ロバート・ウォルポール
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ロバート・ウォルポール(Robert Walpole, 1676年8月26日 - 1745年3月18日)は、イギリス(グレートブリテン王国)の政治家で初代首相(在任:1721年 - 1742年)。
イングランド東部のノーフォークのジェントリ階級の出身、家庭はホイッグ党を支持。イートン校から1696年ケンブリッジ大学へ進み、聖職者を目指すが、上の兄が夭折したため家産の相続者となり、ホイッグ党から下院議員に当選し政界へ進出する。
南海泡沫事件で政治家としての力量を発揮し、アン女王死後にハノーヴァー朝のジョージ1世(ハノーファー選帝侯を兼ねる)のもとで第一大蔵卿に就任し、事実上の首相として1721年から1742年までの21年間に及ぶ長期政権を運営する。対仏融和策、地租軽減政策でステュアート朝の復活を目指すジャコバイトの脅威を利用してホイッグ寡頭体制をしく。
1730年代末よりおりからの政治腐敗や消費税拡大、対フランス平和政策などが原因で政権が傾き、1741年における総選挙ではスコットランド、コーンウォールなどで敗れ、与野党の差が縮まった。そのため、当時の国王ジョージ2世の慰留にもかかわらず、翌1742年に第一大蔵卿を辞任した。このことから、議会内で優勢な勢力が内閣を組織して議会に対して責任を持つという、議院内閣制(責任内閣制)の基礎がつくられた。引退後は初代オーフォード伯となり、1745年に死去。
美術品のコレクターでもあり、現在はその一部がエルミタージュ美術館に所蔵されている。一方文芸や文学者の保護には熱心でなかったため、ジョナサン・スウィフトやヘンリー・フィールディングなどは彼を風刺して批判した。
ウォルポール時代は議院内閣制が発達した時代として知られ、ウォルポールはイギリスの政治に安定をもたらし、彼の治世は「ロビノクラシ」「パックス・ウォルポリアーナ」とも呼ばれる。
小説『オトラント城』で知られるホレス・ウォルポールは三男。
有名なマザーグースの「クックロビンの歌」は政権末期のゴシップを鳥になぞらえて歌ったものという説がある。
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