ニューカッスル公トーマス・ペラム・ホールズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューカッスル公トーマス・ペラム=ホールズ(Thomas Pelham-Holles, 1st Duke of Newcastle-upon-Tyne,1693年7月21日 - 1768年11月17日)は、イギリスのウィッグ政治家。首相在職は1754年3月16日 - 1756年11月16日および1757年7月2日 - 1762年5月26日の2度である。弟であるヘンリー・ペラムの死後、政権を引き継いだ。優秀な政治家ではなかったが、勤勉で努力家だったといわれる。
ニューカッスル公トーマスはペラム・ロートン男爵トーマスの第1子として生まれ、ケンブリッジ大学クレア・カレッジで学んだ。1712年父親の死により、莫大な財産を相続した。弟のヘンリー・ペラムのあとを継いで首相となったが、2年あまりで デボンシャー公ウィリアム・カベンディッシュに職を譲った。これは、フレンチ・インディアン戦争遂行に必要な強い指導力に恵まれなかったこと、当時下院で指導力を握っていたフォックスやチャタム伯ウィリアム・ピット(大ピット)らの協力を仰げず、下院の支持を失ったためである。
2度目の政権は、強力な指導力を持つピットと手を組むかたちで実現した。2人は協力して七年戦争の遂行に全力を注いだが、ヨーロッパ大陸での戦況が思わしくなく、彼らの人気は1759年をピークに下降に転じた。さらに、ジョージ2世が1760年に死亡してジョージ3世が即位すると、家庭教師役を務めていたビュート伯ジョン・スチュアートの発言力が増大し、ピットに続いてニューカッスル公も1762年政権から逐われ、1768年死亡した。
[編集] 関連項目
|
|
|
|
|
|