ジョナス・ザビンビ
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ジョナス・ザビンビもしくはジョナス・サビンビ(Jonas savimbi)は、アンゴラの反政府武装勢力「アンゴラ全面独立民族同盟」(UNITA)の創始者、元指導者。30年以上続いたアンゴラ内戦の当事者の一人。
[編集] 小史
- 1958年 医学の道を志し、宗主国ポルトガルのリスボンに留学。反政府活動による取締を避けるためにスイスへ移動。
- 1961年 反政府組織「アンゴラ解放民族戦線」の外務大臣に指名される
- 1965年 政治学の博士号を取得
- 1966年 自ら反政府組織、アンゴラ全面独立民族同盟を結成。アンゴラ内戦に参入。
- 1975年 アンゴラ独立達成。対立していたアンゴラ解放人民戦線が共産主義を標榜する政権を樹立したことから、自由主義を掲げて内戦を継続。
- 1992年 アンゴラ内戦和平条約、大統領選に出馬するものの落選
- 1994年 内戦再開、ダイヤモンド鉱山からの収益により戦闘を継続する。
- 2002年 戦闘中に死亡
[編集] 概要
- 独立前も含め30年以上も続いたアンゴラ内戦の当事者。米ソ冷戦が激しさを増した1970年代~1980年代前半は、共産政権の打倒を目指す指導者として自由主義陣営から強い支援を受けるものの、ソビエト連邦崩壊に伴い発言力が低下した。
- 1990年代前半になると、軍事的にも劣勢を強いられるようになり、現政府と和平を結び大統領選に出馬するものの落選。その後、政府には参加せず温存した勢力を元に、戦闘を再開させた。
- ダイヤモンド採掘による収益は数10億ドルとも推定されたが、収益の全てが武装組織に注入されることは無かったと推定されている。個人蓄財にも回されたとも推測されたが、一切は不明である。
- 2002年、軍事的劣勢の中、アンゴラ政府とアメリカ合衆国政府が和解。そうした最中、戦闘中に死亡が伝えられた。アンゴラ正規軍ではなく民間軍事会社が襲撃を実施したものであり、事実上の暗殺に近いものではないかと伝えられる。享年67。