新CIを導入。
- 1991年10月「五条店」開店で奈良県に進出開始
- 1994年10月「名張店」開店で三重県に進出開始